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第9章 激動

激動Ⅲ

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 ルーナはまだ目覚めない。手を握っても、頭を撫でても、ピクリとも動かない。
 執事たちがルーナを一階の部屋に運んでから、もう二、三時間は経っていると思う。
 犯人が放った言葉が余りにも重く、クラウとの会話も無い。一緒にこの部屋へは来たものの、クラウは後ろで腕を組み、悔しげに壁に凭れ掛かっている。
 メイドが冷水を差し入れてくれたりしたけれど、飲める気分でも無かった。

「ルーナ……」

 私の為に、こんな目に遭わせてしまってごめんなさい。心の中で呟き、飲み込む。
 居た堪れない気持ちを抱え、何とか時間をやり過ごしていた。
 時計が針を刻む音だけが響く。
 とその時、ルーナの薄目が開いた。

「ルーナ……!」

 その瞳は宙を泳ぎ、焦点の合わない様子で私を見た。

「うっ……!」

「ルーナ!?」

 ルーナは顔を背けると、ケホケホと苦しそうに咳をし始めた。背中を摩ってみても良くなる気配は無い。

「クローディオ、どうしよう……!」

「医者を!」

 いつの間にか私の隣に来ていたクラウは踵を返し、廊下へと出ていってしまった。

「ルーナ、ルーナ!」

 涙で視界が霞むのも気にせず、背中を擦りながら必死に呼び掛けていた。
 ルーナがこのままどうかなってしまったらどうしよう。不安ばかりが膨らむ。

「ミエラ様、失礼致します」

 何者かが私をルーナから引き剥がし、処置をし始めた。私はただしゃがみ込み、涙を流し続ける。

「ルーナは危険を承知で囮を引き受けたんだ。ミエラが悔やむ事じゃない」

 クラウが言うのを聞きながら、暖かな体温に包み込まれた。

「でも……!」

「ルーナは大丈夫だから」

 クラウに分かるのだろうか。大丈夫じゃなかったらどうするのだろう。
 涙で濡れた顔を両手で覆う。

「ミエラ様、もう大丈夫ですよ。ルーナは吐き気を催したようです。麻酔が切れたばかりで、まだ返事は出来ませんが、安心して下さい」

「ホント……?」

「はい」

 顔をゆっくりと上げると、年配の男性が微笑んでいた。
 今度は安堵で力が抜けていく。
 クラウは私が先程まで座っていた椅子に、ゆっくりと座らせてくれた。
 ぼんやりとしたグリーングレーの目が、私とクラウを眺める。

「ルーナ」

 声を掛けると、ルーナは穏やかに微笑んでくれた。

「良かった……」

 止まりかけていた涙がまた一粒零れた。今度は悔しさではなく、喜びで。

「もう苦しくない?」

 ルーナは小さく頷く。

「ありがとう。此処までしてくれて」

 『ごめんね』ではない気がしたのだ。謝ってしまえば、相手を苦しめてしまう。
 ルーナはふるふると首を振る。

「ミエラ様、クローディオ様……。ご無事で、良かった、です……」

「ルーナ……」

 ルーナの左手をそっと両手で包み込んだ。
 その手の上に、クラウも左手を置く。

「ミエラ、今はルーナを休ませてあげよう? そろそろ俺たちも休まなきゃ。明日はまた忙しくなるし」

「……うん」

 正直、明日はどんな事が待っているのか分からない。それでも、今はルーナを眠らせてあげた方が良い。それだけは分かる。

「ルーナ、廊下にはまだ見張りが居るから。安心して休んで」

 クラウの言葉に、ルーナは小さく頷く。

「ルーナ、おやすみなさい」

 微笑みかけると、目を細めて朗らかに微笑み返してくれた。手を離し、ゆっくりと立ちがる。
 クラウに手を引かれて部屋を出るその時まで、もう片方の手をルーナに向けて振っていた。

「ふぅ……」

 扉を閉めるなり、クラウは大きく息を吐く。

「これで一安心、かな」

「うん、ホントに良かった……」

 ルーゼンベルクから怪我人を出す事無く、今回の作戦は成功したのだから。
 とは言え、私たちに笑顔は戻らなかった。『裏切り者』という言葉が尾を引いているのだ。

「でも、私たち、あんな風に思われてるなんて……」

「その話は戻ってからにしよう。あんまり使用人に聞かれたくないから」

「分かった」

 どちらともなく、歩を進める。冷えた廊下を進み、階段を上り、突き当たりまで歩く。何方の部屋に行くのだろうと思っていると、クラウの部屋に招き入れられた。
 部屋には灯りが点っており、暖炉が室内を適温に保ってくれている。
 まじまじと見た事が無かったのだけれど、この部屋の家具は青を基調としていて、ロココ調なのにしっかりと男性らしい部屋だ。整理整頓されていて、床には塵一つ無い。

「どうしたの? 変な物でも見つけた?」

「ううん、この部屋も青いんだなぁって。ダイヤのクラウの部屋も青かったから」

「うーん、やっぱり落ち着くのかな。身体……じゃなくて、記憶に染み付いてるって言うか」

「うん、分かる気がする」

 今の私のピンクの部屋も可愛らしい。可愛らしくはあるけれど、見慣れていないせいか、なんだかソワソワしてしまうのも事実だ。
 私には日本の一般家庭で置いてある家具か、エメラルドの塔やダイヤの緑色の家具の方が合っていると思う。

「ミユの部屋の家具、緑に新調しようか?」

「えっ? でも、申し訳ないし……」

「大丈夫だよ。今の家具は娘や孫に使ってもらえば良い」

 娘。孫。考えた事の無いワードに勝手に頭が火を吹いた。顔の温度が上昇しているのが分かる。

「って、今はそれどころじゃない、よね」

 クラウの曇っていく表情に、私の心も沈み、熱は早々に冷めていった。

「気にするな、って言っても無理、だよね。見捨てたなんて、とんだ言いがかりだ」

「うん。私たち、真剣にこれからの事を考えて、魔導師を辞めたのに……」

 とは言え、事の経緯は私たちと王以外、知る由もない。
 一般人にそう思われるのも無理のない話なのかもしれない。

「これから、またミユの安全を脅かすモノが現れるかもしれない。ホントは、こんな物持たせたくないんだけど……」

 言うと、クラウは机に向かって歩き出した。その引き出しに手を伸ばすと、何やらシルバーの十字架の形のような物を取り出し、こちらへと戻ってきた。

「守刀だと思って持ってて」

 差し出されたそれは、柄の先に緑色の石が埋め込まれた、ヨーロッパの唐草模様のような物が彫られた短剣だった。

「でも、私、剣なんて──」

「剣の扱いも護身術を含めて教師を付ける。実戦で使ったのは俺だけだろうけど、身に付いてないよりはマシだから」

 一瞬にして、ルイスとの戦いが脳裏に蘇る。血だらけになりながら、必死に戦っていたクラウは──
 思い出したくない。首を振り、何とか過去を振り払う。

「ミユを守る為なんだ。寝る時も、食事の時も、肌身離さず持ってる事。良い?」

 言いながら、クラウは私の手を取って短剣を握らせる。
 そんな事をされては、逆らう事なんて出来ない。じっとクラウの瞳を詰めてみると、真剣な眼差しだけが返ってきた。

「今日はミユも疲れたよね。ゆっくり休んで」

 早く自室に戻ってくれ。とでも言いたげに、私を部屋の外へと誘導する。そのまま廊下に出てしまった私は、仕方なく向かいの自室へと入った。そのまま着替えも済ませずにベッドへとダイブした。ゴロゴロと転がりながら、短剣を抱き閉める。
 こんな物、使う日がやって来ませんように。
 願っても、裏切り者と罵られた衝撃は冷めやらない。
 眠れぬ夜はただただ闇を纏っていた。
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