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中央の国 ワクサレア
017 旅の計は特訓にあり
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紋唱術の訓練場は地下闘技場と同じく円形をしており、やはり特殊な紋章によって一種の結界のような状態に設計されていた。
結界、というとララキには嫌なものを思い起こさせるが、ここでは例によって場外に術が影響しないよう術的に封鎖されているという意味である。
またこの結界内においては遣獣も消耗しにくいということだったので、ふたりはさっそく手持ちの遣獣たちを呼び出した。
ララキはプンタンを。ミルンはミー、アルヌ、シェンダルを。
プンタンとミー以外のミルンの遣獣は初対面だったので、見た目だけは強面揃いの面子にカエルはおっかなびっくりのようすだ。対するアルヌとシェンダルは落ち着いたもので、シェンダルに至っては挨拶代わりにさっそくプンタンの尻の臭いを嗅いでいた。
動物的にはふつうの行動なのだろうが、なんか変態っぽいなとララキは思った。
『なんだよ、たまに呼んだと思ったら見たことない場所だし、なんかいっぱいいるし……』
『……ふん。オスか』
『なんかあからさまに残念みたいな顔されるし。
姉さーん、ここは一体どこなんだよ? イキエスじゃないよな? ていうかなんでそのボーズがいんの?』
「ワクサレアの首都の訓練場だよ。あのね、彼はミルンっていって、一緒に旅することになったの」
そういえばプンタンを呼ぶのはテバを出たとき以来だった。そういえばその頃はまだミルンとは同行するつもりはなかったのだ。ほんの数日前のことなのに、すっかり状況が変わってしまっている。
「よし、じゃあ俺たちはこっち側で。せっかくだし対戦形式でやろうぜ」
「何がせっかくなんだかぜんっぜんわかんないけど。おかしいでしょ四対二って」
「ふつう遣獣は数に入れん。だからこれで一対一だよ」
「そんな無茶な……」
「いいからとにかくかかってこい! おまえが先手でいいから、まずは得意なやつを全力でやってみろ」
すでにプンタンがビビってララキの後ろまで下がっている有様だったが、ララキは諦めて紋章を描き始めた。
得意なのは炎属性だ。というのもシッカがそうだから、少しでも彼の助けになれないかと思ってとくに一生懸命練習したらそうなっていた。今となってはそれより回復系の術をよく学ぶべきだったと思っているが。
ともかく手馴れたものをできるだけ丁寧に描き、放つ。
「傘火の紋!」
ちなみにこれは以前ネズミ駆除にも使用した術だ。一点に生じた炎が放射線状に広がって落ち、それがまるで傘を開いたように見えるというので、そういう名前になっている。
火花の傘は、ぱぁんと小気味よい音を立てて開いた。大きさはそこそこだったが、円の反対側の端に立っているミルンには届いていない。
「全力っつってるだろ。やりなおし」
「えーっ……あたしはこれが全力なんだけどもぉ……」
「ほんとに? ちゃんと想像してるか? アンハナケウに殴り込みかけてるイメージで撃ってるか?」
「どんなイメージ!? 殴り込みに行きたいわけじゃないんだけど!」
「それくらいの気持ちでやれってことだよ」
むむむ。唸りながらもう一度紋唱を始めるララキに、さらにミルンが言う。──じゃあ目の前でシッカが困ってると思ってやってみろ。
そんなに簡単にシッカの名前を出されても。
だいたいシッカが困っている状況というのはすでにララキが手も足も出ない状況でしかありえないのだが。それこそヴニェク・スーの使いの幻獣に襲われたときのように、ララキが困り果ててやっとシッカを呼び出すくらいなのに。
とはいえ、それは、ある意味この旅のことそのものでもある。シッカが消滅の危機に瀕しているから、ララキはもうこれ以上じっとしていられなくなって飛び出してきたのだ。
シッカを助けたい気持ちに嘘はない。そのためならなんだってやろうと思って旅に出たのだ。
そうだ。シッカの前で、できないなんて言いたくない。彼を助けるためにやらねばいけないことがあったとして、それを無力ゆえにできないララキでありたくはない。
強くならなくては。戦わなくては。
胸が震える。喉が熱い。その熱くなった息で、もう一度力強く宣言する。
「──傘火の紋っ!」
紋唱を受け、紋章はまばゆいほどの閃光を放った。寸暇ののちにそれは火花のつぼみへと変わる。
……はずだった。
「えっ……ええ~!?」
目前に浮かぶそれは、今まで見たことないぐらい巨大だった。ちょっとした球技用のボール並みの大きさで、もはや火花というよりは火の玉と表現したほうがいい。
次の瞬間、火の玉は轟音とともに破裂する。
その勢いと範囲はとても傘が開くなどというかわいらしいものではなく、ほとんど爆発と言っていい威力だった。
ララキはぽかんとしてそれを見つめていた。プンタンが咄嗟に水の防御壁を吐き出していてくれなければ、ふつうにララキ自身まで巻き込まれて吹っ飛ばされていただろう。
爆風が収まったあとも、凄まじい量の砂埃が舞い上がり、その中で空気がちりちりと燃え続ける。
ミルンもまた、遣獣たちの協力でなんとか防御が間に合っていたようだが、若干爆風を浴びて煤まみれになっていた。
しばらくお互い呆然として見つめあった。何が起きたのかわからなかった。ララキ自身にもわからないのにミルンにわかるはずもない。
長い沈黙のあと、先に口を開いたのはミルンだった。
「……や……、やりすぎだ!」
「ごめんあたしもびっくりした!」
『姉さんてばいきなり何すんだよ怖ぇよォ! オイラ死ぬかと思ったぜ!』
「プンタンもごめーん……ありがと守ってくれて……」
普段あまり頼りにしていなかったが、彼が遣獣でよかったとララキは今日このとき心から思った。
とりあえずその後もミルンの指示で同じように傘火の紋を繰り返し発動したが、爆発レベルの術が繰り返されることはなく、威力はまちまちだった。そこそこ大きくなるときもあれば、ネズミも倒せないくらいしょぼかったり、あとたまにちゃんと傘が開かないで火花がそのまま地面に落ちたりもした。
ずっと見ていたミルンから、どうしてこんなに不安定なんだと心底不思議そうに言われた。
しかも何度も繰り返しているせいかだんだん紋章を描くのが雑になってきているという指摘も受けた。図形の歪みや破綻、線の不均一もまた術の発動を不安定にする要因である。
とはいえ、気合を入れすぎてまた大暴発するのも困るし、と思うと描く手にも力が入らない。
「逆だよ。ちゃんと制御ができてりゃ、どんだけ気合が入ってようが自分の思った以上の威力にはならない。逆に多少手を抜いても最低限まともに発動はする。おまえ制御面がまるっきりなってないな」
「うう……それってどうすれば良くなるの?」
「わからん。まあひたすら練習あるのみなんじゃねえの」
ミルンにもよい方法が思いつかないようで、ここへきてアドバイスがやたら雑だった。
制御ねえ、とララキは呟く。
自分では毎回同じようにしているつもりなのだ。描くのが雑というのはまったくそのとおりなので今後は気をつけたいと思うが、それ以上の問題は、やはり制御ができていないという一点にある。どうしてできないのかララキ自身さっぱりわからない。
というかむしろ、ミルンや他の紋章術師たちがどうやって制御しているのかがいまいちわからなかった。
ミルンに聞いたところで返ってきた返事は「なんていうか感覚で」。てんで参考になりそうにない。
困り果ててプンタンにさえ聞いてみる。
彼らの力の使いかたは、形式こそ違えど紋唱の一種だ。人間と違って、手で描かずに神通力のようなもので紋章を浮かべ、招言詩の代わりに咆哮でもって術を発動している。
それがどういう仕組みなのかはよくわからないというか、少なくともララキは知らない。たぶん解明はされていない。
『制御ねえ……オイラたちは生まれつきでやってるかんなァ』
「やっぱり感覚でどうにかするの? じゃあさ、その感覚っていうのは具体的にどんな感覚?」
『って言われてもねェ。歩いたり息したり飛び跳ねたり歌ったりするのと同じさァ。まあオイラはとくに歌って力を使うから、なるたけ自分の好きなように、気持ちよく歌うのが信条だよ!』
「……それはカエル特有の感覚なんじゃ。でもそっかー、好きなようにってのはいいかもね」
思いどおりに紋唱が使えたらたしかに気持ちがいいだろうな、と思う。
いつだったかのネズミ駆除で焼いた床を修復したときも、苦手な樹の紋唱で緊張したけれど、ララキにしては上手くできたので、今に思い出してもけっこう気分がいい。毎回ああならいいのになあ。いや、あのときだって制御しようと必死でやってる最中はちっとも楽しくなかったか。
そこでふと、じつは樹のほうが制御できてる可能性があるのでは、という仮説が生まれた。
炎の紋唱が得意だというのはララキの勘違いだったのかもしれない。というかシッカのために新しい術の研究や練習にいちばん時間を割いたので、単純に使う頻度と手数が多くなって、それで得意になったと思い込んでいるだけなのでは。
ありえる。自分でもけっこう早とちりが多いという自覚はある。
新たな仮説を検証するべく、さっそくララキは樹の紋唱を思いつく限り描き始めた。
一方ミルンはララキを放置して自分の修練に入った。
向こうが気にならないでもないが時間は有限だ。
訓練場にしたっていくら無料とはいえ予約の要るもので、今日は運よくすんなり入れたが明日また使えるという保証はない。数日後に大きな祭りが控えているのだから、この街に滞在する紋唱術師の人口はこれから増えていくと考えられる。
得意な紋唱は水や氷に関連するものだ。これは今さら練習するまでもないので、腕が鈍らないように一度ひととおり描くだけでいい。
それより今日はもっと、風とか、炎とか、雷だとかの、普段使わないものを重点的にやる。
脳裏に浮かぶのは昨日の惨めな敗北だった。
ヤンザール・クラブには前にフィナナに滞在したときに何度か顔を出したが、あんなに一方的にやられたことはなかった。だいたいわざわざ参加して負けたことのほうが少ないのだ。
ミルンはこれでもカルティワの学校では首席に次ぐ成績で卒業したし、相手の腕前は最初に遣獣を呼び出すときの動作を見ていればある程度量ることができるとも思っている。参加前には相手を調べ、できるだけ先に試合のようすを見ておくし、昨日のような飛び入り参加のときでも相手の動きを見て立ち回るだけの実力はある。
ただ、スニエリタはこれまでの相手とは別格だった。
よくも悪くもああいった地下の非合法クラブには、ほんとうに実力のある人間はあまり参加しない。
実力があるというのはすなわち上級の訓練所で学んでいるということであり、そういう場所に入学費を払える人間は概して卒業後も経済的に安定しているため、身の危険を冒して法に触れる場所に向かう必要がないからだ。腕試しをしたいのなら公的に行われている試合に参加すればいいし、そのための金も充分持っている。
あそこは、悪い言いかたをすれば、術師の中でも低下層の掃き溜めなのだ。かろうじて地方の学校で認定証だけはもらえたが、その後に何らかの失敗をして流れてきた人間が辿り着くような場所。
正直未だにスニエリタが現れた意味がわからないでいる。彼女の立ち振る舞いは上流階級のそれだし、資金に困っているようすもなく、技術的にも非常に高い。
女性ゆえ役職や名誉にこだわらず奔放に振舞っているのかもしれないが、彼女が本来赴くべきは国家が主催するような名のある大会だ。
マヌルド帝国は男性優位の風潮が強い社会だとは聞くが、それでも貴族の子女ならある程度は自由が利くだろうに。
彼女はいったい何を求めて旅をしているのだろう。こうして行く先々で出逢うのも気になるが、もともと方向は同じだったのだ、まだ偶然と考えてもいいだろうか。
……考えごとをしながら描いた紋唱は、わずかにミルンの制御を外れて歪んだ形を発した。鳥の形をした雷光が、本来なら上へと羽ばたいていくはずだったが、その場に浮遊して動かない。
『坊ちゃん、どうしました?』
ミーが平手で鳥を叩き落とす。地面に叩きつけられ、ぱちんと爆ぜて消えた雷鳥が、ミルンには昨日の自分に重なって見えた。
「いや、ちょっといろいろあってな」
『わかるだろミーの姉御。ミルシュコもついに恋の季節さ』
『……まあ! お相手はどなたですか? 嫌ですよ坊ちゃん、そういうことはまず私に教えてくれませんと』
「ちっげぇよ!」
『わかるぞミルシュコ。俺もそうだった……そしてメスとは戦わないと誓ったんだな』
「誓ってねえわ! そしておまえは真面目に戦え!」
照れんなよー!と人の気も知らないで勝手に囃したてる妄想イノシシの頭を一発殴り、なぜかすまし顔の残念犬公の首を軽く絞めてから、気を取り直してもう一度。
翼を表す対の半円。雷を示す鉤形。──雷翔の紋。
紋章から飛び出した鳥型の稲光は、きらきらと輝きを散らしながら空を舞う。その姿にまた昨夜の光景が重なる。
悠然と羽ばたく大ワシの翼の狭間から、こちらを見下ろす彼女の顔が覗いていたのだ。冷たい眼差しだった。
恋?
そんなんじゃない。そんな甘ったれた軽い言葉で説明がつくほど、ミルンの心は単純に動いてはいない。
今頭にあるのは圧倒的な敗北の苦味と、それを越えようともがく四肢の痛みだけだ。
「次は勝つ……」
鳥がこちらを見下ろしている。挑発するように翼を広げ、ばりばりと不快な音を鳴らして。
ミルンはそれをまっすぐ見上げながら紋唱を続ける。指は幾つもの図形を紡ぐ。円、波線、多角形。
「練壌の紋!」
砂利の混じった泥が紋章から噴出し、うねりながら鳥を貫く。小さな爆発とともに鳥は消えた。
それでもミルンの中で、スニエリタの眼差しが消えることはなかった。まだあの眼に睨まれているような気がする。しょせんは奴隷民族の出の者だと、ひ弱で薄汚れた田舎者だと蔑すむ声さえ聞こえる。
被害妄想といえばそれまでだが、それでもミルンには聞こえるのだ。
首都でさんざん言われた。
──水ハーシ? どうやってカルティワまで出てこられたんだよ、道なんかありゃしないだろ?
ああそうか、森に棲んでるんだから獣道ぐらいいくらでも知ってるよな。
──俺たちとおまえが同じ人間だなんて思うなよ。俺たちは「白」だ。無染の色なんだ。
おまえらと違って奴隷じゃあないからな。
──なんで水の野郎と同じ教室なんだよ。あいつら沼に棲んでるんだぜ、机が泥臭くなったらどうしてくれんだ?
そんな言葉が、今度はきっと彼女の口から出てくるだろう。
この呪詛を止めるにはスニエリタに勝つしかない。勝って彼女の上に立たなければ、ミルンの心が穏やかになることはないのだ。そのためには強くならねばならない。
あと七日。いや、再戦まではもっと短い。その間に、今より強くなる。
→
紋唱術の訓練場は地下闘技場と同じく円形をしており、やはり特殊な紋章によって一種の結界のような状態に設計されていた。
結界、というとララキには嫌なものを思い起こさせるが、ここでは例によって場外に術が影響しないよう術的に封鎖されているという意味である。
またこの結界内においては遣獣も消耗しにくいということだったので、ふたりはさっそく手持ちの遣獣たちを呼び出した。
ララキはプンタンを。ミルンはミー、アルヌ、シェンダルを。
プンタンとミー以外のミルンの遣獣は初対面だったので、見た目だけは強面揃いの面子にカエルはおっかなびっくりのようすだ。対するアルヌとシェンダルは落ち着いたもので、シェンダルに至っては挨拶代わりにさっそくプンタンの尻の臭いを嗅いでいた。
動物的にはふつうの行動なのだろうが、なんか変態っぽいなとララキは思った。
『なんだよ、たまに呼んだと思ったら見たことない場所だし、なんかいっぱいいるし……』
『……ふん。オスか』
『なんかあからさまに残念みたいな顔されるし。
姉さーん、ここは一体どこなんだよ? イキエスじゃないよな? ていうかなんでそのボーズがいんの?』
「ワクサレアの首都の訓練場だよ。あのね、彼はミルンっていって、一緒に旅することになったの」
そういえばプンタンを呼ぶのはテバを出たとき以来だった。そういえばその頃はまだミルンとは同行するつもりはなかったのだ。ほんの数日前のことなのに、すっかり状況が変わってしまっている。
「よし、じゃあ俺たちはこっち側で。せっかくだし対戦形式でやろうぜ」
「何がせっかくなんだかぜんっぜんわかんないけど。おかしいでしょ四対二って」
「ふつう遣獣は数に入れん。だからこれで一対一だよ」
「そんな無茶な……」
「いいからとにかくかかってこい! おまえが先手でいいから、まずは得意なやつを全力でやってみろ」
すでにプンタンがビビってララキの後ろまで下がっている有様だったが、ララキは諦めて紋章を描き始めた。
得意なのは炎属性だ。というのもシッカがそうだから、少しでも彼の助けになれないかと思ってとくに一生懸命練習したらそうなっていた。今となってはそれより回復系の術をよく学ぶべきだったと思っているが。
ともかく手馴れたものをできるだけ丁寧に描き、放つ。
「傘火の紋!」
ちなみにこれは以前ネズミ駆除にも使用した術だ。一点に生じた炎が放射線状に広がって落ち、それがまるで傘を開いたように見えるというので、そういう名前になっている。
火花の傘は、ぱぁんと小気味よい音を立てて開いた。大きさはそこそこだったが、円の反対側の端に立っているミルンには届いていない。
「全力っつってるだろ。やりなおし」
「えーっ……あたしはこれが全力なんだけどもぉ……」
「ほんとに? ちゃんと想像してるか? アンハナケウに殴り込みかけてるイメージで撃ってるか?」
「どんなイメージ!? 殴り込みに行きたいわけじゃないんだけど!」
「それくらいの気持ちでやれってことだよ」
むむむ。唸りながらもう一度紋唱を始めるララキに、さらにミルンが言う。──じゃあ目の前でシッカが困ってると思ってやってみろ。
そんなに簡単にシッカの名前を出されても。
だいたいシッカが困っている状況というのはすでにララキが手も足も出ない状況でしかありえないのだが。それこそヴニェク・スーの使いの幻獣に襲われたときのように、ララキが困り果ててやっとシッカを呼び出すくらいなのに。
とはいえ、それは、ある意味この旅のことそのものでもある。シッカが消滅の危機に瀕しているから、ララキはもうこれ以上じっとしていられなくなって飛び出してきたのだ。
シッカを助けたい気持ちに嘘はない。そのためならなんだってやろうと思って旅に出たのだ。
そうだ。シッカの前で、できないなんて言いたくない。彼を助けるためにやらねばいけないことがあったとして、それを無力ゆえにできないララキでありたくはない。
強くならなくては。戦わなくては。
胸が震える。喉が熱い。その熱くなった息で、もう一度力強く宣言する。
「──傘火の紋っ!」
紋唱を受け、紋章はまばゆいほどの閃光を放った。寸暇ののちにそれは火花のつぼみへと変わる。
……はずだった。
「えっ……ええ~!?」
目前に浮かぶそれは、今まで見たことないぐらい巨大だった。ちょっとした球技用のボール並みの大きさで、もはや火花というよりは火の玉と表現したほうがいい。
次の瞬間、火の玉は轟音とともに破裂する。
その勢いと範囲はとても傘が開くなどというかわいらしいものではなく、ほとんど爆発と言っていい威力だった。
ララキはぽかんとしてそれを見つめていた。プンタンが咄嗟に水の防御壁を吐き出していてくれなければ、ふつうにララキ自身まで巻き込まれて吹っ飛ばされていただろう。
爆風が収まったあとも、凄まじい量の砂埃が舞い上がり、その中で空気がちりちりと燃え続ける。
ミルンもまた、遣獣たちの協力でなんとか防御が間に合っていたようだが、若干爆風を浴びて煤まみれになっていた。
しばらくお互い呆然として見つめあった。何が起きたのかわからなかった。ララキ自身にもわからないのにミルンにわかるはずもない。
長い沈黙のあと、先に口を開いたのはミルンだった。
「……や……、やりすぎだ!」
「ごめんあたしもびっくりした!」
『姉さんてばいきなり何すんだよ怖ぇよォ! オイラ死ぬかと思ったぜ!』
「プンタンもごめーん……ありがと守ってくれて……」
普段あまり頼りにしていなかったが、彼が遣獣でよかったとララキは今日このとき心から思った。
とりあえずその後もミルンの指示で同じように傘火の紋を繰り返し発動したが、爆発レベルの術が繰り返されることはなく、威力はまちまちだった。そこそこ大きくなるときもあれば、ネズミも倒せないくらいしょぼかったり、あとたまにちゃんと傘が開かないで火花がそのまま地面に落ちたりもした。
ずっと見ていたミルンから、どうしてこんなに不安定なんだと心底不思議そうに言われた。
しかも何度も繰り返しているせいかだんだん紋章を描くのが雑になってきているという指摘も受けた。図形の歪みや破綻、線の不均一もまた術の発動を不安定にする要因である。
とはいえ、気合を入れすぎてまた大暴発するのも困るし、と思うと描く手にも力が入らない。
「逆だよ。ちゃんと制御ができてりゃ、どんだけ気合が入ってようが自分の思った以上の威力にはならない。逆に多少手を抜いても最低限まともに発動はする。おまえ制御面がまるっきりなってないな」
「うう……それってどうすれば良くなるの?」
「わからん。まあひたすら練習あるのみなんじゃねえの」
ミルンにもよい方法が思いつかないようで、ここへきてアドバイスがやたら雑だった。
制御ねえ、とララキは呟く。
自分では毎回同じようにしているつもりなのだ。描くのが雑というのはまったくそのとおりなので今後は気をつけたいと思うが、それ以上の問題は、やはり制御ができていないという一点にある。どうしてできないのかララキ自身さっぱりわからない。
というかむしろ、ミルンや他の紋章術師たちがどうやって制御しているのかがいまいちわからなかった。
ミルンに聞いたところで返ってきた返事は「なんていうか感覚で」。てんで参考になりそうにない。
困り果ててプンタンにさえ聞いてみる。
彼らの力の使いかたは、形式こそ違えど紋唱の一種だ。人間と違って、手で描かずに神通力のようなもので紋章を浮かべ、招言詩の代わりに咆哮でもって術を発動している。
それがどういう仕組みなのかはよくわからないというか、少なくともララキは知らない。たぶん解明はされていない。
『制御ねえ……オイラたちは生まれつきでやってるかんなァ』
「やっぱり感覚でどうにかするの? じゃあさ、その感覚っていうのは具体的にどんな感覚?」
『って言われてもねェ。歩いたり息したり飛び跳ねたり歌ったりするのと同じさァ。まあオイラはとくに歌って力を使うから、なるたけ自分の好きなように、気持ちよく歌うのが信条だよ!』
「……それはカエル特有の感覚なんじゃ。でもそっかー、好きなようにってのはいいかもね」
思いどおりに紋唱が使えたらたしかに気持ちがいいだろうな、と思う。
いつだったかのネズミ駆除で焼いた床を修復したときも、苦手な樹の紋唱で緊張したけれど、ララキにしては上手くできたので、今に思い出してもけっこう気分がいい。毎回ああならいいのになあ。いや、あのときだって制御しようと必死でやってる最中はちっとも楽しくなかったか。
そこでふと、じつは樹のほうが制御できてる可能性があるのでは、という仮説が生まれた。
炎の紋唱が得意だというのはララキの勘違いだったのかもしれない。というかシッカのために新しい術の研究や練習にいちばん時間を割いたので、単純に使う頻度と手数が多くなって、それで得意になったと思い込んでいるだけなのでは。
ありえる。自分でもけっこう早とちりが多いという自覚はある。
新たな仮説を検証するべく、さっそくララキは樹の紋唱を思いつく限り描き始めた。
一方ミルンはララキを放置して自分の修練に入った。
向こうが気にならないでもないが時間は有限だ。
訓練場にしたっていくら無料とはいえ予約の要るもので、今日は運よくすんなり入れたが明日また使えるという保証はない。数日後に大きな祭りが控えているのだから、この街に滞在する紋唱術師の人口はこれから増えていくと考えられる。
得意な紋唱は水や氷に関連するものだ。これは今さら練習するまでもないので、腕が鈍らないように一度ひととおり描くだけでいい。
それより今日はもっと、風とか、炎とか、雷だとかの、普段使わないものを重点的にやる。
脳裏に浮かぶのは昨日の惨めな敗北だった。
ヤンザール・クラブには前にフィナナに滞在したときに何度か顔を出したが、あんなに一方的にやられたことはなかった。だいたいわざわざ参加して負けたことのほうが少ないのだ。
ミルンはこれでもカルティワの学校では首席に次ぐ成績で卒業したし、相手の腕前は最初に遣獣を呼び出すときの動作を見ていればある程度量ることができるとも思っている。参加前には相手を調べ、できるだけ先に試合のようすを見ておくし、昨日のような飛び入り参加のときでも相手の動きを見て立ち回るだけの実力はある。
ただ、スニエリタはこれまでの相手とは別格だった。
よくも悪くもああいった地下の非合法クラブには、ほんとうに実力のある人間はあまり参加しない。
実力があるというのはすなわち上級の訓練所で学んでいるということであり、そういう場所に入学費を払える人間は概して卒業後も経済的に安定しているため、身の危険を冒して法に触れる場所に向かう必要がないからだ。腕試しをしたいのなら公的に行われている試合に参加すればいいし、そのための金も充分持っている。
あそこは、悪い言いかたをすれば、術師の中でも低下層の掃き溜めなのだ。かろうじて地方の学校で認定証だけはもらえたが、その後に何らかの失敗をして流れてきた人間が辿り着くような場所。
正直未だにスニエリタが現れた意味がわからないでいる。彼女の立ち振る舞いは上流階級のそれだし、資金に困っているようすもなく、技術的にも非常に高い。
女性ゆえ役職や名誉にこだわらず奔放に振舞っているのかもしれないが、彼女が本来赴くべきは国家が主催するような名のある大会だ。
マヌルド帝国は男性優位の風潮が強い社会だとは聞くが、それでも貴族の子女ならある程度は自由が利くだろうに。
彼女はいったい何を求めて旅をしているのだろう。こうして行く先々で出逢うのも気になるが、もともと方向は同じだったのだ、まだ偶然と考えてもいいだろうか。
……考えごとをしながら描いた紋唱は、わずかにミルンの制御を外れて歪んだ形を発した。鳥の形をした雷光が、本来なら上へと羽ばたいていくはずだったが、その場に浮遊して動かない。
『坊ちゃん、どうしました?』
ミーが平手で鳥を叩き落とす。地面に叩きつけられ、ぱちんと爆ぜて消えた雷鳥が、ミルンには昨日の自分に重なって見えた。
「いや、ちょっといろいろあってな」
『わかるだろミーの姉御。ミルシュコもついに恋の季節さ』
『……まあ! お相手はどなたですか? 嫌ですよ坊ちゃん、そういうことはまず私に教えてくれませんと』
「ちっげぇよ!」
『わかるぞミルシュコ。俺もそうだった……そしてメスとは戦わないと誓ったんだな』
「誓ってねえわ! そしておまえは真面目に戦え!」
照れんなよー!と人の気も知らないで勝手に囃したてる妄想イノシシの頭を一発殴り、なぜかすまし顔の残念犬公の首を軽く絞めてから、気を取り直してもう一度。
翼を表す対の半円。雷を示す鉤形。──雷翔の紋。
紋章から飛び出した鳥型の稲光は、きらきらと輝きを散らしながら空を舞う。その姿にまた昨夜の光景が重なる。
悠然と羽ばたく大ワシの翼の狭間から、こちらを見下ろす彼女の顔が覗いていたのだ。冷たい眼差しだった。
恋?
そんなんじゃない。そんな甘ったれた軽い言葉で説明がつくほど、ミルンの心は単純に動いてはいない。
今頭にあるのは圧倒的な敗北の苦味と、それを越えようともがく四肢の痛みだけだ。
「次は勝つ……」
鳥がこちらを見下ろしている。挑発するように翼を広げ、ばりばりと不快な音を鳴らして。
ミルンはそれをまっすぐ見上げながら紋唱を続ける。指は幾つもの図形を紡ぐ。円、波線、多角形。
「練壌の紋!」
砂利の混じった泥が紋章から噴出し、うねりながら鳥を貫く。小さな爆発とともに鳥は消えた。
それでもミルンの中で、スニエリタの眼差しが消えることはなかった。まだあの眼に睨まれているような気がする。しょせんは奴隷民族の出の者だと、ひ弱で薄汚れた田舎者だと蔑すむ声さえ聞こえる。
被害妄想といえばそれまでだが、それでもミルンには聞こえるのだ。
首都でさんざん言われた。
──水ハーシ? どうやってカルティワまで出てこられたんだよ、道なんかありゃしないだろ?
ああそうか、森に棲んでるんだから獣道ぐらいいくらでも知ってるよな。
──俺たちとおまえが同じ人間だなんて思うなよ。俺たちは「白」だ。無染の色なんだ。
おまえらと違って奴隷じゃあないからな。
──なんで水の野郎と同じ教室なんだよ。あいつら沼に棲んでるんだぜ、机が泥臭くなったらどうしてくれんだ?
そんな言葉が、今度はきっと彼女の口から出てくるだろう。
この呪詛を止めるにはスニエリタに勝つしかない。勝って彼女の上に立たなければ、ミルンの心が穏やかになることはないのだ。そのためには強くならねばならない。
あと七日。いや、再戦まではもっと短い。その間に、今より強くなる。
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