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17‐愛おしいレゾンデートル(結)

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 イオは黙り込んでしまった。
 めちゃくちゃ軽い理由で死にかけた私にドン引きしたのかもしれない。無理もない。自分でも、今となってはほんとうにバカだったと思ってる。

 だけどあのころ、ほんとうに人生に意味が見いだせなかった。

 親は私を公立のいい大学に行かせようと躍起になっている。もともと口出しが多かったのに加えて、最近はさらに勉強以外の余暇を取り上げようと必死だった。
 学校も一応は進学校で、教師も親と大差はない。四方八方からの圧力でクラス内の空気はすこぶる悪く、精神的に病んじゃった子や、ストレスを他の子にぶつける人とか、あと事実かどうかわからないけど聞くに堪えない噂が聞こえてくることもあった。
 そして通わされてる塾も似たような状況。むしろお金かかってるぶん、学校より学歴絡みの煽りがきつい。

 私は直接誰かに何かされたわけでもないし、トラブルに巻き込まれたのでもない。
 ただ生活に疲れただけだった。自分でも甘えだなと思うけど、家も学校も塾も気が休まる場所がどこにもなくて、そのうち自分自身が何をしでかしてもおかしくなかった。

 唯一の癒しはライブに行って、イオを見ること。
 それだって頻度は高くない。それなのに、学校に行ってる間にお母さんが勝手に部屋に入って、チケットを捨てた。

 それ自体もすごくショックだったけど、それがすべてじゃない。
 溜まりに溜まったすべての悪感情が噴き出すトリガーになっただけ。原因は、それ以前にいっぱいあった。

 私は特別不幸じゃなかったけど、幸せだとも思えなかった。
 自分が何のために生きてるのかわからない。私は誰にも必要とされていないし、誰かにすがることも許されないんだと思った。

「……だけどイオがあんな歌作るから」
「俺?」
「私は弔いの歌を作ってって言ったんだよ。そしたらふつう、〆は『さよなら』とか『安らかに眠れ』とかでしょ」

 私の最愛の推しは、私の言わんとしていることがまだ呑み込めないらしい。そのきょとんとした表情も、なんていうか、……めっちゃかわいい。ごめんイオのことになると語彙が消し飛んじゃう。
 とにかく。たぶん私は、彼にさよならを言われたかった。
 その言葉を胸にこの世を去りたかった。

「なのに、……私なんかにまた会いたいとか言ってくれるからさ。なんか生まれて初めてっていうか、生きてるときには思ったことないくらい、生きたいって思った。
 生きてまたイオに会いたい。再会するのが夢とか歌われたら、もうその夢を叶えなきゃって」

 私が一方的に彼女になりたいとか思うよりも、その感情のほうがずっとずっと強かったのだ。

 死んだと思ってたのに、死んでから、やっと生きる意味を見つけられた。
 イオが私の生きる理由を作ってくれた。

「でね、そうなって気付いたの。怖いグループとも天国とも違うところから、私をなんとか引き寄せようとしてる弱ーい気配……私の身体が、魂が戻ってくるのを待ってるってこと。
 あとはもう必死で他の声を無視してそれを辿って、気付いたら病院のベッドの上で……先々週の日曜に退院したの」
「……けっこう経ってるじゃん」
「え?」
「退院できてからライブまで一週間以上も経ってるじゃん、なんでもっと早く会いにきてくれなかったんだよ!?」

 なんかイオが突然声を荒げた。私はびっくりして彼を見ると、潤んだ瞳と眼が合った。
 ……え、な、泣いてる?
 さすがに号泣というほどではないけど、私が成仏したと思ったときですらこんな顔はしなかったのに、……ちょっと待ってそんな捨てられた仔犬みたいな眼はやめてかわいい拾いたい。

 とにかく落ちついてもらわなきゃと思って、私は言い淀みながらも事情を話す。

「いや……平日は学校だし……それにその、だんだん冷静になってきたら、私の思い上がりなんじゃないかなって……それに実は生きてました、なんてまた嘘吐いて騙したみたいだなって……気まずくて……。
 ほんとはあのライブも行く予定なかったんだけど、さっちゃんが私が眼を醒ますって信じてチケット用意してくれたって言うから断れなくて」

 それにイオがどうしてるかなってのも気になってたし、やっぱり会いたかったから、見に行った。
 ……まさかの新曲があれで恥ずかしいやら嬉しいやらだったけど。
 しかも直帰のはずが、さっちゃん(一緒に行った友だち)が急に出待ちするとか言い出すもんだから、それで出るに出られずどうしようかと思ってたらあれだもん。

 ほんともう。あんなとこ見られて、他のファンに夜道で刺されないかここ何日か不安で眠れなかったよ。
 あの泣きボクロのおねーさんとかさ。めちゃくちゃ睨まれてたもん。

「思い上がりなんかじゃないよ。ほんと后ちゃんは遠慮しいだ」
「え、で、でも」

 そうは言っても、だってあれはあくまで歌で、イオの本音かどうかなんてわからないし。
 彼女だと思ってたとは言われたけど、それだけでそこまで自信持てないよ。絶対に私のほうが一方的に好きに決まってる、っていう思い込みのほうが強くて、イオの気持ちがわからない。
 そもそもぜんぶ臨死体験中に見た都合のいい夢だったって可能性も、あると思ったし。

 私がもごもごしていると、イオが立ち上がった。
 えっどこ行っちゃうの、と焦ったのは一瞬で、彼はテーブルをぐるりと回って私の側にきた。そのまま押し入るようにして座席に上がってくる。

「い、イオ?」
「……俺が、どんだけ后ちゃんに会いたかったと思う」
「え」
「俺だって……今まで、何のために生きてるんだかわかんなかった。それで后ちゃんまでいなくなって、でも天国に来たら追い返すなんて言うからさ、生きる理由もないのに死ぬに死ねなくて……どんな思いであのライブまで生きてたと思う」

 カップの中の紅茶によく似た色をした、滲んだ瞳が私を見た。そこに私だけが映っている。

「后ちゃんが生きててくれて……俺がどんだけ嬉しいか……わかる……?
 これでやっと言える。……俺、后ちゃんが好き。ファンじゃなくてひとりの女の子として、俺の彼女として、世界でいちばん好き……」

 か、かのじょ、として? って言ったの、今?
 私もう幽霊じゃないのに、まだこんな甘い夢を見ちゃっててもいいの?

 抱き締められながら、私は静かに混乱していた。
 そして再会したときも思ったけど、やっぱり幽体と生身の肉体では、こうして触れ合ったときの感触がぜんぜん違う。イオの細すぎる身体の中に、ちゃんと熱と血肉があるのを感じられる。
 かすかにイオが呟いた。――音楽やっててよかったって、初めて思った。

 そうだね。
 あなたがギタリストじゃなかったら、出逢えなかった。
 あなたに出逢ってなかったら、私はきっと、今ごろほんとうにあの世の住人だった。

 逢えてよかった。

 私もあなたが好き。世界で、ううん、宇宙でいちばん、大好き。



 ・・・・*



 ふたり手を繋いでファミレスを出る。
 今はそこに温もりを感じられる。

 これからどうしよう、と后ちゃんが呟いたのは、たぶん今日このあとって意味じゃなくて、もっと長い期間を指しているんだろう。
 まあ話に聞くかぎり彼女の親は、俺との交際を認めない。バイト暮らしのバンドマンとか絶対無理そうな人種っぽいから。
 ……正直言って親の気持ちもわかるけどね。悲しいけど。経済力も甲斐性もない男に娘を任せられるかって話だもんね、そりゃ無理だわって俺も思う。

 けどもう、この手を離す気はさらさらない。あんな気持ちはこりごりだ。

「バンド辞めて働くしかないか……」
「え、だめだよ。イオが本心から辞めたいって思ってない限りそれは絶対にだめ」
「うーん……。ところで后ちゃんさ、俺のこと名前で呼んでよ。芸名じゃなくて。今の俺はギタリストじゃなくて非公認彼氏ですよ」
「え……っと……伊織さん」
「なんでさん付け」
「だって歳上だし……」

 やっぱ真面目だな。
 でもヤケクソになって川に落ちたくだりとか、幽霊だったときのイタズラっ子ぶりとか、根はそこそこやんちゃな気がする。奔放というか。

 別に呼び捨てでもいいんだけどな。俺も呼び捨てしちゃおうかな。

「……とりあえず。今日はこのあとも一日空いてるんだよね?」
「うん、門限はあるけど」
「そりゃそうだ。じゃあちょっと買いもの行こう」
「何買うの?」
「それは着いてから后が決めて」
「……え、今」

 嫌だった、って聞いたら、彼女はふるふると首を振った。
 生身の彼女も、って言うと変な言いかただけど、幽霊だったときと同じくらいすぐ赤くなる。

 再会を祝して。
 それからこうして生身での初デートの記念も兼ねて。
 何か形に残るものが欲しい。だからもう一度、ふたりであのショッピングモールに行こう。

 今度はふたりでどこにでも行ける。一緒にメニューを見て食事を選べる。
 服だってなんだって、きみの行きたいとこにお供するよ。

 そして実は例のアクセサリーショップにも連絡済だったりする。ただいま絶賛取り置き中。
 もう再会直後に真っ先に在庫があるか確認したくらいだから、下手すると彼女より俺のほうがよっぽどあのピアスに執着してるなと思う。

 でもさ。后は今日も、あの白いワンピースを着てきてくれた。
 幽霊だったときに着てたのと同じのを実際に持ってるって言うから、これは俺が頼んだんだけど。

 だからとにかく、俺のこの世でいちばんかわいい彼女には、まんまるい赤と緑の果実がよく似合うはずなんだよ。


 ――こうして俺の、短くて長かった悪夢の日々は、終わりを告げた。



 * オフィーリアへの献花 了 *


 →(反省会)
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