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前世の自分との別れ

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「さて、では前世のエミリーを葬ってあげようか」
「はい」

 エミリーが頷くと、レーリオが――これが最後の抱擁とでもいうかのように前世の自分をもう一度強く抱き締めた。その瞳にはわずかだが涙が滲んでいる。

 その姿を見て、少し胸が痛む。

(今は……。わたくしは生まれ変わってレーリオ様の側にいますが、ずっといられなかった……ずっと一人にしてしまっていたんですもの)

 それはどれほどのつらさだろうか。千年という長きの間、レーリオが一人で何を思い、何を考え、苦しんだのか。その苦悩を本当の意味で理解することはできないだろう。

 エミリーは胸元をぎゅっと掴んで、唇を引き結んだ。

(その千年の間――前世のわたくしの遺体は少しでも貴方の慰めになりましたか?)

 エミリーは心の中で問いかけながら、レーリオの背中を見つめた。
 

「ああ、エミリー。鼻筋が通り、少し勝気そうな目。声は唄うように可愛らしく、背中から腰のラインは芸術だ。貴方の一挙一動すべてが私を魅了したよ。もう別れかと思うと寂しい」
「あはは、気持ち悪いです~。というより、しんみりした場の雰囲気をぶっ壊さないでください」
「凍らせてエミリーの体の時だけを止めて、貴方を見つめたり貴方の隣に眠る日は――つらいことのほうが多かったけど、それでもエミリーがいてくれて本当に良かったと思っている。だからこの千年を耐えられたんだ。生まれ変わってきてくれてありがとう。今度こそ絶対に離さないから、安らかに眠ってくれ」

 亡骸に縋りついて泣いているレーリオを見て、ロレットがずばっと言い放つ。レーリオはまったく気にせず言葉を続けているが、エミリーはロレットを睨み、彼の手を小さく叩いた。


「ロレット様。少しお言葉が過ぎますよ」
「そうですか~? では、エミリーさんは今の主の言動を気持ち悪いとは思わないんですか? まったく? これぽっちも?」
「え、えっと……。確かに言葉選びに少々行きすぎな点は認めますけれど、わたくしはそんなにも愛していただけて嬉しいです。それに最後なのですから、レーリオ様の好きなようにお別れさせてあげてください」

 ロレットと言い合っていると、レーリオが前世の自分の亡骸を棺の中に寝かせた。その瞬間、その棺を護るように二体の黒いドラゴンが寄り添う。


「え? ドラゴン? なぜ、ドラゴンが……」
「ご主人様の使い魔なので、そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ、エミリー様」
「ええ、とてもいい子なんです」

 突然現れたドラゴンにおののいていると、グレタとラウラが怖くないように手を握ってくれる。

(ドラゴンが使い魔だなんて、やはりレーリオ様は魔王なのですね)

 彼が魔王なのはもちろん分かってはいるが、普段の穏やかで優しい彼はどうも魔王っぽくはないので、このように力を奮っているところを見ると改めて感心してしまう。


「エミリー。皆で一緒にお別れをしようか」
「はい」

 レーリオのその言葉で、深呼吸をしてから棺の側に寄る。グレタとラウラ、ロレットも棺に跪き、花を手向けた。

 記憶はあるが、前世の自分を見ていると不思議な気持ちになってくる。エミリーはそっと亡骸に触れた。


「わたくしはもう二度とレーリオ様から離れません。今回こそがすべての繰り返しの――本当の意味での終わりであり、最後の人生です。もう絶対にレーリオ様を一人にはしない。置いていったりなどしません。誓います。だから安心して眠ってくださいませ。今までありがとうございました」

 誓いを込めた決意を口にして前世の自分の手を両手で握り、深々と頭を下げる。すると、その手の上にレーリオの手が重ねられた。そして力強く抱きしめてくれる。


「エミリー、ありがとう。前世の君の母君の想い、神々の想い。その者たちの想いよりも――私を選んだことを決して後悔させたりしない。必ず幸せにすると誓うよ。我が心は永遠にエミリーだけのものだ」
「レーリオ様」
「愛しているよ、エミリー。二度と離さない」
「ええ。もう離さないで」

 かたく抱き合うと、棺の周囲に紫の炎が揺らめく。その瞬間、一瞬空間が歪んだ。

「きゃっ!」
「大丈夫だよ。我が魔界掌中に葬るだけだから」

 レーリオがそう言った途端、暗い闇がドラゴンと棺を呑み込んだ。二、三度瞬きをして目を擦ってみても、そこにはもう何もなかった。

(終わったのですね……)

 いや、そうではない。これからが始まりなのだ。レーリオと共に歩んでいく始まり。エミリーはレーリオの手を握って微笑んだ。


「さて、レーリオ様。久しぶりに魔王城の中庭でお茶でもしましょう。わたくしたちの子についても詳しく聞かせてくださいませ」
「あの子に会いたいなら、すぐにでも呼びつけるよ。手伝うと言っておきながら未だに戻ってこないんだけど、エミリーが帰ってきたことを知らせたら、瞬く間に帰ってくるだろうから」

 呆れたように溜息をつくレーリオに笑うと、彼がエミリーを抱き上げベッドに座らせた。そして目の前に跪く。

(レーリオ様……?)


「エミリーの望みをもっと聞かせて? エミリーの気持ち。私にしてほしいこと。欲しいもの。今のエミリーが何を嬉しく思って、何を大切にしているのか。全部全部教えてほしい」
「レーリオ様……」
「エミリーが望むのなら、私は世界中の金銀財宝でも集めてくるし、どんな大国だって滅ぼしてあげるよ。貴方が望むことはなんだってしてあげる。だから、教えて? エミリーは魔王妃となったのだよ。貴方は私の側で望むだけでいいんだ」

(望むだけで……?)

 エミリーはレーリオの言葉に驚いた。
 それではまるでエミリーが望めば、どれほど愚かなことでも、残虐なことでも成し遂げると言っているようなものではないか。

 彼の極重の愛を受けながら、エミリーは心にかたく誓った。

(これからはさらに言葉選びには気をつけましょう)

 うっかり何かをほしいと言ってしまったら、翌日には――いや、数分後には目の前にありそうだ。エミリーはレーリオの行動を予測して眩暈がした。


「レーリオ様。わたくしが望むのは平和です。貴方とグレタやラウラ、ロレット様やお母様やお兄様。お祖父様――皆と、平穏に暮らせる日常こそが大切なのです。なので、わたくしのためを思うならディフェンデレを今以上に平和で住みやすい国にしてくださいませ。あ、いいえ、訂正します。わたくしはディフェンデレの王太子妃。貴方は王太子です。貴方に望むだけではいけません。共によい国をつくっていきましょう。それがわたくしの願いです」
「仰せのままに」

 そう言って恭しくエミリーの手を取るレーリオに微笑みかける。


 ペルデレとディフェンデレが戦争をし、レーリオと二度と会えないと思った時は、生きている意味なんてないと思った。

 エミリーが欲しいものはレーリオと一緒にいることのできる日常だ。レーリオから愛されて、共に幸せに暮らす穏やかで優しい日々。それに勝るものはない。

 それはどんな金銀財宝よりも素晴らしい宝なのだ。


「愛しています、レーリオ様」
「私も愛しているよ。愛している。その美しい髪も可愛らしい顔も、美しい体も。髪の毛一本、爪の先だとて、すべて私のものだ」
「レーリオ様ったら……」

 目に涙を浮かべながら、とても大真面目にそう言うレーリオにいけないと思いつつ、つい笑ってしまう。
 ふと気がつくと、部屋の中には自分とレーリオだけで、ロレットもグレタもラウラもいなかった。

(あら、お茶の用意をしてくれに行ったのかしら?)

 エミリーがぼんやりとそんなことを考えていると、突然押し倒された。

「え? レーリオ様?」
「ああ、私のエミリー。私だけの聖女だ。エミリーは奇跡なんだよ。尊い。尊すぎるよ。いつもいつも私はエミリーを想うだけで興奮してしまうんだよ。分かってる? 私のエミリー。ああ、もう本当にたまらないよ。感動だ。愛している。可愛い可愛い私だけの聖女。いや、女神だ。エミリーは女神。今後こそ、私は失敗しない。さあ、魔族私のものになる儀式を始めようか」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください」

 恍惚の表情を浮かべてのしかかってくるレーリオの胸を押す。
 
(皆が部屋からいなくなった意味が分かった気がします。レーリオ様の歯止めがきかないことを察したのですね)

 有能な臣下たちだ。
 普段はレーリオに軽口をたたいていても、本当に彼が望んだ時は決して邪魔をしない。

(ですが、昨夜に続いて……レーリオ様のお相手なんてできるでしょうか)

 少し落ち着かせないと本当に抱き潰されてしまいそうな気がして、エミリーはレーリオの胸を押しながら叫んだ。

「わ、わたくし、まずはお茶を飲みたいです! 喉が渇きました! ちょっとお茶をして落ち着きま、んんっ!」

 その瞬間、ティーセットが現れたと思ったら、荒々しく唇を奪われ、口移しでお茶を飲まされる。

「ち、違う、ちがうのっ……と、とりあえず、飲みたい、とか……そういうのじゃ、なくて……んんっ」
「駄目だよ、エミリー。もう逃がさない」
「っ!」

 唇を離したレーリオが笑った。湧き立つ魔力。ゆっくりと変わっていく見た目。そしてエミリーの体に巻きつくジェラティーナ。

 その上、ここは魔王レーリオの城だ。いつもいる人の世界と時間の流れが違うこの空間で――彼が余裕を失っている。
 絶対に魔族になるための一回分だけではすまないだろうと、エミリーは息を呑んだ。
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