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第5章 始まりの疾風

始まりの疾風Ⅳ

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 それが良くなかったらしい。
 目的の部屋へワープし、ミユをベッドに寝かせる俺に、アレクとフレアは目を丸くした。

「オマエ、何泣いてんだ?」

「……ミユ、温かいんだ」

 小さな幸せに、より一層涙が零れる。

「最後にカノンを抱いた時、凄く冷たかったからさ。もう、そうじゃないんだって思ったら……」

 尚更、涙が止まらない。
 アレクとフレアは小さく笑う。直後、何かが思い切り俺の肩を強く叩いた。

「痛っ!」

「今更じゃねーか、んな事」

 じんじんと痛む肩を擦っていると、アレクはにかっと笑う。

「今度こそ、しっかり守ってやれよ」

「……うん」

 絶対に、カノンと同じ目に遭わせたりはしない。胸に誓い、ようやく涙を拭った。

「アレク、お茶持ってきて?」

「何でオレなんだ?」

「女の子の部屋に男二人だけで置いとけないでしょ?」

「それもそーか」

 アレクは頭を掻くと、文句も言わずに部屋を後にした。
 フレアは早速、椅子を移動させようとするので、急いで止めに入る。

「俺がやるから」

「そう? ありがとう」

 微笑むフレアは何処か憂いを帯びているようでもある。
 三脚の椅子をベッドの傍へと移動させ、どちらともなくそれに腰掛ける。
 ミユはまだ目覚めない。アレクが紅茶を持ってきても、それが冷めきっても、飲み干しても目が覚めない。
 このまま目覚めなかったらどうしよう。そんな不安が脳裏を掠めた。
 ティーカップをきつく握り締める。

「大丈夫。大丈夫だから」

 そんな俺を見兼ねてか、フレアは優しく呟いた。
 その時、ようやくミユの瞼がゆっくりと開いた。何度か瞬きをし、何が起こったのかを確認しているようだ。
 瞳の色はエメラルドグリーン――
 いや、見違いだったかもしれない。思わず声を上げそうになった時には、もう焦茶色に戻っていたのだから。

「あれ……?」

「ミユ、混乱してない?」

「う~ん……」

 ミユは眉を顰めると、掛け布団を頭からすっぽりと被った。

「今見たものが過去? 影の事が何か分かるんじゃなかったの?」

 ミユのくぐもった声が聞こえる。

「それは、もう少し先だ」

「じゃあ、また過去を見なきゃいけないの?」

「ああ、あと三つだな」

 アレクが答えると、ミユは唸り声を上げる。

「ミユ、頭、痛む?」

「うん」

「ちょっと我慢しててね」

 フレアの行動は早かった。返事を聞くや否や椅子から立ち上がり、何も言わずに部屋から飛び出していった。
 小さな音を立ててドアが閉まるその光景を、ただぼんやりと眺めていた。

「痛っ!」

 突如としてミユの悲鳴が上がる。

「大丈夫!?」

「ミユ、布団捲るぞ」


 身体が反応したのはアレクの方が早かった。
 布団を捲ると、頭を抱えるミユの顔があった。痛みが若干和らいだのか、瞼は開いており、揺れる瞳は此方を見ていた。

「まだ痛む?」

「うん、ちょっと」

「フレアが水嚢持ってきてくれるからな。もう少し我慢してくれ」

 アレクは苦笑いをすると、ミユの頭へと手を伸ばす。そのまま撫で回し始めた。
 こんなにも辛そうなのに、代わってあげられない。記憶を手放してあげたいのに、俺の心が許さない。

「ごめん」

 呟き、俯いたところで、気持ちが晴れ渡る事は無い。

「そんな顔すんな。余計にミユが不安になっちまうぞ?」

「うん……」

 何とか気持ちを切り替えなくては。軽く頬に両手を当て、息を吐き出した。
 その空気を変えたのはミユだった。

「私、どうして此処に?」

「風の塔の中で倒れちまったからよー、コイツが此処まで運んできたんだ」

「クラウが?」

「あぁ」

 アレクの肘が俺に当たる。
 泣き顔をミユに見られなくて良かった。と同時に、あの時のミユの温もりが蘇り、自然と顔が熱を持ち始める。

「ごめんね」

 消え入りそうなミユの声が聞こえた。
 この言葉は俺に向けられたのだろうか。謝る事なんてないのに。
 大きく首を横に振ってみせた。

「あれを見せられて、倒れない人なんて居ないんだ。だから謝らないで」

「うん……」

 返事の仕方、小さな吐息、恐らく納得はしていないのだろう。
 そうこうしている間にフレアが戻ってきた。水嚢をミユの額にセットし、黒い横髪を耳に掛けながら、その顔を覗き込む。

「これで少し良くなればいいけど」

 フレアは息を吐き、アレクの顔を見上げる。

「七日間くらい様子見てみよーぜ。急かしても良い事はねーだろーしな」

「そうだね、ゆっくり行こう」

 影がすぐに襲ってこない事を願うしかない。両手で握り拳を作る。

「ミユ、お腹空いてない?」

 フレアが聞くと、ミユは首を横に振る。

「腹空いたら言えよ」

「うん」

 ミユが笑顔で大きく頷くと、部屋の緊張が少し緩んだ気がした。
 時計の鳴る音が部屋に反響する。静まり返った状況に耐えきれなかったのかもしれない。

「こんな時に何だけど、ミユって異世界に好きな人って居たの?」

 本当に『こんな時に』だ。フレアがミユにとんでもない事を聞き始めたのだ。
 ミユは不思議そうに首を傾げる。

「居ないけど……?」

「そっかぁ。じゃあ、女の子同士の恋バナはまだ出来ないかぁ」

「恋バナ……」

 ミユは呟くと、頬を赤く染めた。

「ホント、女ってそーいうの好きだよな」

 ちらりとアレクがこちらを見た気がする。
 そんなのはどうでも良い。
 そもそも、リエルとカノンが恋人同士だったからと言って、俺とミユがどうにかなる、という問題でもないのだが。いざ考えようとすると混乱してしまう。
 ひたすらカノンを追い求めてきたものの、このままミユを追っても良いのだろうか。俺のこの気持ちは、本当に俺のものなのだろうか。
 分からない。

 気持ちの決着もつかず、ミユの頭痛が完全に治まるまでには、三日間を要した。
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