上 下
3 / 42
第1章 始まりの刻

始まりの刻Ⅲ

しおりを挟む
「貴女のお名前は何ですか?」

「私? 私は……」

 教えてしまって良いのだろうか。もしかすると、両親が私のせいで脅迫などされてしまうかもしれないのに。
 俯いてしまった私の手に、そっとアリアの手が触れる。

「花岡実結、です」

 多分、この人は怖いだけの人ではない。これまでのアリアの行動がそう思わせ、口を開いていた。

「ファーストネームはどちらでしょう? ハナオカ様ですか? ミユ様でしょうか?」

「実結だよ」

「ミユ様ですね」

 変な質問だなと思いながらも小さく頷いてみせると、アリアはそっと微笑んだ。
 隣に居るアリアがリゾットを食べ始めたので、私もスプーンを使ってリゾットを頬張ってみる。
 甘いミルクとコンソメの味が口いっぱいに広がった。今まで食べてきたリゾットの中で一番美味しいかもしれない。

「美味しい……」

「エメラルド城のシェフは腕が良いですから」

「エメラルド城? シェフ?」

「……いえ、今のは忘れて下さい」

 アリアは私が話を理解出来ない事を認識したのだろう。囁きながら、小さく首を振る。
 私も、きっとアリアもそれ以上何を話して良いか分からず、静かな食卓は続いた。
 リゾットの他にはバニラアイスも用意されていた。
 濃厚なミルクの味を楽しみながら、家族に思いを馳せる。
 もう捜索願が出されたのだろうか。警察は私を見付け出してくれるだろうか。
 鞄もどこへ行ってしまったか分からず、スマホで連絡を取る事も出来ない。通報する事も出来ない。

「私の鞄は何処?」

「鞄、ですか? ミユ様はそのような物をお持ちではありませんでしたよ」

 やはり、か。期待はしていなかったものの、心に重たいものが圧し掛かる。
 アリアは本当に私を帰す気は無いらしい。
 最後の一口を食べ、ガラスの小皿をテーブルに置く。
 アリアも食べ終えたらしく、一息つくと今度はクローゼットの方へと向かった。

「今夜はこちらをお召しになって下さい」

 どうやらナイトウェアを取り出してくれているようだ。
 白色のそれをベッドの上へと置き、ゆったりとした歩幅で此方へと戻ってきた。

「今日はこれで失礼致しますね。明日、またお会いしましょう」

 食器たちをトレイに移すと、アリアはそれを持ち、ドアへと向かう。
 途中で此方に振り返ると、そっと微笑み、部屋から出ていってしまった。
 部屋の中がしんと静まり返る。
 眠くはないけれど、もう眠ってしまおう。もしかすると、明日には誰かが迎えに来てくれるかもしれない。
 僅かな期待を心に秘めながら、ゆっくりとベッドへと向かった。
 茶色の編み上げブーツを脱ぎ捨て、白色の衣服も椅子に脱げ捨て、まるでヨーロッパの貴族が着ていそうなナイトドレスを身に着け、ベッドに大の字で寝ころんだ。
 ダブルベッド並みに大きなこのベッドでは、何だかソワソワして気が休まらない。
 瞼を閉じ、大丈夫、眠れる、私は疲れているのだと自分に言い聞かせる。
 時計の秒針の音が耳にこびり付いて離れない。

――――――――

 ふと気が付いて瞼を開けた。いつの間にか私は眠ってしまったらしい。
 白い天井と天蓋――どうやら昨日の出来事は夢ではないらしい。
 小鳥の鳴く声が聞こえる。時間が気になり、木製の丸い掛け時計に視線を向けてみた。目を凝らしてみれば、針は八時を指していた。
 むくりと起き上がり、周囲を確認してみる。
 誰も居ない。
 溜め息を吐き、膝を抱えた。

「そうだよね……。私の居場所なんて誰も知らないのに、助けなんか来ないよね……」

 駄目だ、このまま考え込んでは涙が出てきてしまう。
 少し気分転換をしよう。
 そうだ。この場所が何処なのか分かれば、スマホが戻ってきた時に助けを呼べるかもしれない。
 レースカーテンが掛けられた大きな窓――ううん、バルコニーを目指した。
 右手でカーテンを除け、ガラス張りのドアを開る。
 目の前に広がるのは空ばかりで、建物は何も無い。
 どういう事だろう。此処はもしかすると高所なのだろうか。
 小首を傾げ、ゆっくりと目線を下へ持っていと――

「何……これ……」

 眼下に広がったのは赤い三角屋根ばかり。日本の景色とは明らかに違う。まるでヨーロッパのような街並みだ。

「嘘……でしょ……?」

 てっきり此処は日本だと思っていたのに。違うのだろうか。
 そう言えば、アリアが変な事を言っていた。

 ――魔法でちゃちゃっとやってしまいました――

 ――貴女の使い魔だからです――

 ――エメラルド城のシェフは腕が良いですから――

 もし、此処が日本では――地球ではないのだとしたら。

「ミユ様、おはようございます」

 今、小さくアリアの声が聞こえた気がした。
 ううん、そんなものはどうでも良い。
 私を助けに来てくれる人なんて居ない。私も帰る方法を知らない。
 嫌だ、何も考えたくない。眩暈がする。

「ミユ様?」

 どうしてこんな事になったのだろう。
 きっかけは――そう、あの雫形の緑色の石だろうか。
 誰が、どうしてあれを私にくれたのだろう。
 
「ミユ様? 何処にいらっしゃいますか?」 

 きっと、これはファンタジーな物語でよく見る異世界転移――
 意識が遠のくのと同時に、身体は後方へと倒れていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

若返ったおっさん、第2の人生は異世界無双

たまゆら
ファンタジー
事故で死んだネトゲ廃人のおっさん主人公が、ネトゲと酷似した異世界に転移。 ゲームの知識を活かして成り上がります。 圧倒的効率で金を稼ぎ、レベルを上げ、無双します。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

処理中です...