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稀一の想い③

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「詩音。これからは俺だけを見てくれ。もう二度と不安にさせないと誓うから」

 稀一がとろけてしまいそうなくらい優しげな目で見つめてくる。その瞳に釘づけになった瞬間、詩音の唇に彼の唇が重ねられた。

 ぴったりと体を寄せ合い、お互いの手を恋人繋ぎにして指を絡め合う。自分と同じように早鐘を打っている彼の心臓の音が聞こえてきて、涙が出そうなくらい嬉しかった。


「詩音。どうして泣くんだ?」
「だって……嬉しくて……。朝には別れないといけないかもって思っていたから。まさかこんなにも深く心を重ね合えるなんて……。すごく嬉しい」

 幸せだと言って稀一の首筋にすり寄ると、彼の喉がごくりと上下したのが分かった。詩音が彼を見上げると、ぞくりとするような眼差しに射貫かれる。

 今まで知らなかった彼の――情欲を宿した男性としての瞳。その眼差しにぶるりと体が震えた。だが、見つめ合えば合うほど、陶酔したみたいに引き込まれていく不思議な感覚もあった。

 稀一から目が離せない。
 今度は詩音がごくりと息を呑んだ。


「詩音、寝室に行こうか? ソファーだと狭くて左手首に負担がかかる」
「はい」

 頷くと、稀一が手を引いてくれる。促されるままに立ち上がり、彼についていくと玄関わきにある寝室の扉を開けてくれた。電気はついていなかったが、廊下と窓から差し込む光が充分なほどに部屋の中を照らしていた。

 その部屋の明るさを見た瞬間、まだ昼だったことを思い出して、急激に恥ずかしさが襲ってきた。詩音が顔を俯けると、稀一が「どうぞ」と招き入れてくれたので、緊張したまま中に入る。

 背後でパタンと閉まるドアの音が妙に響いた。


「今、カーテン閉めるからベッドに座っていてくれ」
「は、はい」

 おそるおそる部屋の中央に鎮座するダブルベッドに腰掛けると、なめらかな質感の寝具が詩音の体を受け止めてくれた。


(わっ! ベッド、ふかふか……!)

 寝心地が良さそうだなと思っていると、突如部屋が暗くなって心臓が飛び跳ねた。稀一がカーテンを閉めたのだ。
 明かりの消えた室内に、途端にそわそわしてしまう。彼は「ちょっと待っていてくれ」と言いながら、ベッドサイドのランプをつけた。

 暗すぎるのは良くないと気を遣ってくれたのかもしれないが、暖色系の明かりがベッドの存在感をより際立たせたように思う。

 今からすることを強く意識させられて、脈拍が普段とは違うリズムを刻みはじめた。


(ど、どうしよう。また怖くなってきたわ)

 身を縮こませ、なるべく稀一から視線を逸らす。すると、デスク下に本棚が兼ね備えられている収納力抜群の大きな仕事机が目に入ってきた。奥行きたっぷりで広々とした机の上にはパソコンとたくさん積まれた専門書。そして十数枚の書類が散乱している。

 詩音はそれらが気になって、これ幸いとベッドから立ち上がった。


「稀一さんったら、散らかしすぎですよ。少し書類を片づけてもいいですか?」

 自分のデスクも似たようなものではあるが、さすがにここまで散らかってはいない。詩音がくすっと笑って、デスクのほうに体を向けると、稀一にぱしっと手を掴まれた。


「そんなのあとでいい」

 おいでと促されて、足が竦む。が、覚悟を決めて彼の横に座り直した。その途端、抱き寄せられる。稀一の右手が詩音の後頭部にまわり、顔を上に向けさせられたと思った時には、お互いの唇が重なり合っていた。

 そして彼は詩音の顎を左手で掴み、少し引いた。そうして開けさせられた口の中に、彼の舌が入ってくる。


「っ、ん」

 吐息に混ざってわずかに声が漏れてしまい、羞恥から目をきつく閉じた。稀一の舌が詩音の舌を誘い出すように、舌先でつついてくる。

 おずおずと差し出すと、軽く吸われた。


「あっ」

 絡み合うお互いの舌と頭の中に響く双方の唾液が絡む音。詩音はそれだけで眩暈がして、息苦しくなってきた。詩音が彼の胸を軽く叩くと、ゆっくり唇が離れる。


「はぁっ、はっ……苦しい、です」
「詩音、鼻で息するんだ。ほら、もう一回」
「待っ……んんぅ」

 先程よりも一層強く抱き込まれ、噛みつくようにキスされる。稀一の舌の動きに翻弄されながらも教えられたとおりに鼻で息をする。

 段々とキスが深まって、舌が擦れ合う心地よさに詩音の体が少しずつ熱を帯びていった。もうどうやって息をすればいいか分からないくらい彼のキスに酔狂していく。


「大丈夫か?」

 ゆっくりと唇が離れて、稀一が背中を撫でてくれる。
 呼吸を奪うようなキスに、詩音は彼の胸に顔をうずめて小さく首を横に振った。

「ご、ごめんなさい。少し待って……頭がふわふわして体に力が入らないの」

(これが恋人同士のキス……)

 とても淫靡で気持ち良かった。情欲を湧き起こさせるようなキスは今まで稀一としていたものとは大きく違った。

 これを経験してしまうと、今までのキスが子供騙しのように感じて、詩音は内心苦笑した。


(キスだけでこんなにも気持ちがいいんだから、先に進んだらどうなるのかしら。もっと気持ちいいの?)

 未知の感覚への怖さと期待。それらが綯い交ぜになって詩音は真っ赤な顔を右手で押さえた。
 すると、稀一が詩音の左手を取り、ギプスを撫でる。

「謝らなくていい。時間はたっぷりあるんだからゆっくり慣れていこう。あと、これは医者としての指示だ。どんな時でも患部に痛みを感じたら我慢せずに言うんだぞ」

 稀一の優しい声と眼差しに、顔から手を退けてこくりと頷くと、「大丈夫。何も怖くないから」と言って、ふわりと抱き締めてくれる。

 気がつけば、詩音はベッドに寝かされていて、稀一が覆い被さっていた。


「愛している」
「私も!」

 こくこくと何度も頷くと、彼が破顔する。そしてまた唇が重なり合った。

 キスをしながら、彼の手が詩音の胸に触れる。


「んっ」

 初めて感じる刺激が、小さな喘ぎとなって喉を震わせた。稀一は感触を確かめるように詩音の胸を揉んでいる。


「ぁん、っ」
「可愛い」

 稀一の唇が離れるころにはシャツワンピースのボタンがすべて外されていて、彼の手の中で淫靡に形を変える胸が視界に入る。詩音は恥ずかしさから思わずギプスで顔を隠した。その様子を見た稀一が詩音の胸を揉み上げながら苦笑する。


「こら。そんなに急に左手を動かすな」
「で、でも、恥ずかしくて……」

 望んでいたことではあるが、到底直視なんてできなかった。すると、稀一は胸を揉んでいた手を離し、顔を隠している詩音の左手を優しくシーツの上に置いた。


「まだリハビリ始まってないんだし、左手を動かすのは禁止な」
「そ、そんな……」
「あ、もちろん右手で顔や体を隠すのも禁止だから」
「えっ!?」

(そんなの無理だわ)

 羞恥心から突発的に取ってしまう行動を制されてしまって、詩音は途方に暮れた。無理だと訴えかけるように稀一を見つめるが、彼は楽しそうに笑っているだけで詩音の意見を聞き入れてくれそうにない。


「き、稀一さん。こういう雰囲気になってから、なんだか意地悪すぎませんか?」
「だって恥ずかしがってる詩音。すごく可愛くて興奮するんだ。なぁ、もっとその可愛い表情を俺に見せてくれよ」

 そう言って笑った彼の嗜虐的な笑みに、肌が粟立つ。

 優しいとばかり思っていた彼の違う一面を知ってしまった瞬間だった。
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