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第一章 王太子妃

3.幸せからの転落

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 それから、わたくしはとても平穏な日々を過ごしました。カルロ様は、わたくしにまだ心の準備が出来ていないという事もあり、寝所を共にするのを待つと言って下さいました。


 わたくしが自然と受け入れられるようになるまで待つと……。充分に心の準備をする期間を頂けて、わたくしはとても安堵した事を今でも覚えています。


 正直なところ、わたくしはそのような男女の営みの事は分からず、未知な事のように思え、とても怖かったのです。



 カルロ様は、それなのに側室を置かず、わたくしだけを大切に愛して下さいました。そして、わたくしも自然とカルロ様に惹かれていく様になって参りました。


 わたくしは本当に毎日幸せだったのです。領地の民の皆様も、とてもお優しく、わたくし達が視察に向かうと、いつも歓迎して下さいました。


 此処では、誰もわたくしの特殊能力の無さを責めません。わたくしには、それがとても嬉しかったのです。




 そう……。その様な幸せに包まれた中、事件は起こったのです。エリオノールお兄様が、お父様に対し反旗を翻し、現在プロヴェンツァ領は内戦状態だという報せが飛び込んで来ました。



 嗚呼、やはり起こってしまいました。ですが、あまりにも早いのです。お父様は早くても1年以内と仰いましたが、まだカルロ様に嫁いで半年しか経っていないのです。
 その間、緊急時に備えて、すぐに実家に戻れるように転移の魔法陣を勉強していたのですけれど……、まだ習得していないのです……。



「どうしましょう? 早く実家に帰らなければ……」


 カルロ様は、わたくしの涙をそっと拭いながら、大丈夫だよと何度も繰り返し仰られ、わたくしを優しく抱き締めて下さいました。



「今、ベアトリーチェの実家に確認しているところです。間違いだと良いのだけど……」
「いいえ、きっと本当の事でしょう。お父様とお兄様は、ずっと仲が悪かったのですもの。カルロ様、どうかわたくしがプロヴェンツァ領に行く許可を下さいませ」




 ですが、馬車で行くと数日はかかってしまいます。それでは遅いのです……。




「では、領地と王宮を繋ぐ転移の魔法陣を使わせて頂こう。王宮に転移し、大神殿へと向かい、神殿内とプロヴェンツァ領を繋ぐ転移の魔法陣を使えば、あっという間だよ」



 その手があったのですね。カルロ様の提案に、わたくしが喜ぶとカルロ様は、少し待っていて下さいねと言って、すぐに王宮へと連絡を取り、転移の魔法陣を使えるように手配して下さいました。


 
「ありがとうございます。では、行って参ります」
「待ってくれ。私も行きます」



 カルロ様はそう言って、わたくしを抱きしめて下さり、チュッと口付けて下さいました。わたくしとカルロ様は初めての口付けに、お互いドキドキして、顔を赤らめながら、下を向いてしまいました。


 婚儀の折に、手の甲に口付けされた時もドキドキ致しましたが、それ以上のドキドキにわたくしの胸は張り裂けそうなくらいでした。
 いつか寝所を共にした時、わたくしはどうなってしまうのでしょうか……。




「ゴホン。で、では、ベアトリーチェ。行こうか」
「は、はい!」



 わたくしはエスコートするように差し出して下さった手をそっと取り、転移の魔法陣に乗りました。その瞬間、魔法陣が光だし、ぐにゃりと目の前が歪み、わたくしはその不快感に目を瞑ってしまいました。



「ベアトリーチェ、着いたよ」
「え? もう?」
「転移魔法だからね。あっという間ですよ」
「ですが、少し頭がクラクラ致します」



 初めてで酔ったのかもしれないと仰い、ふらつくわたくしを支えてくださるカルロ様に、わたくしは嬉しく思いました。


 これから不安な事ばかりが沢山起きるでしょうけれど、それでもこの方の優しさがあれば、わたくしは頑張れます。




「体調が落ち着くまで、王宮で休ませて頂こう」
「あ、でも……早くお父様たちの所に行きたいのです」
「ですが、その調子でまた転移の魔法陣を使うのは……」



 王宮の転移の魔法陣の間を守る騎士に、控えの間を用意して頂くように頼んで下さり、わたくしはカルロ様と、そのお部屋で休む事に致しました。



 ですが、気が急くのです。こうしている間にも、お父様やお母様、弟たちに何かがあったらどうしましょう。
 嗚呼、何故体調を崩すのです……己が恨めしいのです。



「ベアトリーチェ。焦っても良い事はないよ。それに、こう言っては何ですが……ベアトリーチェが行っても何もならないでしょう」
「え?」
「ベアトリーチェに、兄君を止められるとは思えない。君の父君は強いのだから、任せておいた方が本当は良いと思うのだよ」



 カルロ様が戸惑いがちに言った言葉に、わたくしは悲しくなりました。



「行っても意味がない? 何故そのような事を言うのですか? 家族の心配をして駆け付けたいと思う事が、そんなにもおかしい事ですか?」
「……あ、いや……私はベアトリーチェに危険な目に遭って貰いたくはないのです。心配しているのだよ、分かって欲しい」
「わたくしがプロヴェンツァ家の正統な後継者だと、お父様は仰いました。ならば、わたくしはお兄様にそれを示さねばなりません」



 カルロ様が、ベアトリーチェが正統な後継者? と言って首を傾げました。その目には、とても信じられないといった色が含まれています。



「もう良いです! わたくし一人で行きます!」
「ベアトリーチェ!」
「ついて来ないで!」



 わたくしが、カルロ様に声を荒げながら、部屋を飛び出そうとして、扉を開けると誰かとぶつかってしまいました。
 跳ね返されそうになったわたくしを、その方が支えて下さったので、わたくしは何とか転ばずにすみました。



「これはこれは、廊下まで聞こえておったぞ」
「陛下! これは大変失礼致しました」
「え?」



 わたくしが、俯きながらぶつけた鼻を押さえていると、後ろでカルロ様の慌てた声が聞こえました。
 わたくしが陛下? と思い見上げると、確かにそこには国王陛下がいらっしゃいました。2年半前に視察でお会いした時のままのお姿に、わたくしは少し懐かしくなってしまいました。



 顔に大きな傷があって、テラコッタ色の髪をオールバックにし、肩まで伸ばし顎髭を生やしている筋肉質な大男なので、一見すると、とても恐ろしい見た目と雰囲気なのですが、わたくしはこの方が実は優しいのを知っています。
 2年半前、まだ14歳だったわたくしの失礼な振る舞いを許して下さり、とても優しくして下さいましたもの。



「カタルーニャ侯爵。姫を泣かせるのは感心せぬな」
「も、申し訳ありません。妻を心配した故でございます」



 国王陛下の紫の瞳が細められます。陛下はわたくしの肩を抱きながら、カルロ様の先程の発言を咎めています。




「陛下、もう良いのです。ただの夫婦喧嘩です。それよりも、わたくし……実家に帰りたいのです! お兄様を止めなくては!」
「ふむ。だが、その前にカルロ・カタルーニャよ。本来、姫は我が王室のものだ。離縁し、其方は王宮から立ち去れ」
「陛下?」


 わたくしとカルロ様は、陛下の言葉に目を見張りました。この方は、一体何を言っているのでしょうか?



「陛下、お言葉ですが臣下の妻を奪う行為は国を乱す原因となります。どうか、ご容赦下さい」
「これは王命だ。もう一度言う。姫を差し出せ」



 プロヴェンツァ家なら、この王命を退ける事は容易いでしょう。ですが、お兄様の謀叛により現在我が家はめちゃくちゃです。それにより、陛下に付け入らせる隙を作ってしまったのですね。
 今の当家では、陛下の言い分を退ける事は出来ません。



 カタルーニャ家には、もっと難しいでしょう。



 陛下は、滅多にその血を外に出さないプロヴェンツァ家の血が、カタルーニャ家にある事をずっと狙っておられたのですね。
 この謀叛を好機に、カタルーニャ家に、わたくしを王太子の妃として差し出すようにと王命を下されました。



 普通の貴族ならば、陛下に逆らうなどあってはなりません。わたくしは、悲しいけれど仕方がないと思いました。


 世の中は不条理に満ちています。わたくしの望み通りになる事の方が少ないのだと、幼い頃より理解しています。



「それは承知出来ません。ベアトリーチェは我が妻です。もうプロヴェンツァの人間ではなく、我がカタルーニャ家の人間です」
「カルロ様! いけません。王命を退ければ、反逆罪に問われても文句は言えません」



 わたくしがカルロ様に、そう言って考え直すようにと伝えても、カルロ様は一向に引いて下さいません。



「姫の方が利口のようだ。カタルーニャ侯爵よ、もう一度チャンスをやろう。余の命に従え」
「嫌です」
「カルロ様っ!!」


 すると、陛下がカタルーニャ侯爵を捕らえろと近衛兵にお命じになられました。



「陛下、どうかご容赦下さいませ。わたくしが従います。なので、どうかカタルーニャ家の方々にはご慈悲を下さいませ」
「魔力を扱えないように枷を付けて姫を貴賓室に閉じ込めておけ」
「陛下っ! 考え直して下さいませ! 陛下!」
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