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第30章 恋心

恋心Ⅰ

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 その日は朝食の後、自室で一人きりで紅茶を嗜みながら寛いでいる時に、クラウが顔を覗かせた。
 
「ミユ?」
 
「ん~? どうしたの?」
 
「ちょっと良いかな」
 
「うん」
 
 何だか良い予感がしない。クラウの口元は笑っているものの、目が笑っていないのだ。
 悟られないように生唾を飲み込み、深呼吸をする。
 目の前をクラウが横切り、次にソファーの右側が沈み込んだ。
 
「楽しみな話と残念な話、両方あるんだけどさ、どっちを先に聞きたい?」
 
「う~ん……」
 
 楽しみな話を先に聞いてしまい、最終的に残念な気分になってしまうのは嫌だ。
 暖炉の前で寝転がるカイルを確認した後、青と銀の瞳を真っ直ぐに見詰めた。
 
「残念な話」
 
 返事をする代わりに、クラウは睫毛を伏せて正面へと向き直った。
 
「リリーの誕生日プレゼントが、事故で両方駄目になっちゃってたらしい」
 
「両方って、ガラスの小鳥の置物と刺繍?」
 
「うん」
 
 あの事故の中で無事である方が奇跡に近い。ストンと心に落ち、納得する。
 
「そっか~」
 
「それだけ?」
 
「うん」
 
 他に何と言えば良かったのだろう。
 こちらを再び見るその人は、苦笑いをしてしまった。
 
「もっとショックを受けるかって心配したけど……」
 
「私、そんなに弱くないもん」
 
「そっか」
 
 言うなり、クラウは私の頭を三度ほど撫でる。その表情が安心しきったものだったので、残念な話とはこれだけのようだ。
 予想通り、次の言葉は紡がれる。
 
「今度は楽しみな話。リリーの誕生会のやり直しの日が決まったんだ」
 
「いつ?」
 
「丁度、七日後だよ」
 
 という事は、新しい誕生日プレゼントをあと七日で決めなくてはいけないという事になる。
 刺繍はどうにかなるとして、クラウと二人で決めた筈の誕生日プレゼントはどうすれば良いのだろう。いきなり大問題が発生してしまった。
 
「プレゼント、いつ買いに行こう……。刺繍は何とかなるけど、商店街に行ける程、足が良くなった訳じゃないし……」
 
「う~ん……」と唸り声を上げ、ドレスを握り締める。その右手にクラウは左手を重ねる。
 
「大丈夫だよ。リリーなら分かってくれるし、壊れちゃった置物はまた来年買いに行こう。それなら、またスカイブ湖に行けるじゃん?」
 
「……うん」
 
 クラウがそう言うのなら、きっと大丈夫なのだろう。
 根拠の無い安心感から、身体から力が抜けていった。小さな音を立てて背凭れに身を預ける。
 それならば、刺繍を仕上げる事に集中しよう。前回は百合とクローバーだけで図柄を仕上げたけれど、何だか物足りない気がする。そうだ、何か植物に合う模様を入れよう。
 こうしてはいられない。
 
「クラウ、ちょっと手伝って」
 
「えっ? 何?」
 
「刺繍の模様、何か探したいの」
 
 洋箪笥の中にある図案は写実的な植物の絵しか入っていなかった。この屋敷の中なら、模様の図案の一つや二つくらい隠れていそうなものだ。
 ただ、何処をどう探せば良いのか分からない。
 
「それなら、姉さんに頼んだ方がすぐに探せるよ」
 
「お姉様、次はいつ屋敷に来るかなぁ」
 
「確か明日だった筈だよ」
 
 明日ならば、徹夜をすれば間に合うだろうか。折角の誕生日プレゼントだから、出来る限り丁寧に縫い進めたい。
 取り敢えず、今日はハンカチの中央に仕上げる予定の百合のデザインを決めてしまおう。今は焦っても仕方ないと、頷いてから紅茶に口を付けた。
 
「あれ? 意外と落ち着いてる?」
 
「焦ってもしょうがないもん」
 
「うーん、なんて言うか……」
 
「何~?」
 
 首を傾げてみせると、クラウは自分の頭を掻きながら複雑そうな表情をする。
 
「根性が座ってきたって言うか……姉さんに似てきたって言うか」
 
「え~っ!?」
 
 私には全く自覚が無い。と言うか、私があんなに頼り甲斐のあるサバサバした女性になれる筈が無いのに。
 
「一緒に居たら、似てくるものなのかな」
 
「う~ん……」
 
 私の気持ちを置いてけぼりで、クラウは納得してしまったらしい。何度か頷くと、此方に笑顔を向ける。
 
「俺、そろそろ戻るよ。ミユの刺繍の邪魔しちゃ悪いし」
 
「えっ? 邪魔じゃないのに」
 
「ううん、またね」
 
 名残惜しそうに私の頭を何度か撫で、優しそうに目を細める。
 そんな顔をされては、引き留めようにも難しくなってしまう。
 クラウはゆっくりと立ち上がると、颯爽とはいかずにのそのそと部屋から出ていってしまった。
 
「む~……」
 
 扉が閉まる音で、へそ天で寝転がるカイルの手足がピクリと動く。それも一瞬で、カイルはまた夢の世界へと行ってしまったらしい。小さな寝息が聞こえ始めた。
 
「う~ん……」
 
 何かクラウは隠し事をしている気がする。ヒルダの話をしてから、若干ソワソワしていたように思えてくる。
 呼び鈴を鳴らすと、すぐさまルーナが駆けつけてくれた。
 
「何かございましたか?」
 
「ちょっとクラウの様子を見てきて欲しいの」
 
「えっ?」
 
「私に隠し事してる気がする……」
 
 ただの私の勘だけれど。
 ルーナは困り顔になってしまい、両手をもじもじさせ始めた。
 
「私、詮索は得意ではありませんが……」
 
「うん、大丈夫。ちょっと見てきてくれるだけで良いの」
 
「分かりました」
 
 何かを決意したのか、ルーナは両手で拳を作る。
 
「私、やってみせます」
 
「うん、お願いね」
 
「かしこまりました」
 
 闘志に満ちた瞳で此方を見遣ると、すっとお辞儀をする。そのまま力強い足取りで部屋から出ていってしまった。
 
「ホントに大丈夫かなぁ……」
 
 私が頼んだのに、段々と心配になってしまう。
 溜め息を吐き、冷めた紅茶を口に含んだ。
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