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西の国 ヴレンデール

046 ルーダン寺院② / 捜索する者たち②

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 フォレンケは、勇敢で、なおかつ賢い神だという。ちなみに獣の姿はたいていヤマネコと言われているそうで……あまり勇ましそうではない。
 ともかくフォレンケの加護あってヴレン人の国は栄え、大陸西方を広く支配するに至り、今日のヴレンデールを建国した。

 なお、その当時のヴレンデールには今のハーシ西部も含まれており、そのあたりの話を聞いているときのミルンの表情はあまり芳しくなかった。
 マヌルドコンプレックスが目立つミルンだが、彼の出身民族が主に支配を受けたのはヴレンデールなのである。

 ただマヌルドに比べてヴレンデールの支配は緩かったらしい。ヴレンデール領内の青ハーシ族を中心にハーシ族の独立運動が始まり、クシエリスルの成立に合わせてヴレンデール北部の分割を果たす。
 そこから時間をかけてマヌルドから赤ハーシ族が独立運動を起こし、両者が結びついてようやくハーシ連邦が成立したのだが、まあそれは今は関係ない。
 大事なのはクシエリスルのくだりだ。

 フォレンケは盟主の七柱にこそ入らないが、大陸の神々の中では早い段階でクシエリスルを受け入れたというのだ。
 それがハーシ族の独立を助け、また領内のほかの諸部族の自治権獲得などを進めた要因にもなったらしい。

「どうしてフォレンケはクシエリスルを受け入れたんでしょう?」
「え、ええと……フォレンケさまは、もともとあまり戦うことを好まれない神だそうです……ご覧のとおり実りの少ない土地なので、助け合いを大切にしておられるとか」
「まあ、そうなんですね」

 タイカくんも修行僧とはいえ男の子であるので、スニエリタに質問されると顔を真っ赤にして答えている。
 顔もあんまり直視できないし、手元なんかもじもじさせていて、かわいいなあとララキは思った。

 スニエリタもこういうとき相手の顔をじっと見つめる癖があるから、なおさら追い詰めている感じだ。

「でも不思議ですわね、主神が争いを好まない神でありながら、ヴレンデールが一時はマヌルドに匹敵する大国の座に昇りつめたというのは」
「は、はい……それはですね、えっと、皆さまは忌神というものをご存知ですか?」

 急に思わぬ単語が出てきたので三人は顔を見合わせる。
 ここでなぜ忌神の話題に繋がったのかよくわからないが、スニエリタの質問がよかったらしい。地元民から話を聞けるなんて願ったり叶ったりだ。

 よく知らないのでぜひ詳しく教えてほしい、と揃ってタイカくんに詰め寄ったので、幼い修行僧はちょっと涙目になってしまった。ごめんね。

 まずタイカくんは忌神という概念そのものの説明をした。それは概ねロディルとミルンから聞いたのと同じような内容だった。
 彼らが死者の神であり、ヴレンデールを中心に大陸西部で広く信仰されていること、忌神のことはあまり口に出してはいけないことなど。

 そして、ここは寺院の神聖なカラーンの中なので、多少は忌神の話をしても問題ないらしい。
 神なのに悪霊と同じような扱いなのか。

「このカラーンの地下に、忌神さまをお祀りする霊壇があります。そちらはご案内はできませんが。
 ルーダンではサイナさまという忌女神いめがみをお祀りしています。忌神でも珍しい……というか、たぶん女性の忌神は世界でもここだけだ、と言われてます。私たちは死んだらサイナさまの元に下りていくので、生きているうちにしっかり忌神さまをお祀りしていないと、死後にとても苦労するのだそうです」

 なんでも信仰心の薄い者や悪いことをした者は死後、忌神の元で過酷な労働をさせられるらしい。
 なのでこの地方の子どもたちは、いたずらなどをすると「忌神さまに連れていかれるよ!」と脅されるのだそうだ。

「その忌神さまたちの中でいちばんお強い、いわば頭が、ガエムトさまです。ガエムトさまは大変に荒々しい神でして、忌神でありながらクシエリスルの盟主にも名前を連ねておられます。
 ガエムトさまのすごいところは、忌神であるがゆえ、生者の神の領域を無視できるのです。なんならその加護さえ破って戦われるとか。
 ヴレン僧兵は、戦って死ぬのはガエムトさまの元に下りることで、大変な名誉と考えておりましたので、それはもう勇猛果敢でした。しかも、戦って相手を殺してしまうことさえ、ガエムトさまへ献上するという考えで」
「……そういう話を聞くと、逆によくクシエリスルを受け入れたな、と思っちゃうな……でもガエムトが盟主ってことは、フォレンケより先なんだよね。不思議だなあ」
「そうですね。よほどクシエリスルの他の盟主の方がたが懐の広い神々であらせられたのでしょう」

 すごい時代があったんだなあ、とララキは大陸の過去に思いを馳せた。

 どんなに歴史書を読んでも、遺跡や教会で話を聞いても、未だにすべては信じられない。今こんなに平和なこの世界がそんなふうに荒れ狂っていたことも、神々が対立していたことも、今ある幾つかの国がかつては存在すらしていなかったことも。
 しかも、そんなめちゃくちゃな世界を纏め上げたクシエリスル合意のことも。
 合意成立以前の歴史の荒れっぷりからすると絶対に不可能だとしか思えないが、事実として現代はこのように落ち着いているのだから、それを成し遂げた神々は確かにいるのだ。

 誰がそれを言い出して、どうやって仲間を増やしたのだろう。
 他の神の加護さえ破ってしまうような、めちゃくちゃな忌神ガエムトにさえそれを受け入れさせたのは、誰なんだろう。

 そして、どうしてタヌマン・クリャだけは、それを受け入れられなかったのだろう。

 ほんとうに色んな神がいる。攻撃的なヴニェク・スー、温和なルーディーン、意地悪なゲルメストラ、そして優しいシッカ。
 フォレンケや、サイナや、ガエムトはどんな神だろう。語りかけてみようか。

 ……今までのタイカくんの話からしてガエムトに語りかけるのはかなり勇気が要りそうだけど。

 それにここはガエムトの信仰地域とはちょっとズレているようだ。サイナという忌女神も気になるは気になるが、ここはまずフォレンケから接触を試みるべきだろうか。
 争いを好まない神だと言っていたし、このあたりはふつうの神と忌神がいわば二重に信仰されている状態のようだから、仲介を頼むにはちょうどいいかもしれない。

 ──ヴレンデールの神フォレンケさま。あたしは……。



   * : * : *



 ヴァルハーレは驚愕の表情でそれを見ていた。
 空に跳ね上がった己の紋唱が、行き場をなくしてぐるぐるとその場で回転している。そして、そのまま萎むようにして消えてしまった。

 それを隣で見ていたロンショットも真っ青になっていたが、彼も自分で紋唱を行った。
 あらゆる探索紋唱を、知るかぎり打ち尽くす。そのどれもが道筋を示せない。それ自体は前にも見ていた光景だったが、今の焦燥はそのときの比ではない。
 ヴァルハーレもまた紋唱を行ったが、同じ結末だけが何度も繰り返されるだけだった。

 スニエリタの行方が完全に追えなくなったのだ。レンネルク小隊がワクサレアで謎の全滅を遂げてからたった二日後のことだった。

 ヴァルハーレなら妨害さえ無視して追跡できるはずだったのに、それさえも拒まれる。そんなことは今までありえなかった。
 だが、拒まれているのではないとすれば、その答えはただひとつ。スニエリタがすでにこの世に存在していないということだけ。

 そんなことがあっていいはずがない。そんな勝手は許されない。

 何度目かの紋唱の消滅を目の当たりにしながら、ヴァルハーレの腹の底にあったのは、理不尽な怒りだった。
 条理に適った怒りではないことを自覚してさえいたが、もともとヴァルハーレは己を聖人君子などとは思わない。マヌルド社会を生き抜くためにあらゆるものを利用して、喰らえるものはすべて食い潰していくのが流儀だとすら考えているのだ、傍から見れば悪人でしかないのは当然だろう。

 そんな自分の人生設計に必要なものがひとつ、勝手にいなくなった。
 ヴァルハーレはなんとしてもスニエリタを手に入れて、クイネス家の地位と名誉を己のものにしなくてはならないのに、肝心の娘がいなければそれが叶わないではないか。

 失踪したのはまあいい。すぐに連れ戻せばいいからだ。一度でもアウレアシノンに戻ってこさせれば、年齢はもう結婚が認められるのだ、将軍を説き伏せて籍を入れさえすればあとはもう用などない。
 結婚後の振る舞いに干渉する気もさらさらないし、外に男を作ろうが好きにさせようと思っていた。

 それが、いなくなった挙句に、勝手に死んだだと?

 スニエリタがいればこそヴァルハーレはクイネス家を狙うことができるのに。彼女が死んだとなると、クイネスの親族がこぞって将軍の後継者の地位を奪い合うだろう。
 将軍の心象的にも法律上の制約的にも、血縁関係にないヴァルハーレはかなり不利になる。

「……ロンショット。このことはまだ将軍には報告するなよ」

 呪詛のような声音でそう告げると、ロンショットは恐ろしいものを見たような顔でヴァルハーレを見た。その中にわずかに軽蔑の色が滲んでいるのもわかる。
 くそ真面目で有名な、今どき珍しいくらいに何の噂も囁かれない少佐からすれば、きっとヴァルハーレはとんでもない俗物に見えているのだろう。

 そんなものはどうだっていい。誰に何と思われようと、何人の女が泣こうが構わない。

 だが、スニエリタが死ぬことだけは許さない。死にたければ籍を入れてから死ね。

「ですが、これはもう……」
「落ち着いて考えろロンショット少佐。相手はレンネルク小隊を全滅に追いやったほどの実力者なんだ。スニエリタの身を隠して、我々の追跡を完全に拒むことだって可能だろう。……彼女が死んだと考えるのはまだ早い。
 それに、将軍がそんなことを知ったら衝撃で何をしでかすかわからない。あの人はいざとなれば何でもやる」
「……、わかりました。将軍には調査中と伝えておきます」
「ああ、それでいい。僕はこれから定期的に探索紋唱を行う。相手も四六時中妨害を張り続けていられるほど暇ではないだろうからな。そして、いざとなったら僕が直接出向いて彼女を救出する」
「その際は私も同行させてください」

 ロンショットは敬礼して、儀礼場を出て行った。

 強い眼差しだった。ともすれば涙の代わりに血でも流しそうなほど。
 前から気になってはいたが、どうやらロンショットという男は、スニエリタに対して特別な感情を持っているようだった。

 彼が長いこと将軍の部下をしていてクイネス家とも付き合いが深いことは承知している。スニエリタのことも幼いころから知っているらしく、ヴァルハーレとスニエリタが会って話をしていると、よく彼のことが話題に上がった。
 スニエリタも彼には心を開いているようだった。ヴァルハーレが見るかぎり、男として意識しているふうではなかったが。

 だが、女のほうがどう思うかなんてことは大した問題ではない。実際に関係が成立するとき、手を出すのは男のほうだ。力の差がある以上女から無理やり関係を推し進めることはできない。

 もしもロンショットがスニエリタに邪な感情を抱いているのなら、実力行使に及ばれるのはまずい。
 それだけなら将軍に殺されて終わるが、それをスニエリタが受け入れてしまうと、ヴァルハーレとの婚約が破棄されることも考えられる。残念ながらどんなにヴァルハーレが優秀でも、子爵より伯爵令嬢のほうが社会的に高いところにいる。

 スニエリタの救出、いや奪還に同行して、彼は何をするつもりだろうか。
 婚約者とはいえ最低限しか彼女の相手をしてこなかった男より、よく知っていて互いに気を許した仲である彼のほうが、彼女を説得するには向いているのだろうが、ヴァルハーレとしてはこれ以上やつをスニエリタに近付けたくなかった。スニエリタの心を動かす男なんていないほうがいい。

 もっともそれは、今まさにスニエリタを手中にしている何者かについても似たようなものだ。

 ただ、相手は恐らくマヌルド人でもなければ、恐らく社会的に地位のある人間でもない。スニエリタを合法的に手に入れられない程度の相手を恐れる必要はない。
 多少紋唱術の腕はいいようだが、ヴァルハーレが本気でマヌルド帝国軍を動かして破れない相手など存在しえないのだから。

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