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第28章 母の涙
母の涙Ⅱ
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ルーカスはぐるりと使用人を見渡した後、屋敷内ではよく目にする壮年の執事に狙いを定めた。
「ベンジー」
「はい、旦那様」
「キャシーを呼んできてくれ」
「かしこまりました」
その壮年の執事は優雅にお辞儀をし、てくてくと廊下の奥へと消えていった。
アイリンドル公爵は機嫌を損ねたのか、口をへの字に曲げている。
「ねえ、クラウ」
「ん?」
そんな公爵を余所に皆が話に花を咲かせる中、こそっとクラウに囁いてみる。
「ベンジーって偉い人? なんだか、他の使用人とは雰囲気が違うって言うか……」
そう、纏っているオーラが違う。
私の問いかけに、クラウは小さく頷いた。
「うん。ベンジーは父さんの執事長で、使用人統括だよ。ライアンも将来はああなるんじゃないかな」
「そうなんだ……」
納得し、再びルーカスの方へと目を向けてみる。
「ですから、此処はクラッカーで驚かせて」
「きっとルーゼンベルク公爵夫人も喜びますわ」
ルーカスの視線の先には、金色に輝く小さな円錐の物――恐らくクラッカーだろう、それを手編みのバスケットいっぱいに持ち、使用人を含めるこの場に居る人たちに一つずつ配り歩いているヒルダの姿があった。
皆がはしゃぎ、浮足立っている。その様子にこちらまでワクワクしてくる。演奏前の緊張など何処かへ行ってしまったかのようだ。
ヒルダはベッドの前にやってくると、クラッカーをまた一つ取り出した。
「はい、クローディオの分」
「ありがとう」
「これはミエラの分」
そうして渡されたのは、掌大の紙製の箱だった。その中には、切り刻まれた色とりどりの紙が沢山入っている。
じっとその箱を見ていると、ヒルダは小さく笑う。
「ミエラはクラッカーの紐を引っ張れないんじゃないかって、特別にね」
「お姉様、ありがとう」
「お礼はベンジーに言ってあげて。用意してくれたのはベンジーだから」
ルーゼンベルクの皆が些細な事でも私に気を配り、対応してくれている。それがとてつもなく嬉しい。
再びヒルダは笑うと、駆け足でソファーの方へと戻っていく。
紙吹雪の入った箱は太腿の上へ置き、そっと右手をクラウの手に重ねてみる。すると、クラウも此方を向いて微笑んでくれた。
「私、嬉しい」
「ん?」
「皆、私を置いてけぼりにしないで、ちゃんと一緒に連れてってくれるもん」
「当たり前だよ。ミユは大事な家族だから」
重ねた手を摺り抜け、クラウの左手は私の頭を優しく撫でる。そんな事をするから、瞳が潤んできてしまった。必死に瞬きを堪える。
とその時、蝶番の音と共に扉が開かれたのだ。
皆がクラッカーを扉の方へと向けので、私も紙吹雪を一掴みする。
「誕生日おめでとうー!」
キャサリンが部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、歓声が沸き起こった。と同時に、クラッカーの音が鳴り響く。私も思い切り目の前に紙吹雪を舞わせた。
キャサリン目掛けて飛び散った紙片は床にゆっくりと広がり、乱雑な絵を描いていく。
「皆、ありがとう」
にっこりと微笑み、胸に手を当てるキャサリンに、ルーカスは軽く首を振る。
「ありがとうはまだ要らないよ。お楽しみの音楽の時間だ」
ルーカス、セドリック、ヒルダはそれぞれの持ち場に付き、楽器を手にして頷き合う。
いよいよ、この時が来てしまった。一気に緊張感が押し寄せ、掌が汗ばみ始める。
「準備は良いか?」
「うん」
「はい」
しんと静まり返る部屋に、楽器を構える音だけが響く。
皆につられて頷いてしまったものの、心の準備が出来ていない。落ち着け、私、と心の中で唱えてみる。
クラウとルーカスは呼吸を合わせ、指を躍らせ始めた。コロコロと転がるような楽しい旋律が私の目の前で紡がれていく。
大分練習をしたから、休符を数えなくても自分の曲の入りが分かるようになっていた。音楽に心を寄せ、一呼吸する。
曲が途切れた所でルーカスを見て、自然と指を動かしていた。
はっきり言って、最後の練習の出来は超えられなかったと思う。クラウにカバーしてもらった箇所とは違う所で一音だけ音を外してしまった。
しかし、いつも以上に周りの音を聞き、音楽に酔いしれられただろう。演奏後の爽快感は今まで感じた事の無かったものだったから。
一つのミスを受け入れ、それも曲の一部だと結論付けられたのは良い経験だ。
音が鳴りやむと、拍手と口笛の音が部屋を満たした。
「皆ありがとう! 特にミエラ」
「えっ?」
キャサリンに駆け寄られ、その勢いで右手を掴まれ、困惑しながら小首を傾げてみる。
「貴女、ピアノは初めてなんでしょう? ルーカスに聞きました。とても素敵でしたよ」
まさか、私が褒められるとは思っていなかった。素敵だなんて、恐れ多い出来なのに。
「最高の誕生日プレゼントです」
言われ、一気に顔が高熱を帯びる。
頑張って良かった。一気に肩の荷が下りていった。
「ミエラは筋が良いだろう? また、来年も頑張ってもらわないと」
「一年後の成長が楽しみですね」
そう言われると、また頑張らない訳にはいかない。
今から基礎をしっかり固めなくては。
「クラウ、またピアノ教えてね」
「うん、勿論だよ。ミユならもっと上達出来るから」
クラウの顔を見上げ、にっこりと微笑んでみる。
すると、キャサリンは驚きとも喜びとも取れる表情で目を丸くしたのだ。
「ベンジー」
「はい、旦那様」
「キャシーを呼んできてくれ」
「かしこまりました」
その壮年の執事は優雅にお辞儀をし、てくてくと廊下の奥へと消えていった。
アイリンドル公爵は機嫌を損ねたのか、口をへの字に曲げている。
「ねえ、クラウ」
「ん?」
そんな公爵を余所に皆が話に花を咲かせる中、こそっとクラウに囁いてみる。
「ベンジーって偉い人? なんだか、他の使用人とは雰囲気が違うって言うか……」
そう、纏っているオーラが違う。
私の問いかけに、クラウは小さく頷いた。
「うん。ベンジーは父さんの執事長で、使用人統括だよ。ライアンも将来はああなるんじゃないかな」
「そうなんだ……」
納得し、再びルーカスの方へと目を向けてみる。
「ですから、此処はクラッカーで驚かせて」
「きっとルーゼンベルク公爵夫人も喜びますわ」
ルーカスの視線の先には、金色に輝く小さな円錐の物――恐らくクラッカーだろう、それを手編みのバスケットいっぱいに持ち、使用人を含めるこの場に居る人たちに一つずつ配り歩いているヒルダの姿があった。
皆がはしゃぎ、浮足立っている。その様子にこちらまでワクワクしてくる。演奏前の緊張など何処かへ行ってしまったかのようだ。
ヒルダはベッドの前にやってくると、クラッカーをまた一つ取り出した。
「はい、クローディオの分」
「ありがとう」
「これはミエラの分」
そうして渡されたのは、掌大の紙製の箱だった。その中には、切り刻まれた色とりどりの紙が沢山入っている。
じっとその箱を見ていると、ヒルダは小さく笑う。
「ミエラはクラッカーの紐を引っ張れないんじゃないかって、特別にね」
「お姉様、ありがとう」
「お礼はベンジーに言ってあげて。用意してくれたのはベンジーだから」
ルーゼンベルクの皆が些細な事でも私に気を配り、対応してくれている。それがとてつもなく嬉しい。
再びヒルダは笑うと、駆け足でソファーの方へと戻っていく。
紙吹雪の入った箱は太腿の上へ置き、そっと右手をクラウの手に重ねてみる。すると、クラウも此方を向いて微笑んでくれた。
「私、嬉しい」
「ん?」
「皆、私を置いてけぼりにしないで、ちゃんと一緒に連れてってくれるもん」
「当たり前だよ。ミユは大事な家族だから」
重ねた手を摺り抜け、クラウの左手は私の頭を優しく撫でる。そんな事をするから、瞳が潤んできてしまった。必死に瞬きを堪える。
とその時、蝶番の音と共に扉が開かれたのだ。
皆がクラッカーを扉の方へと向けので、私も紙吹雪を一掴みする。
「誕生日おめでとうー!」
キャサリンが部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、歓声が沸き起こった。と同時に、クラッカーの音が鳴り響く。私も思い切り目の前に紙吹雪を舞わせた。
キャサリン目掛けて飛び散った紙片は床にゆっくりと広がり、乱雑な絵を描いていく。
「皆、ありがとう」
にっこりと微笑み、胸に手を当てるキャサリンに、ルーカスは軽く首を振る。
「ありがとうはまだ要らないよ。お楽しみの音楽の時間だ」
ルーカス、セドリック、ヒルダはそれぞれの持ち場に付き、楽器を手にして頷き合う。
いよいよ、この時が来てしまった。一気に緊張感が押し寄せ、掌が汗ばみ始める。
「準備は良いか?」
「うん」
「はい」
しんと静まり返る部屋に、楽器を構える音だけが響く。
皆につられて頷いてしまったものの、心の準備が出来ていない。落ち着け、私、と心の中で唱えてみる。
クラウとルーカスは呼吸を合わせ、指を躍らせ始めた。コロコロと転がるような楽しい旋律が私の目の前で紡がれていく。
大分練習をしたから、休符を数えなくても自分の曲の入りが分かるようになっていた。音楽に心を寄せ、一呼吸する。
曲が途切れた所でルーカスを見て、自然と指を動かしていた。
はっきり言って、最後の練習の出来は超えられなかったと思う。クラウにカバーしてもらった箇所とは違う所で一音だけ音を外してしまった。
しかし、いつも以上に周りの音を聞き、音楽に酔いしれられただろう。演奏後の爽快感は今まで感じた事の無かったものだったから。
一つのミスを受け入れ、それも曲の一部だと結論付けられたのは良い経験だ。
音が鳴りやむと、拍手と口笛の音が部屋を満たした。
「皆ありがとう! 特にミエラ」
「えっ?」
キャサリンに駆け寄られ、その勢いで右手を掴まれ、困惑しながら小首を傾げてみる。
「貴女、ピアノは初めてなんでしょう? ルーカスに聞きました。とても素敵でしたよ」
まさか、私が褒められるとは思っていなかった。素敵だなんて、恐れ多い出来なのに。
「最高の誕生日プレゼントです」
言われ、一気に顔が高熱を帯びる。
頑張って良かった。一気に肩の荷が下りていった。
「ミエラは筋が良いだろう? また、来年も頑張ってもらわないと」
「一年後の成長が楽しみですね」
そう言われると、また頑張らない訳にはいかない。
今から基礎をしっかり固めなくては。
「クラウ、またピアノ教えてね」
「うん、勿論だよ。ミユならもっと上達出来るから」
クラウの顔を見上げ、にっこりと微笑んでみる。
すると、キャサリンは驚きとも喜びとも取れる表情で目を丸くしたのだ。
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