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1988年6月24日(金)
 私はお昼過ぎの図書室で窓際の席を陣取っていた。家だとどうしても色々な誘惑に負けてしまうので、今日はここで集中して試験勉強をやってしまおうという考えだった。なのに、まったく勉強に集中できていない有様というのも、まだ松永くんに明日の予定を聞けていないからなのだ。
 明日のことは前からわかっていたことだから、私はバイトのシフトもはなから入れてなかった。
 でも、松永くんは普通にみんながやってそうな記念日なんて、全然興味なんてなくて、そんなの恥ずかしいとか思ってるんじゃないかって思ってた。
 でも私は逆で、本当は1か月くらい前から気になってたが、
「あのね? つきあい始めて1年の記念日はどうする?」と、どうしても言いだせずにいた。
 先週も彼と小さな映画館で海外の昔の映画を観た帰り道、映像効果について説明をしている彼の話が、いつもならおもしろく聞けるのに、その日の私の頭にはまったく入ってこない。
 そんな私の顔をチラッ覗いてきた松永くんは、
「何どうかした?」と不思議そうな顔をしている。
 私は自分の頭の中だけで、
「記念日は一緒にデートする?」って何度も聞いた。でも、実際に言って
「え? 記念日? 何それ? てか、話聞いてた?」なんて言われたら、ゴメンって気持ちと恥ずかしさで2度と殻を開けることのない貝になりそうで、結局言えずじまい。
「あーあ、私ってば何してるんだか?」
 ガヤガヤと人が流れこんでくる気配がした。お昼過ぎの授業が終わってチラホラと人が集まり出しているのだ。図書室は、私のようなテスト勉強目的のグループがいくつか現れ、みんなノートや教科書を広げ話しあって話しはじめていた。
 この大学は来年、所沢に新校舎が出来る。すると1、2年の必修科目を落とした3年生は、その単位のためだけに新校舎に通わなければならない。みんなその話を知ってかなりビビっていて、今年の2年はみんな必死なのである。もれなく私も2年なのにテスト勉強は一向に進まない。
「いや、テスト勉強するし」と、教科書を開いてるくせに、浮かんでくるのは彼の顔。情けないなぁ、私のバカ! 
 窓から外を見ると学生たちが歩いていた。やたらとおしゃれに気を遣っている人もいれば、そうでない人もいる。芸術系の大学なので奇抜な恰好の人も結構いる。そんな中、松永くんはといえば、ファッションは流行を追った恰好とかはしないけど、なんとなく都会育ちを感じさせるシンプルな感じの服装で、Tシャツなのにおしゃれなのが憎らしい。田舎から上京してきたミーハー丸出しの私としては、普通を気取らないで勝負できるって羨ましいなといつも思っていた。
「松永くん、昨日も連絡なかったし、この間のケンカのせいなのかな?」

1988年6月25日(土)
 朝、一人暮らしのワンルームで起きたら11時過ぎていた。目覚ましを止めたのか、もともと目覚ましをセットしていなかったのかも覚えていない。目が覚めるまで寝ていたら、なんと11時過ぎていたのだ。きっと天気が悪いせいだろう。起きあがりカーテンを開くと窓の外はあいにくの雨空だ。ベッドからもぞもぞと起き上がり、小さな片手鍋を取り出し100ccほどの水を沸かす。次に、カフェオレカップに100ccほどの牛乳を入れ砂糖をティースプーンで一杯入れレンジでチン。今度はコンロの鍋に粉末のインスタントコーヒーをティースプーンで1.5杯入れて再加熱。コーヒーが鍋のふちギリギリまで噴き上がる寸前で火を止め、カフェオレカップの牛乳に注ぐ。バイト先の社長が教えてくれたやり方で、カフェオレならこれと決めている。
「あーーでも、こんなことになるなら、やっぱり聞けばよかった」とカップを両手で包みこんで、カフェオレを飲むと溜め息混じりにつぶやいた。
 クリーム色にトリコロールの小さな旗の絵が描かれてあるカフェオレカップ。こっちに来てから、松永くんに連れて行ってもらった吉祥寺のビルの中にある小さな雑貨屋さんで買ったお気に入りのカップだ。
 岐阜にいる時から一人暮らしを始めたら朝は、カフェオレカップでミルクたっぷりのカフェオレをいれて飲もうと決めていた。
 高校の頃、ファッション雑誌のモデルさんがカフェで食べている朝ご飯の記事を何度も繰り返し眺めていた。その時から、一人暮らしの道具は慌てて買わず、一つずつお気に入りを増やしていくつもりだった。
 でも、そのお気に入りの空間に松永くんがいない。
「ケンカは一度や二度じゃないから、この間もすごく言いあったけど、また普通に仲直りできるものだと思ってたのに」
 私は少し甘めのカフェオレを飲み干した頃には、電話が鳴ることはないなと諦めていた。いったん忘れて試験勉強をやってみようと試みてもいっこうに進まない。目覚まし時計はわざと見ないようにしていたのに、気を紛らすために流していたラジオから、お昼の時刻を知らせる秒針の音、
「プップップ、ポーン」が聞こえてしまったので否応なしに12時だと知らされてしまった。

 予定がぽっかりと空いてしまった土曜日の午後が2分15秒経ってしまった。
 ラジオのリクエストで某有名バンドの曲が流れ出す。
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