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呪われた民の国 チロタ
170 ラスラハヤ家の真実
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:::
フランジェから話を聞き終えたミルンとスニエリタは、しばらく無言だった。
彼女の見聞きしたことから考えると、時間をかけて穏便に済ませるべき状況ではないのかもしれない、とミルンは思った。
しかし問題は向こうがどの程度受け入れてくれるかだ。
トレアニ自体はミルンたちが接触すれば、タヌマン・クリャが記憶の修正を行ってくれるだろうが、娘を失うことになるラスラハヤ家の人間はきっと抵抗するだろう。
戦闘になった場合、何人くらいを相手にしなければならないのか。
島主たちの腕はどれほどのものなのか。
ラスラ島に来てまだ日が浅く、島主たちの紋唱術どころか当人たちの姿すらまだまともに見ていないのに、対策など立てようもない。
いざとなったらクリャに頼んで力押し、したいところだが当てにしてよいものか。
そのクリャはラスラ島に来てからというもの、めっきり姿を見せなくなってしまっていた。
話しかければ返事はしなくもないが、これまでのように長々とくっちゃべることはなく、必要最低限のことだけ話してすぐに黙ってしまう。
ある意味静かでいいが、作戦は立てづらい。
ミルンはあれこれ考えながら頭をわしわし掻いた。そしてふと、自分の手が額に触れていることに気づいた。
そこに以前、ヌダ・アフラムシカのキスを受けていることも。
あれから一切音沙汰がないが、彼はどうしているのだろうか。
たしか世界を支配してしまったドドとかいう神の注意を引く陽動役をするとか言っていたが。
「……いや、ここで責任取らないで盟主はねえだろ」
ぼそりと呟いたミルンに、スニエリタがまたあの悲しそうな眼を向ける。
今朝、彼女が泣きじゃくっていたのは、誰あろうララキを案じてのことだった。
「俺らが悩んでも仕方がない。おい、クリャ、当然そっちもそれなりの準備はしてあんだろ?」
『まあ……そのためにここに来たようなものだからな、私は』
「ならいい。よし、スニエリタ、行こう」
「はい」
ふたりは立ち上がり、手袋を確認して部屋を出た。
この際なので荷物も持っていく。
そのまま外へ出てまっすぐに町の中心部へと向かう。
もちろん行き先は島主一族の邸宅が連なる区域、大通りを渡ったところにある、敷地内へ入るための門のひとつだ。
見知らぬ外国人がふたりもやってきたのを見て、門番は不思議そうな顔をしている。
そしてふたりが門を開けてくれるように言うと、困ったように首を振った。
当たり前だ。
だが、今はそれで引き下がっていいときではない。
「開けてくれ。トレアニ・ラスラハヤに用があるんだ」
「いや、あんたら島の外の人間だろ、なんだってトレアニお嬢さ……トレアニだって!?」
「その反応、どうやら事情をご存知のようですね。だったらどうか開けて、わたしたちを通してください」
「い、いいやそんな訳にはいかんよ!」
「悪いけど、開けてもらえないならこっちは実力行使させてもらうぜ。
──我が友は喝采する!」
紋章から飛び出したクマを見て門番が腰を抜かす。
むろんミーに彼を傷つけさせるつもりはなく、ミーは彼を無視して門に手をかけた。
獣の力を持ってすれば容易に開いていく門に、門番は血相を変えて縋りつき、やめてくれと叫ぶようにして言う。
騒ぎを聞きつけて他の衛兵たちも駆け寄ってくる。
みんな短刀や槍など原始的な装備のみで、見たところ対紋唱術用の防護服などは着ていないため、スニエリタが風の術を使って怪我をさせない程度に引かせた。
ミルンはついでにシェンダルも出し、フランジェに先行させて、彼女がトレアニの元までの道を案内するのを妨害されないように護衛させる。
衛兵たちの槍は彼らに届くことなく氷の壁に遮られ、そのあとを追うミルンが放った水流によって、衛兵たちは庭のほうへと押し流された。
しかしさすがに島の支配者の敷地だけあり、衛兵の数が思いのほか多い。
誰も紋唱術を使えないので大した脅威ではないが、散らし続けるのもなかなか厄介だ。
かといって無関係な人間は極力傷つけたくはない。
トレアニを連れてくるのはフランジェたちに任せ、ミルンたちは邸宅の入り口前で衛兵たちを寄せ付けないように専念した。
怪我どころか気絶さえさせていないので、ちょっと遠くに散らしても衛兵たちはすぐに戻ってくる。
目的不明の暴漢と化した外国人ふたりを捕らえるのに、彼らのほうでは手加減の必要など一切ないわけで、槍が容赦なく何度も突き出された。
防御の術などでやり過ごしながらひたすらフランジェたちが戻るのを待つ。
そこへ、急に槍とはまったく違う攻撃が叩き込まれた。
細く伸びた薄紫色の雷が、矢のようにミルン目がけて飛んできたのだ。
ミーが炎の壁を張ってくれたので何ら問題はなかったが、それはつまり、新たな相手の出現を意味していた。
ただの衛兵ではない、紋唱術の使い手。
島主の一族の誰か。
衛兵たちが急にざっとミルンたちの前から引いた。そこに男女が二組、並んで立っている。
黒髪の若い男性がひとり、その隣には見覚えのある修道女。
それから赤毛で恰幅のよい中年の男性と、同じ年齢くらいの黒髪の女性。こちらは夫婦なのだろう、どことなく寄り添っている。
「なぜです、……どうしてあなたがたが……」
震える声でそう言ったのはシウリだった。
恐らく彼女の隣はウルバヤ家のオトマという人物で、夫婦のほうはラスラハヤ家のナーシュマとエレイリなのだろう。
ナーシュマらしき男性は怒りを露わにこちらを睨んでおり、エレイリと思われる女性は涙ぐんでいる。
緊急事態だったせいか、夫妻は素手で、島主一族のうちで手袋を着けているのはオトマだけだった。
「大陸の客人よ、我が一族の地で何ゆえこのような狼藉を働くのか!」
「オトマよ、このような者どもを客人などとは呼ばんでよい、今すぐひっ捕らえろ。よりによって我が娘を狙うとは……ッ」
「むろんです。トレアニは私にとっても大切な従妹ですから。
……しかしさすがに大陸の術者、かなり腕が立つように見えます。私も本気を出さなければ。シウリ、きみは下がっていなさい」
「はい、お気をつけて」
指を構えながら、早いな、とミルンは思った。
確かにけっこうな騒ぎにはなってしまったが、というか敢えてそうしたのだが、この四人だけ妙に早く来た。
他の島主の人間はまだ姿を見せていないのに。
そもそもここに無関係なシウリがいるのがおかしいのだ。
つまり、……恐らく彼女は源命院で聞き耳を立てていて、いち早くミルンたちの襲撃をオトマに知らせたのだろう。
彼女はスニエリタと同じくらいおとなしい風貌をしているが、油断ならないものだ。
「何でこんなことをするのか、って言ったな、あんた」
空中を踊るように指を滑らせ、紋章を描く。ひとつ。ふたつ。みっつ。
「逆に聞かせてくれ。なんであんたらはそんなことをしてるのか」
「何の話だ?」
「トレアニについてに決まってる。あんただって一族なら知ってるんだろ? 彼女が」
ミルンが言いかけたところで、オトマの顔が青ざめた。
やはりこの男も知っているのだ。
いや知らないはずがない。
この柵と塀の内側に暮らしている人間なら、そこで働いていたあの門番でさえ知っていた『事実』を、知らずに生きていくことなど不可能なのだ。
ただひとり、トレアニ──いや、ララキだけは、何も知らされず。気づくことがないように行動を制限して。
オトマだけではない。
そこまで離れてはいないラスラハヤの夫妻やシウリにも、ミルンの声は聞こえていたのだろう、それぞれの顔が強張っている。
やめろ、とナーシュマが呟き、やめて、とエレイリが泣きそうな声で言い、シウリは口許を覆って顔を伏せる。
背後で何かが騒がしい。ようやく獣たちが戻ってきたのだろうか。
「ほんとうはもう」
「やめろ! 言うんじゃない! だいいち貴様がなぜ知っているっ!?」
「……え、なぁに、この……」
「くッ──刻陰の紋!」
オトマの指が迸り、雷の術がミルンを襲う。
しかしこちらは既に準備を整えていた術を発動させ、水流が雷を飲み込んで破裂し、そこから細かな氷の矢が雨あられとオトマに降り注いだ。
むろん怪我をさせるつもりはないので威力は抑えてある。
ミルンは振り返り、ララキの顔をした少女とスニエリタが一緒にいるのを確かめると、ようやく吐き出すように続きを言った。
「……ほんとうはもう、トレアニ・ラスラハヤは死んじまってるんだろ。五ヶ月前に」
「やめろぉぉぉおお!!」
オトマが絶叫し、エレイリが泣き崩れ、シウリが彼女を支える。
その中から飛び出してきたのはナーシュマだった。
絶望に塗れた眼差しで、男性は振りかぶるようにむき出しの拳をミルンへと叩きつける。
だが、……その拳が届くことはない。
紋章は三つ書いていた。三番目はこうなった場合用の、防御の術だ。
ナーシュマの手は薄い氷壁を砕いただけで終わった。
そのまま力なく垂れ下がるのを、ミルンもなんとも言えない気持ちで見つめていた。
「ど、……どういうこと? この人は何を言ってるの? わたくしならこんなに元気よ、ねえ……どうしてお母さまはそんなに泣いていらっしゃるの……?」
「……トレアニさん。あのお庭にある石が、見えますか」
「え? ええ、見えるわ」
『あれにトレアニさんのお名前が書いてあるんです。
それから生没年も。
……あれはお墓ですよね、島主の皆さん』
「ちょ、ちょっと待ってウサギちゃん、わたくしはまだ生きてるわ! ほら! 幽霊じゃないでしょ?」
「気づきませんか?」
困惑するトレアニに、スニエリタが指差したのは、邸宅の入り口だった。
立派な造りの玄関の扉は開け放たれている。
中の広々としたホールも、そこから二階へと続いていく絨毯敷きの豪奢な階段も、ミルンの位置からでもよく見える。
トレアニはぽかんとしてそれらを眺めて、あれえ、と気の抜けた声で言った。
「わたくし、お外に出てきちゃった……でも大丈夫みたい……」
「邸の外に出ると倒れる、ってのは墓石を見せないための方便なんだろ。
だいたい病人を囲う類の結界医療術はまだ大陸でも実用化はされてない。こういう離島で大陸より医療紋唱が発達してるとは思えないしな」
「つまり、あなたがたはこの方が、ほんとうはトレアニさんではないことを知っていたんですよね?」
「えっ、え、えええ?」
まだまだ困惑するトレアニだったが、そのうちエレイリ夫人が泣きながら、血を吐くような悲痛な声で答えてくれた。
長患いの末に最愛の娘を失って、夫妻がどれだけ悲しんだのかを。
その痛みは永遠に癒されないと彼らは思っていた。
そんなとき、この庭に突然『トレアニ』が現れた──娘と同じ肌と髪の色をした少女が。
しかも眼を醒ました彼女は夫妻を見て、父と、母と、呼んだのだ。
娘が生き返ったのだとしか思えなかった。
顔は少し違うし、頭からは羽毛が生えている、しかも身体のあちこちに奇妙な消えかけの刺青がある、などおかしな部分がいくつもあったけれど、そんなことはどうでもよかった。
トレアニが戻ってきてくれたのだ。
誰がなんと言おうとこの娘はトレアニだ。
そうして今日まで秘密を守ってきた。
島民たちは知らない。
悲しみが深すぎて、トレアニの葬儀すらまともに行えていなかったこともあり、島主家に出入りする人間以外はこの事実に気づきようもなかった。
呆然としてその話を聞いていたのは、誰あろうトレアニ本人だ。
いや、違う。
「ちゃんと葬式を出してやってくれ。でもって、こいつは返してもらう。俺たちの仲間なんだ」
「ま、待ってよ!」
トレアニが声を上げ、スニエリタの手を振りほどいて、ミルンのところに走ってきた。
似合いもしないドレスを着て、上半分結い上げただけの長い髪を振り乱しながら。
涙さえ浮かべているその顔を見て、ミルンは深く溜息をつく。
──頼むから、これ以上こいつを泣かせるのはやめてくれよ、アフラムシカ。
→
フランジェから話を聞き終えたミルンとスニエリタは、しばらく無言だった。
彼女の見聞きしたことから考えると、時間をかけて穏便に済ませるべき状況ではないのかもしれない、とミルンは思った。
しかし問題は向こうがどの程度受け入れてくれるかだ。
トレアニ自体はミルンたちが接触すれば、タヌマン・クリャが記憶の修正を行ってくれるだろうが、娘を失うことになるラスラハヤ家の人間はきっと抵抗するだろう。
戦闘になった場合、何人くらいを相手にしなければならないのか。
島主たちの腕はどれほどのものなのか。
ラスラ島に来てまだ日が浅く、島主たちの紋唱術どころか当人たちの姿すらまだまともに見ていないのに、対策など立てようもない。
いざとなったらクリャに頼んで力押し、したいところだが当てにしてよいものか。
そのクリャはラスラ島に来てからというもの、めっきり姿を見せなくなってしまっていた。
話しかければ返事はしなくもないが、これまでのように長々とくっちゃべることはなく、必要最低限のことだけ話してすぐに黙ってしまう。
ある意味静かでいいが、作戦は立てづらい。
ミルンはあれこれ考えながら頭をわしわし掻いた。そしてふと、自分の手が額に触れていることに気づいた。
そこに以前、ヌダ・アフラムシカのキスを受けていることも。
あれから一切音沙汰がないが、彼はどうしているのだろうか。
たしか世界を支配してしまったドドとかいう神の注意を引く陽動役をするとか言っていたが。
「……いや、ここで責任取らないで盟主はねえだろ」
ぼそりと呟いたミルンに、スニエリタがまたあの悲しそうな眼を向ける。
今朝、彼女が泣きじゃくっていたのは、誰あろうララキを案じてのことだった。
「俺らが悩んでも仕方がない。おい、クリャ、当然そっちもそれなりの準備はしてあんだろ?」
『まあ……そのためにここに来たようなものだからな、私は』
「ならいい。よし、スニエリタ、行こう」
「はい」
ふたりは立ち上がり、手袋を確認して部屋を出た。
この際なので荷物も持っていく。
そのまま外へ出てまっすぐに町の中心部へと向かう。
もちろん行き先は島主一族の邸宅が連なる区域、大通りを渡ったところにある、敷地内へ入るための門のひとつだ。
見知らぬ外国人がふたりもやってきたのを見て、門番は不思議そうな顔をしている。
そしてふたりが門を開けてくれるように言うと、困ったように首を振った。
当たり前だ。
だが、今はそれで引き下がっていいときではない。
「開けてくれ。トレアニ・ラスラハヤに用があるんだ」
「いや、あんたら島の外の人間だろ、なんだってトレアニお嬢さ……トレアニだって!?」
「その反応、どうやら事情をご存知のようですね。だったらどうか開けて、わたしたちを通してください」
「い、いいやそんな訳にはいかんよ!」
「悪いけど、開けてもらえないならこっちは実力行使させてもらうぜ。
──我が友は喝采する!」
紋章から飛び出したクマを見て門番が腰を抜かす。
むろんミーに彼を傷つけさせるつもりはなく、ミーは彼を無視して門に手をかけた。
獣の力を持ってすれば容易に開いていく門に、門番は血相を変えて縋りつき、やめてくれと叫ぶようにして言う。
騒ぎを聞きつけて他の衛兵たちも駆け寄ってくる。
みんな短刀や槍など原始的な装備のみで、見たところ対紋唱術用の防護服などは着ていないため、スニエリタが風の術を使って怪我をさせない程度に引かせた。
ミルンはついでにシェンダルも出し、フランジェに先行させて、彼女がトレアニの元までの道を案内するのを妨害されないように護衛させる。
衛兵たちの槍は彼らに届くことなく氷の壁に遮られ、そのあとを追うミルンが放った水流によって、衛兵たちは庭のほうへと押し流された。
しかしさすがに島の支配者の敷地だけあり、衛兵の数が思いのほか多い。
誰も紋唱術を使えないので大した脅威ではないが、散らし続けるのもなかなか厄介だ。
かといって無関係な人間は極力傷つけたくはない。
トレアニを連れてくるのはフランジェたちに任せ、ミルンたちは邸宅の入り口前で衛兵たちを寄せ付けないように専念した。
怪我どころか気絶さえさせていないので、ちょっと遠くに散らしても衛兵たちはすぐに戻ってくる。
目的不明の暴漢と化した外国人ふたりを捕らえるのに、彼らのほうでは手加減の必要など一切ないわけで、槍が容赦なく何度も突き出された。
防御の術などでやり過ごしながらひたすらフランジェたちが戻るのを待つ。
そこへ、急に槍とはまったく違う攻撃が叩き込まれた。
細く伸びた薄紫色の雷が、矢のようにミルン目がけて飛んできたのだ。
ミーが炎の壁を張ってくれたので何ら問題はなかったが、それはつまり、新たな相手の出現を意味していた。
ただの衛兵ではない、紋唱術の使い手。
島主の一族の誰か。
衛兵たちが急にざっとミルンたちの前から引いた。そこに男女が二組、並んで立っている。
黒髪の若い男性がひとり、その隣には見覚えのある修道女。
それから赤毛で恰幅のよい中年の男性と、同じ年齢くらいの黒髪の女性。こちらは夫婦なのだろう、どことなく寄り添っている。
「なぜです、……どうしてあなたがたが……」
震える声でそう言ったのはシウリだった。
恐らく彼女の隣はウルバヤ家のオトマという人物で、夫婦のほうはラスラハヤ家のナーシュマとエレイリなのだろう。
ナーシュマらしき男性は怒りを露わにこちらを睨んでおり、エレイリと思われる女性は涙ぐんでいる。
緊急事態だったせいか、夫妻は素手で、島主一族のうちで手袋を着けているのはオトマだけだった。
「大陸の客人よ、我が一族の地で何ゆえこのような狼藉を働くのか!」
「オトマよ、このような者どもを客人などとは呼ばんでよい、今すぐひっ捕らえろ。よりによって我が娘を狙うとは……ッ」
「むろんです。トレアニは私にとっても大切な従妹ですから。
……しかしさすがに大陸の術者、かなり腕が立つように見えます。私も本気を出さなければ。シウリ、きみは下がっていなさい」
「はい、お気をつけて」
指を構えながら、早いな、とミルンは思った。
確かにけっこうな騒ぎにはなってしまったが、というか敢えてそうしたのだが、この四人だけ妙に早く来た。
他の島主の人間はまだ姿を見せていないのに。
そもそもここに無関係なシウリがいるのがおかしいのだ。
つまり、……恐らく彼女は源命院で聞き耳を立てていて、いち早くミルンたちの襲撃をオトマに知らせたのだろう。
彼女はスニエリタと同じくらいおとなしい風貌をしているが、油断ならないものだ。
「何でこんなことをするのか、って言ったな、あんた」
空中を踊るように指を滑らせ、紋章を描く。ひとつ。ふたつ。みっつ。
「逆に聞かせてくれ。なんであんたらはそんなことをしてるのか」
「何の話だ?」
「トレアニについてに決まってる。あんただって一族なら知ってるんだろ? 彼女が」
ミルンが言いかけたところで、オトマの顔が青ざめた。
やはりこの男も知っているのだ。
いや知らないはずがない。
この柵と塀の内側に暮らしている人間なら、そこで働いていたあの門番でさえ知っていた『事実』を、知らずに生きていくことなど不可能なのだ。
ただひとり、トレアニ──いや、ララキだけは、何も知らされず。気づくことがないように行動を制限して。
オトマだけではない。
そこまで離れてはいないラスラハヤの夫妻やシウリにも、ミルンの声は聞こえていたのだろう、それぞれの顔が強張っている。
やめろ、とナーシュマが呟き、やめて、とエレイリが泣きそうな声で言い、シウリは口許を覆って顔を伏せる。
背後で何かが騒がしい。ようやく獣たちが戻ってきたのだろうか。
「ほんとうはもう」
「やめろ! 言うんじゃない! だいいち貴様がなぜ知っているっ!?」
「……え、なぁに、この……」
「くッ──刻陰の紋!」
オトマの指が迸り、雷の術がミルンを襲う。
しかしこちらは既に準備を整えていた術を発動させ、水流が雷を飲み込んで破裂し、そこから細かな氷の矢が雨あられとオトマに降り注いだ。
むろん怪我をさせるつもりはないので威力は抑えてある。
ミルンは振り返り、ララキの顔をした少女とスニエリタが一緒にいるのを確かめると、ようやく吐き出すように続きを言った。
「……ほんとうはもう、トレアニ・ラスラハヤは死んじまってるんだろ。五ヶ月前に」
「やめろぉぉぉおお!!」
オトマが絶叫し、エレイリが泣き崩れ、シウリが彼女を支える。
その中から飛び出してきたのはナーシュマだった。
絶望に塗れた眼差しで、男性は振りかぶるようにむき出しの拳をミルンへと叩きつける。
だが、……その拳が届くことはない。
紋章は三つ書いていた。三番目はこうなった場合用の、防御の術だ。
ナーシュマの手は薄い氷壁を砕いただけで終わった。
そのまま力なく垂れ下がるのを、ミルンもなんとも言えない気持ちで見つめていた。
「ど、……どういうこと? この人は何を言ってるの? わたくしならこんなに元気よ、ねえ……どうしてお母さまはそんなに泣いていらっしゃるの……?」
「……トレアニさん。あのお庭にある石が、見えますか」
「え? ええ、見えるわ」
『あれにトレアニさんのお名前が書いてあるんです。
それから生没年も。
……あれはお墓ですよね、島主の皆さん』
「ちょ、ちょっと待ってウサギちゃん、わたくしはまだ生きてるわ! ほら! 幽霊じゃないでしょ?」
「気づきませんか?」
困惑するトレアニに、スニエリタが指差したのは、邸宅の入り口だった。
立派な造りの玄関の扉は開け放たれている。
中の広々としたホールも、そこから二階へと続いていく絨毯敷きの豪奢な階段も、ミルンの位置からでもよく見える。
トレアニはぽかんとしてそれらを眺めて、あれえ、と気の抜けた声で言った。
「わたくし、お外に出てきちゃった……でも大丈夫みたい……」
「邸の外に出ると倒れる、ってのは墓石を見せないための方便なんだろ。
だいたい病人を囲う類の結界医療術はまだ大陸でも実用化はされてない。こういう離島で大陸より医療紋唱が発達してるとは思えないしな」
「つまり、あなたがたはこの方が、ほんとうはトレアニさんではないことを知っていたんですよね?」
「えっ、え、えええ?」
まだまだ困惑するトレアニだったが、そのうちエレイリ夫人が泣きながら、血を吐くような悲痛な声で答えてくれた。
長患いの末に最愛の娘を失って、夫妻がどれだけ悲しんだのかを。
その痛みは永遠に癒されないと彼らは思っていた。
そんなとき、この庭に突然『トレアニ』が現れた──娘と同じ肌と髪の色をした少女が。
しかも眼を醒ました彼女は夫妻を見て、父と、母と、呼んだのだ。
娘が生き返ったのだとしか思えなかった。
顔は少し違うし、頭からは羽毛が生えている、しかも身体のあちこちに奇妙な消えかけの刺青がある、などおかしな部分がいくつもあったけれど、そんなことはどうでもよかった。
トレアニが戻ってきてくれたのだ。
誰がなんと言おうとこの娘はトレアニだ。
そうして今日まで秘密を守ってきた。
島民たちは知らない。
悲しみが深すぎて、トレアニの葬儀すらまともに行えていなかったこともあり、島主家に出入りする人間以外はこの事実に気づきようもなかった。
呆然としてその話を聞いていたのは、誰あろうトレアニ本人だ。
いや、違う。
「ちゃんと葬式を出してやってくれ。でもって、こいつは返してもらう。俺たちの仲間なんだ」
「ま、待ってよ!」
トレアニが声を上げ、スニエリタの手を振りほどいて、ミルンのところに走ってきた。
似合いもしないドレスを着て、上半分結い上げただけの長い髪を振り乱しながら。
涙さえ浮かべているその顔を見て、ミルンは深く溜息をつく。
──頼むから、これ以上こいつを泣かせるのはやめてくれよ、アフラムシカ。
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由緒正しき伯爵家の令嬢で「聖女」でありながらも、縁談はなく、婚約は妹に先を越されてしまう。
体が成長しないのは「魔法ではなく病気」と言われ、実家で幽閉される危険を感じるに至り、心機一転王都の寄宿学校に入学することに。
体は成長を止めても、心は15歳。外の世界に興味津々。
思い切って学校を飛び出し、食事のためにとあるカフェを訪れる。
そのカウンターの隅で、「聖獣」と出会う。
「見た目は猫」でよくなついてくるので、仲を深めていくが……?
猫? 聖獣?
一方、「結婚した暁には何不自由なく過ごせる、生涯安泰優良物件」とまで言われていた妹の婚約相手が、なぜかリーズロッテにかまってきて……!?
※「王子様カフェにようこそ!〜秘密の姫君は腹黒王子に溺愛されています〜」のサイドストーリーですが、独立した作品としてお読み頂けます。「王子様カフェ」では第二章で聖獣の正体が出てきます。
※以前掲載していたものを改稿し、続きのエピソードを追加しています。
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