上 下
123 / 138
第28章 母の涙

母の涙Ⅱ

しおりを挟む
 ルーカスはぐるりと使用人を見渡した後、屋敷内ではよく目にする壮年の執事に狙いを定めた。

「ベンジー」

「はい、旦那様」

「キャシーを呼んできてくれ」

「かしこまりました」

 その壮年の執事は優雅にお辞儀をし、てくてくと廊下の奥へと消えていった。
 アイリンドル公爵は機嫌を損ねたのか、口をへの字に曲げている。

「ねえ、クラウ」

「ん?」

 そんな公爵を余所に皆が話に花を咲かせる中、こそっとクラウに囁いてみる。

「ベンジーって偉い人? なんだか、他の使用人とは雰囲気が違うって言うか……」

 そう、纏っているオーラが違う。
 私の問いかけに、クラウは小さく頷いた。

「うん。ベンジーは父さんの執事長で、使用人統括だよ。ライアンも将来はああなるんじゃないかな」

「そうなんだ……」

 納得し、再びルーカスの方へと目を向けてみる。

「ですから、此処はクラッカーで驚かせて」

「きっとルーゼンベルク公爵夫人も喜びますわ」

 ルーカスの視線の先には、金色に輝く小さな円錐の物――恐らくクラッカーだろう、それを手編みのバスケットいっぱいに持ち、使用人を含めるこの場に居る人たちに一つずつ配り歩いているヒルダの姿があった。
 皆がはしゃぎ、浮足立っている。その様子にこちらまでワクワクしてくる。演奏前の緊張など何処かへ行ってしまったかのようだ。
 ヒルダはベッドの前にやってくると、クラッカーをまた一つ取り出した。

「はい、クローディオの分」

「ありがとう」

「これはミエラの分」

 そうして渡されたのは、掌大の紙製の箱だった。その中には、切り刻まれた色とりどりの紙が沢山入っている。
 じっとその箱を見ていると、ヒルダは小さく笑う。

「ミエラはクラッカーの紐を引っ張れないんじゃないかって、特別にね」

「お姉様、ありがとう」

「お礼はベンジーに言ってあげて。用意してくれたのはベンジーだから」

 ルーゼンベルクの皆が些細な事でも私に気を配り、対応してくれている。それがとてつもなく嬉しい。
 再びヒルダは笑うと、駆け足でソファーの方へと戻っていく。
 紙吹雪の入った箱は太腿の上へ置き、そっと右手をクラウの手に重ねてみる。すると、クラウも此方を向いて微笑んでくれた。

「私、嬉しい」

「ん?」

「皆、私を置いてけぼりにしないで、ちゃんと一緒に連れてってくれるもん」

「当たり前だよ。ミユは大事な家族だから」

 重ねた手を摺り抜け、クラウの左手は私の頭を優しく撫でる。そんな事をするから、瞳が潤んできてしまった。必死に瞬きを堪える。
 とその時、蝶番の音と共に扉が開かれたのだ。
 皆がクラッカーを扉の方へと向けので、私も紙吹雪を一掴みする。

「誕生日おめでとうー!」

 キャサリンが部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、歓声が沸き起こった。と同時に、クラッカーの音が鳴り響く。私も思い切り目の前に紙吹雪を舞わせた。
 キャサリン目掛けて飛び散った紙片は床にゆっくりと広がり、乱雑な絵を描いていく。

「皆、ありがとう」

 にっこりと微笑み、胸に手を当てるキャサリンに、ルーカスは軽く首を振る。

「ありがとうはまだ要らないよ。お楽しみの音楽の時間だ」

 ルーカス、セドリック、ヒルダはそれぞれの持ち場に付き、楽器を手にして頷き合う。
 いよいよ、この時が来てしまった。一気に緊張感が押し寄せ、掌が汗ばみ始める。

「準備は良いか?」

「うん」

「はい」

 しんと静まり返る部屋に、楽器を構える音だけが響く。
 皆につられて頷いてしまったものの、心の準備が出来ていない。落ち着け、私、と心の中で唱えてみる。
 クラウとルーカスは呼吸を合わせ、指を躍らせ始めた。コロコロと転がるような楽しい旋律が私の目の前で紡がれていく。
 大分練習をしたから、休符を数えなくても自分の曲の入りが分かるようになっていた。音楽に心を寄せ、一呼吸する。
 曲が途切れた所でルーカスを見て、自然と指を動かしていた。
 はっきり言って、最後の練習の出来は超えられなかったと思う。クラウにカバーしてもらった箇所とは違う所で一音だけ音を外してしまった。
 しかし、いつも以上に周りの音を聞き、音楽に酔いしれられただろう。演奏後の爽快感は今まで感じた事の無かったものだったから。
 一つのミスを受け入れ、それも曲の一部だと結論付けられたのは良い経験だ。
 音が鳴りやむと、拍手と口笛の音が部屋を満たした。

「皆ありがとう! 特にミエラ」

「えっ?」

 キャサリンに駆け寄られ、その勢いで右手を掴まれ、困惑しながら小首を傾げてみる。

「貴女、ピアノは初めてなんでしょう? ルーカスに聞きました。とても素敵でしたよ」

 まさか、私が褒められるとは思っていなかった。素敵だなんて、恐れ多い出来なのに。

「最高の誕生日プレゼントです」

 言われ、一気に顔が高熱を帯びる。
 頑張って良かった。一気に肩の荷が下りていった。

「ミエラは筋が良いだろう? また、来年も頑張ってもらわないと」

「一年後の成長が楽しみですね」

 そう言われると、また頑張らない訳にはいかない。
 今から基礎をしっかり固めなくては。

「クラウ、またピアノ教えてね」

「うん、勿論だよ。ミユならもっと上達出来るから」

 クラウの顔を見上げ、にっこりと微笑んでみる。
 すると、キャサリンは驚きとも喜びとも取れる表情で目を丸くしたのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

【完結】「父に毒殺され母の葬儀までタイムリープしたので、親戚の集まる前で父にやり返してやった」

まほりろ
恋愛
十八歳の私は異母妹に婚約者を奪われ、父と継母に毒殺された。 気がついたら十歳まで時間が巻き戻っていて、母の葬儀の最中だった。 私に毒を飲ませた父と継母が、虫の息の私の耳元で得意げに母を毒殺した経緯を話していたことを思い出した。 母の葬儀が終われば私は屋敷に幽閉され、外部との連絡手段を失ってしまう。 父を断罪できるチャンスは今しかない。 「お父様は悪くないの!  お父様は愛する人と一緒になりたかっただけなの!  だからお父様はお母様に毒をもったの!  お願いお父様を捕まえないで!」 私は声の限りに叫んでいた。 心の奥にほんの少し芽生えた父への殺意とともに。 ※他サイトにも投稿しています。 ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 ※「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※タイトル変更しました。 旧タイトル「父に殺されタイムリープしたので『お父様は悪くないの!お父様は愛する人と一緒になりたくてお母様の食事に毒をもっただけなの!』と叫んでみた」

異世界に召喚されたけど、聖女じゃないから用はない? それじゃあ、好き勝手させてもらいます!

明衣令央
ファンタジー
 糸井織絵は、ある日、オブルリヒト王国が行った聖女召喚の儀に巻き込まれ、異世界ルリアルークへと飛ばされてしまう。  一緒に召喚された、若く美しい女が聖女――織絵は召喚の儀に巻き込まれた年増の豚女として不遇な扱いを受けたが、元スマホケースのハリネズミのぬいぐるみであるサーチートと共に、オブルリヒト王女ユリアナに保護され、聖女の力を開花させる。  だが、オブルリヒト王国の王子ジュニアスは、追い出した織絵にも聖女の可能性があるとして、織絵を連れ戻しに来た。  そして、異世界転移状態から正式に異世界転生した織絵は、若く美しい姿へと生まれ変わる。  この物語は、聖女召喚の儀に巻き込まれ、異世界転移後、新たに転生した一人の元おばさんの聖女が、相棒の元スマホケースのハリネズミと楽しく無双していく、恋と冒険の物語。 2022.9.7 話が少し進みましたので、内容紹介を変更しました。その都度変更していきます。

莫大な遺産を相続したら異世界でスローライフを楽しむ

翔千
ファンタジー
小鳥遊 紅音は働く28歳OL 十八歳の時に両親を事故で亡くし、引き取り手がなく天涯孤独に。 高校卒業後就職し、仕事に明け暮れる日々。 そんなある日、1人の弁護士が紅音の元を訪ねて来た。 要件は、紅音の母方の曾祖叔父が亡くなったと言うものだった。 曾祖叔父は若い頃に単身外国で会社を立ち上げ生涯独身を貫いき、血縁者が紅音だけだと知り、曾祖叔父の遺産を一部を紅音に譲ると遺言を遺した。 その額なんと、50億円。 あまりの巨額に驚くがなんとか手続きを終える事が出来たが、巨額な遺産の事を何処からか聞きつけ、金の無心に来る輩が次々に紅音の元を訪れ、疲弊した紅音は、誰も知らない土地で一人暮らしをすると決意。 だが、引っ越しを決めた直後、突然、異世界に召喚されてしまった。 だが、持っていた遺産はそのまま異世界でも使えたので、遺産を使って、スローライフを楽しむことにしました。

悪役令嬢は処刑されました

菜花
ファンタジー
王家の命で王太子と婚約したペネロペ。しかしそれは不幸な婚約と言う他なく、最終的にペネロペは冤罪で処刑される。彼女の処刑後の話と、転生後の話。カクヨム様でも投稿しています。

転生王女は異世界でも美味しい生活がしたい!~モブですがヒロインを排除します~

ちゃんこ
ファンタジー
乙女ゲームの世界に転生した⁉ 攻略対象である3人の王子は私の兄さまたちだ。 私は……名前も出てこないモブ王女だけど、兄さまたちを誑かすヒロインが嫌いなので色々回避したいと思います。 美味しいものをモグモグしながら(重要)兄さまたちも、お国の平和も、きっちりお守り致します。守ってみせます、守りたい、守れたらいいな。え~と……ひとりじゃ何もできない! 助けてMyファミリー、私の知識を形にして~! 【1章】飯テロ/スイーツテロ・局地戦争・飢饉回避 【2章】王国発展・vs.ヒロイン 【予定】全面戦争回避、婚約破棄、陰謀?、養い子の子育て、恋愛、ざまぁ、などなど。 ※〈私〉=〈わたし〉と読んで頂きたいと存じます。 ※恋愛相手とはまだ出会っていません(年の差) ブログ https://tenseioujo.blogspot.com/ Pinterest https://www.pinterest.jp/chankoroom/ ※作中のイラストは画像生成AIで作成したものです。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

子育て失敗の尻拭いは婚約者の務めではございません。

章槻雅希
ファンタジー
学院の卒業パーティで王太子は婚約者を断罪し、婚約破棄した。 真実の愛に目覚めた王太子が愛しい平民の少女を守るために断行した愚行。 破棄された令嬢は何も反論せずに退場する。彼女は疲れ切っていた。 そして一週間後、令嬢は国王に呼び出される。 けれど、その時すでにこの王国には終焉が訪れていた。 タグに「ざまぁ」を入れてはいますが、これざまぁというには重いかな……。 小説家になろう様にも投稿。

処理中です...