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第30章 恋心

恋心Ⅱ

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 こうしてはいられない。
 ティーカップを置き、洋箪笥に向かった。図案と真っ白なハンカチを一枚取り出し、ソファーへと戻る。
 早速、中央に百合の花を描こう。チャコペンを持ち、図案と見比べながら大雑把に描いていった。
 
「うん、これで良いかな~」
 
 刺繍を施せば、凛とした佇まいの百合の花になる筈だ。ほっと息を吐き出し、一休みする為に背凭れへ身体を預けた。
 ルーナにお願いをしてからどれくらい経ったのだろう。もうそろそろ何か報告があっても良いと思うのだ。成果が無かったのか、難航しているのか。どちらにせよ、期待はしない方が良いのかもしれない。小腹が空いたし、お菓子を貰うためにもベルを鳴らしてみる。程無く扉が開かれる。
 
「お呼びでしょうか」
 
そこに現れたのはルーナではなく、同じ年頃の別のメイドだった。
 
―――――――――
 
 結局、昨日はルーナから音沙汰は無かった。
 朝食も終わり、家族四人プラス一匹で寛いでいる所に、ヒルダがひょっこりと顔を覗かせた。
 
「ミエラ!」
 
「お姉様!」
 
  ルーカスとキャサリンは首を傾げる。
 
「ヒルダ、今日は来る予定だったか?」
 
「ううん、クローディオに呼び出された」
 
 声を上げる間も無く驚いてクラウの方を見てみると、苦笑いとも照れ隠しとも取れる笑顔を浮かべていた。
 
「ねえ、何の用事?」
 
「ミユの刺繍を手伝って欲しいんだ」
 
「えっ? 今更? 私よりもミエラの方が上手いじゃん」
 
「模様の図案が欲しいんだって」
 
 ヒルダは「ああ!」と納得し、両掌を勢いよく合わせる。
 
「そろそろレパートリー広げたいよね。私、うっかりしてた」
 
 ヒルダは頬を人差し指で掻くと、にっこりと微笑む。
 
「こっちだよ。ミエラ、おいで」
 
「あっ、うん!」
 
 勢い良く立ち上がりながらも、ゆっくりと確実にヒルダの元へと向かう。ヒルダも文句を言わずに待っていてくれた。
 差し出された手をそっと取る。
 
「いってらっしゃい」
 
「いってきます」
 
 クラウに送り出され、勢いで返事をしてしまった。私の為にヒルダを呼び出してくれるのなら、そう言ってくれれば良いのに。
 
「お姉様、ごめんね」
 
「えっ? 何が?」
 
 廊下に二人で出て、扉が閉まったと同時に謝ってみる。
 
「今日、用事あったりとかしなかった? 急だったでしょ?」
 
「ううん、いっつも暇してるからさ、私の事は気にしないで」
 
 ヒルダは笑顔で首を振ってみせ、手を繋いだまま廊下を進み始めた。私の足もつられて動き始める。
 
「左手の調子はどう?」
 
「う~ん……。逆戻りしちゃってる……」
 
 事故の前は握れた筈のボールが、今は握れない。一回り大きな拳大のボールを握るので精一杯だ。
はっきり言って、落胆している。
 ヒルダの表情にも雲が掛かってしまった。
 
「そっかぁ。でも、遠回りでも、いつかは日常に支障なくなる筈だから。それまで頑張ろう?」
 
「うん」
 
 二階への階段を上がりながら、力なく返事をする。
 日常に支障が無くなる日は、果たして来るのだろうか。返事をしたものの、自信は無い。
 
「そんな顔しないの! 何かあった時にはカイルも居るんだから。ちゃんと私たちを頼るんだよ?」
 
「うん」
 
 困った時には、しっかりと皆を頼ろう。心に決め、笑顔を返した。
 
「此処だよ」
 
「えっ?」
 
 ヒルダが指し示した扉は、階段に一番近い扉だった。
 勿論、足を踏み入れた事は無い。
 ヒルダは私から手を離すと一歩踏み出し、扉に両手を掛ける。その瞬間、ほんのりとカビの臭いが立ち込め、視界が開けた。
  「うーんと……」と唸りながら進むヒルダの周囲には、沢山の本棚――高校の図書室よりも広い、立派な図書室だった。
 天井は他の部屋同様に高いのに、焦茶色をした木製の本棚の高さは一八〇センチ程だ。高い所でも、踏み台があれば本を手に取れる。
 無理をしない程度に早歩きをし、ゆったりと歩くヒルダに追いついた。
 
「あった! ここら辺に図案の本が集中してるの。これは架空の生き物、これは海の生き物、これは果物……」
 
 ヒルダは背表紙をなぞり、一冊ずつ確認していく。
 
「……これだ!」
 
 そのうちの一冊を手に取ると、その場でパラパラと本の頁を捲る。
 
「よし! ミエラ、本の場所覚えた?」
 
「うん、大丈夫な筈」
 
 廊下から入って、向かって右側に進み、壁際から二番目の奥の棚――覚えた。
 
「じゃあ、リビングに戻ろっか」
 
「うん」
 
 本の数に圧倒されながら、来た道を引き返す。
 
「この部屋に置いてある小説、クローディオったら全部読んじゃったんだって」
 
「えっ?」
 
「この部屋の本の半分は小説なんだよ。凄いよね、本の虫って」
 
 私も小説を読むには読む。それにしても、この量は私には到底真似出来ない。『白いリボンと緑の鳥』を読み終わったら、新しい本に手を出してみようかな、とぼんやりと考えてみる。
 廊下に出ると、新鮮な空気を肺一杯に吸い込む。何度か深呼吸をすると、ヒルダと頷き合った。
 リビングに戻ると、クラウとルーカスの姿は消えていた。キャサリンはカイルとボールで遊び、丁度放り投げている所だった。
 
「二人とも、おかえりなさい」
 
「お父様とクローディオは?」
 
「お父様はお仕事、クローディオはお風呂に入ってくるって」
 
「そっかぁ」
 
 ヒルダがキャサリンの隣に腰を下ろしたので、私もいつもの場所にストンと座った。
 
「これ、渡しておくね」
 
「あっ、うん」
 
 ヒルダに差し出された本を受け取り、何となく中を見てみる。ヨーロッパで使われるような古風で繊細な模様が隅から隅に描かれている。
 これなら、どの模様が花の邪魔にならないだろう。
 植物の模様は駄目だ。くどくなってしまう。
 レースの模様は――駄目だ。今の私の技術では、誕生会までに間に合いそうにない。
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