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「晴れてたら少し違ったのかな?」
雨の中を歩いたせいで、倍疲れた感じだ。もう喫茶店で休憩しないと帰る気が起こらない。辺りを見渡しながらもう少しだけ進んでみる。すると、何本か先の角の左に雨のけぶる小さな灯りが見えた。深緑色のテントの下には、メニューが書かれた小さな黒板があった。店構えはこぢんまりとしているが、昔からこの街を見てきているような風情に好感がもてた。この喫茶店との出会いに感謝して店に入ることにした。
木のドアを押すと案外重たかった。両手で力を入れて押し開けると、ドアベルがカランカランと鳴り響き、その音に被せるように「いらっしゃいませ」と丁寧な印象の声がした。外観ではわからなかった店の中は、落ち着いた印象の喫茶店だった。ゆったりとした席と棚に飾られたカップは、素敵なお店の予感を感じさせた。
表紙がエンジ色のメニューはレストランで出てくるような重さで、そこには私が子供の頃にもあったメニューが並んでいた。もちろん最近の私の中の定番、ロイヤルミルクティーもきちんと載っている。品のある店なのに値段は高くなく学生のいる街らしいなと思った。
江古田にも素敵な喫茶店はあって、松永くんとよく行った駅から北に向かう商店街の2階にある隠れ家的な喫茶店も学生街らしい店だ。私たちは都合の合う木曜日には、そこでランチを食べることにしていた。マスターはとても優しくて出来るだけ、一番奥の2人掛けのテーブルを残しておいてくれていたので、行くと必ずそこの席に案内された。なのに今週はケンカした彼から連絡がなかったので行っていない。マスターが空けておいてくれていたであろう席を空席にしてしまったなと思うと悲しい気持ちになってきた。
私はメニューを端から端まで確認したい派なので、飲み物のページの次は軽食のページを確認する。
「あ! きゅうりのサンドイッチがある」
イギリスのアフタヌーンティーで出てくるきゅうりのみがサンドされているやつだ。日本だとほとんどお目にかかれないのに。この店の店主はただ者じゃないのかもしれない。私の中で食べ物はもうこれと決定しているので、本題の飲み物のページに戻ることにした。アールグレイ、ダージリン、ブレックファストなど紅茶だけでも何種類か用意されている。
「この流れだと、ダージリンとかでいいのかな?」一番上に書いてあるダージリンが安定だと思った。このところ、私の定番だったロイヤルミルクティーは、今日は頼まない。きゅうりのみのサンドイッチには王道なストレートティの紅茶がふさわしいはずだ。トンチンカンな注文をしたらかっこ悪い。今まで良かれと思ってやってきたことを全否定されたことを思い出した。
「男ウケいい恰好とか、雑誌に載ってる流行りの服とか、誰かが言ったこの組み合わせがいいとか、見栄とか、常識とか、トウコの本当はなんなんだよ?」
松永くんがケンカのときに投げつけてきた言葉がよみがえる。
「自分で勝手に思い出して勝手にムカつくのもどうかと思いますけど、なんか腹立つわ」と、ひとり言を呟きスッと手を挙げる。
「きゅうりのサンドイッチと…」
「はい、きゅうりのサンドイッチと?」とマスターらしき人が、繰り返す。
「メ…メロンクリームソーダで!」
子どもの頃、よく飲んでいたメロンクリームソーダ。嘘くさい飲み物というとメロンクリームソーダファンから苦情が来るかもしれないけれど、私の中では嘘くさいイメージだった。おいしいけれど、メロンらしさはどこにもない。その嘘くさい飲み物をあえて頼んだのは、きゅうりのサンドイッチには、誰かが言った組み合わせではないものにしたかったからだ。でも、わざわざこんな素敵な店でやることでもないと思うんだけどなとマスターの顔を窺うが、涼しげな表情のまま「かしこまりました」とマスターはカウンターへ戻って行った。
程なくして運ばれてきたきゅうりのサンドイッチとメロンクリームクリームソーダの異色の組み合わせを前に、私は静かに手を合わせ、
「いただきます」と、私は頭を下げた。
「……」
自分でも無意識にやってしまった「いただきます」に少し後悔したのは、これは松永くんの真似だったからだ。
うちの家も子どもの頃は、みんな揃って食卓でご飯を食べる時は、
「いただきます」と手を合わせて、声を出していた。でも、2番目のお母さんが私が小6の時に死んでしまってからは、みんな揃ってご飯というスタイルから、各自自由スタイルになっていたので、自然と食事の挨拶はしなくなっていった。もちろん、よそのお宅にお邪魔している時などは言っているけど、ひとりの時や外食では言わないことがほとんどだった。
でも、松永くんとつきあい出して、初めて食事に行ったとき彼が、
「いただきます」と、言って手を合わせてから食べる姿を見て、自然に出来るのって羨ましいなぁと思った。きっと育ちがいいとか品がいいっていうのは、こういう事なんだろうなと思った。
実際、「いただきます」なんて言っても言わなくても困らないけど、その仕草ひとつで、周りから育ちがどうとか言われないですむのなら、お安いご用だと私は思っている。松永くんの由来の「いただきます」は、私の好感度アップのために、ありがたくいただきま~すと思ったのだ。
だから、私の「いただきます」は、習慣でも感謝でもなくただの演技だ。なぜ演技をする癖がついたのかは、自分でわかっている。岐阜では私に対する周りからの目は母親不在の家庭の子。私はいつも、その視線からの自己防衛をすることを覚えていった。比較的裕福な家だったので、普通の家庭の子に負けたくないとは思わなかった。でも、陰口叩かれるのだけは真っ平ごめんだった。
目の前のメロンクリームソーダは、白い厚紙にロイヤルブルーのインクでレース柄が印刷されているコースターの上に鎮座している。横にはきゅうりのサンドイッチ。
「ロイヤルブルーって英国王室公式カラーだよね。それと蛍光グリーンのような鮮やかなグリーンの組み合わせって、もう違和感の塊だわ」
メロンクリームソーダはアイスとソーダの境い目のアイス側がシャクシャクしていて美味しい。メロンクリームソーダにも、そういう良い所もあるんだけど、なんだか自分が何者なのか、わからなくなってしまった。ひと口食べたきゅうりのサンドイッチはシンプルだけど、唯一無二な美味しさだった。何も足さない何も引かないの究極だと思った。
「私と松永くんみたい」と思ったら、勝手に涙が溢れてきた。泣くなバカ! 私のバカ! 泣いたっていいことなんかひとつもないって知ってるでしょ私。
雨の中を歩いたせいで、倍疲れた感じだ。もう喫茶店で休憩しないと帰る気が起こらない。辺りを見渡しながらもう少しだけ進んでみる。すると、何本か先の角の左に雨のけぶる小さな灯りが見えた。深緑色のテントの下には、メニューが書かれた小さな黒板があった。店構えはこぢんまりとしているが、昔からこの街を見てきているような風情に好感がもてた。この喫茶店との出会いに感謝して店に入ることにした。
木のドアを押すと案外重たかった。両手で力を入れて押し開けると、ドアベルがカランカランと鳴り響き、その音に被せるように「いらっしゃいませ」と丁寧な印象の声がした。外観ではわからなかった店の中は、落ち着いた印象の喫茶店だった。ゆったりとした席と棚に飾られたカップは、素敵なお店の予感を感じさせた。
表紙がエンジ色のメニューはレストランで出てくるような重さで、そこには私が子供の頃にもあったメニューが並んでいた。もちろん最近の私の中の定番、ロイヤルミルクティーもきちんと載っている。品のある店なのに値段は高くなく学生のいる街らしいなと思った。
江古田にも素敵な喫茶店はあって、松永くんとよく行った駅から北に向かう商店街の2階にある隠れ家的な喫茶店も学生街らしい店だ。私たちは都合の合う木曜日には、そこでランチを食べることにしていた。マスターはとても優しくて出来るだけ、一番奥の2人掛けのテーブルを残しておいてくれていたので、行くと必ずそこの席に案内された。なのに今週はケンカした彼から連絡がなかったので行っていない。マスターが空けておいてくれていたであろう席を空席にしてしまったなと思うと悲しい気持ちになってきた。
私はメニューを端から端まで確認したい派なので、飲み物のページの次は軽食のページを確認する。
「あ! きゅうりのサンドイッチがある」
イギリスのアフタヌーンティーで出てくるきゅうりのみがサンドされているやつだ。日本だとほとんどお目にかかれないのに。この店の店主はただ者じゃないのかもしれない。私の中で食べ物はもうこれと決定しているので、本題の飲み物のページに戻ることにした。アールグレイ、ダージリン、ブレックファストなど紅茶だけでも何種類か用意されている。
「この流れだと、ダージリンとかでいいのかな?」一番上に書いてあるダージリンが安定だと思った。このところ、私の定番だったロイヤルミルクティーは、今日は頼まない。きゅうりのみのサンドイッチには王道なストレートティの紅茶がふさわしいはずだ。トンチンカンな注文をしたらかっこ悪い。今まで良かれと思ってやってきたことを全否定されたことを思い出した。
「男ウケいい恰好とか、雑誌に載ってる流行りの服とか、誰かが言ったこの組み合わせがいいとか、見栄とか、常識とか、トウコの本当はなんなんだよ?」
松永くんがケンカのときに投げつけてきた言葉がよみがえる。
「自分で勝手に思い出して勝手にムカつくのもどうかと思いますけど、なんか腹立つわ」と、ひとり言を呟きスッと手を挙げる。
「きゅうりのサンドイッチと…」
「はい、きゅうりのサンドイッチと?」とマスターらしき人が、繰り返す。
「メ…メロンクリームソーダで!」
子どもの頃、よく飲んでいたメロンクリームソーダ。嘘くさい飲み物というとメロンクリームソーダファンから苦情が来るかもしれないけれど、私の中では嘘くさいイメージだった。おいしいけれど、メロンらしさはどこにもない。その嘘くさい飲み物をあえて頼んだのは、きゅうりのサンドイッチには、誰かが言った組み合わせではないものにしたかったからだ。でも、わざわざこんな素敵な店でやることでもないと思うんだけどなとマスターの顔を窺うが、涼しげな表情のまま「かしこまりました」とマスターはカウンターへ戻って行った。
程なくして運ばれてきたきゅうりのサンドイッチとメロンクリームクリームソーダの異色の組み合わせを前に、私は静かに手を合わせ、
「いただきます」と、私は頭を下げた。
「……」
自分でも無意識にやってしまった「いただきます」に少し後悔したのは、これは松永くんの真似だったからだ。
うちの家も子どもの頃は、みんな揃って食卓でご飯を食べる時は、
「いただきます」と手を合わせて、声を出していた。でも、2番目のお母さんが私が小6の時に死んでしまってからは、みんな揃ってご飯というスタイルから、各自自由スタイルになっていたので、自然と食事の挨拶はしなくなっていった。もちろん、よそのお宅にお邪魔している時などは言っているけど、ひとりの時や外食では言わないことがほとんどだった。
でも、松永くんとつきあい出して、初めて食事に行ったとき彼が、
「いただきます」と、言って手を合わせてから食べる姿を見て、自然に出来るのって羨ましいなぁと思った。きっと育ちがいいとか品がいいっていうのは、こういう事なんだろうなと思った。
実際、「いただきます」なんて言っても言わなくても困らないけど、その仕草ひとつで、周りから育ちがどうとか言われないですむのなら、お安いご用だと私は思っている。松永くんの由来の「いただきます」は、私の好感度アップのために、ありがたくいただきま~すと思ったのだ。
だから、私の「いただきます」は、習慣でも感謝でもなくただの演技だ。なぜ演技をする癖がついたのかは、自分でわかっている。岐阜では私に対する周りからの目は母親不在の家庭の子。私はいつも、その視線からの自己防衛をすることを覚えていった。比較的裕福な家だったので、普通の家庭の子に負けたくないとは思わなかった。でも、陰口叩かれるのだけは真っ平ごめんだった。
目の前のメロンクリームソーダは、白い厚紙にロイヤルブルーのインクでレース柄が印刷されているコースターの上に鎮座している。横にはきゅうりのサンドイッチ。
「ロイヤルブルーって英国王室公式カラーだよね。それと蛍光グリーンのような鮮やかなグリーンの組み合わせって、もう違和感の塊だわ」
メロンクリームソーダはアイスとソーダの境い目のアイス側がシャクシャクしていて美味しい。メロンクリームソーダにも、そういう良い所もあるんだけど、なんだか自分が何者なのか、わからなくなってしまった。ひと口食べたきゅうりのサンドイッチはシンプルだけど、唯一無二な美味しさだった。何も足さない何も引かないの究極だと思った。
「私と松永くんみたい」と思ったら、勝手に涙が溢れてきた。泣くなバカ! 私のバカ! 泣いたっていいことなんかひとつもないって知ってるでしょ私。
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