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第二部 落日
第四八話 日陰に咲く
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訓練場の見回りを済ませ、主殿の執務室に戻って、次の宮中警備の計画を立てていた涼景を、浮かない顔をした蓮章が訪ねてきた。訪ねてきた、というよりも、正確には、用事もないのに習慣化しているために立ち寄った、と言うべきだ。
「隊の仕上がりはどうだ?」
涼景は気配だけで蓮章だと確信して、軽い口調で話しかけた。こちらも、どこか訪問を心得ていたかのようである。
「ああ、問題ない」
蓮章は涼景の執務机の端に腰掛け、片足を膝に乗せる。東雨など比較にならぬほど、蓮章の素行は悪い。特に、涼景と二人の時は、わざとやっているのではないか、と思うほど、最悪な手本である。
「凛の所に行かなくていい、と伝えたら、あいつら、急に元気になってな。今日は久しぶりにはかどった」
「そうか」
涼景は夕泉親王の邸宅である吟慈園の地図を写しながら、苦笑した。
「全く、少女一人に怯えてどうするんだ、あいつらは」
「少女? 何の冗談だよ」
蓮章はにこりともせず、腕を組んで不機嫌を隠そうともしない。
「涼、お前、暁の連中を試すために、必要もない凛の警護なんかを引き受けたんじゃないだろうな?」
「さすがだな、その通りだ」
涼景は手を止めずに、
「凛の腕前はよく知っている。あいつに警護なんぞ必要ないことも承知だ。最近は実戦から遠ざかっていて、暁の緊張感が欠けていたから、毒蛇に咬ませてみた、というところだ」
「あいつらが毒死したらどうする?」
蓮章は宙を睨んで、
「俺だって、殺されかけた」
「ふふ。お前が凛の挑発に乗って一戦交えたと言ったら、東雨のやつ、『馬鹿なことをした』と呆れていたぞ」
「凛は人をその気にさせるのがうまい」
蓮章はより一層、表情をしかめた。
「それより、聞いたのだろう? 東雨は何と言っていた? 凛は俺のこと……話したのか?」
「いや、何も言っていないそうだ。少なくとも、東雨には」
「そうか」
いつしか、厳しい蓮章の表情は、不機嫌よりも苦慮に近くなっている。
「何でわかったんだ、あいつ……」
涼景は、一瞬目だけを動かして蓮章の横顔を見上げた。
涼景に向けられた左横顔には、色の薄い灰色の瞳が見える。蓮章は生まれつき、左右の目の色が違っていた。右目は漆黒だが、左は冬空の雲のような薄灰色をしている。顔の左側の色素が薄いようで、髪も左だけ白かった。本人はそれを気にして染めていたが、幼い頃からの付き合いである涼景は、彼の姿を好ましく思っていた。
蓮章との関係は、すでに二十年以上になる。
涼景が五歳で宮中に上がってすぐに、蓮章と出会った。二人は共に慈圓に師事し、兄弟のように育ちながら、友情を深めてきた。
皆まで言わずとも、お互いに考えていることはよくわかる。それは、今まで何度もぶつかり、相手の弱さも醜さも知り尽くしてきた過去があればこそだ。
涼景が蓮章を殴ったことは数え切れない。その逆もまた然り、だ。特に、涼景が顔に傷を負った出来事があってからの数年間は、二人の関係は酷いものであった。荒れに荒れていた蓮章を、涼景は日夜追いかけ回して連れ戻した。その度に二人は慈圓の説教を喰らったものだが、今では笑い話である。
蓮章は、ただひたすらに涼景を想った。それが、友情を超えた思慕の情であることは、両者共に認めているところであるし、言葉にして確かめたことさえある。
だが、そこまでだ。
涼景が蓮章を受け入れることはなく、また、蓮章も一線を越えることはしなかった。二人の友情は、いつ崩壊するかもわからない危うさと表裏一体だった。同時に、たとえ何があろうとも、互いを信じる心だけは消えないと言う安心感にもつながる、不思議な関係だった。
色薄い瞳は、薄幸な運命を背負っている蓮章の人生を映しているかのようで、涼景の心に庇護の念をうずかせる。一つ違いの蓮章の存在が、涼景を支えてくれていることは間違いなかった。それは、仕事の上でも、私的な事柄についても同様だ。
犀星に玲陽がいるように、自分には蓮章がいてくれる。だからこそ、強い将軍として立ち続けることができる。
そんな蓮章が深く考え込んでいれば、自然と涼景も不安を覚える。彼を頼ってはいるが、彼を助けたいとも願う。
たまらず、涼景は筆を止めた。
「蓮?」
呼ばれたことに気づいてはいるだろうが、蓮章はこちらを見もしない。ただ、宙を見つめたままだ。
「涼、お前、わかるか?」
声を低めて、ほとんど唇も動かさずに、蓮章が囁いた。
「今、あいつがそばにいるかどうか」
涼景は気配を探ったが、何も感じることはできない。素直に、首を横に振った。
「存在を知っている俺にもわからない」
「……ああ。今まで、誰にも気づかれたことはなかった。星や陽にも。宝順にさえ、指摘されたことはない。それが、凛には気づかれた。あの娘、一体何者なんだ?」
涼景は頬杖をついて、蓮章の顔を見つめたまま、目を細めた。
素直に、美しいと思う。子供の頃に初めて会った時から、蓮章の美貌に涼景は驚かされたものだ。男にしては線が細く、切れ長の目はいつも伏せ目がちで、どこか遠い世界を見ているようでもある。今でこそ武人としての振る舞いも見慣れたが、もともとは荒事などとは無縁の少年だった。慈圓も彼を文官として育てていた。副将と言えども、実際には軍師としての働きが多いのもそのためである。
「おい、聞いているのか?」
ぼんやりと蓮章を見ていた涼景は、片目で睨まれて正気を取り戻した。
「ああ、すまない。つい、お前に見とれていた」
「何言ってんだ、お前?」
蓮章が呆れた声を出す。自然と厳しかった表情が緩み、いつもの、気だるそうな薄い笑顔が戻る。それを見て、涼景はホッと胸の内が穏やかになる。
「寝ぼけてないで、真面目に考えてくれ」
蓮章が顔を背けたのは、明らかな照れ隠しだ。それを察して、涼景の口元にも笑みが宿る。
「凛が何者か、か……」
とってつけたように形式張って、涼景は答えた。
「玲家の血筋ではあるが、陽のような傀儡喰らいの力はない、と聞いている。それ以上のことはわからないが、さほど注目すべきところはないようだ。武術の腕前も、戦略の知識も、すべて侶香様直伝だから、そちらは相当なものだと思うが」
「武芸の方はいい。見ればわかる。だが、玲家の力の方は、未知数ってことか?」
「詳しく聞いたことはない。それを尋ねると、どうしても、あいつの両親の話になってしまうからな」
「凛の両親? 何か話しづらいことでもあるのか?」
「まぁな」
涼景は表情を曇らせた。
「母親は、陽と同じ、玲芳様だ。そして父親は、玲格……玲芳様の実の兄だ」
涼景は気を張って声を出したつもりだが、言葉尻は自然と掠れて上ずった。
それを聞き逃す蓮章ではない。
目をそらした涼景の表情を盗み見て、かすかに目元を歪める。
涼景が抱き続けている燕春への思いを、誰より、蓮章は敏感に感じ取っている。
「そうか」
蓮章は短く答えた。涼景は自身の動揺を隠すように、言葉をつないだ。
「もし、凛にそれなりの力があるのなら、玲格も手元に置いていたはずだ。だが、こうして都に送り出したということは、彼にとって必要な人間ではない、ということ。少なくとも、玲格は凛の力を知らないのだろう」
「そうだな…… 俺が考えすぎただけか」
蓮章は涼景の気まずそうな顔を見て、それ以上、追求しなかった。
「涼、もし、このことで親王たちが何か言ってきても、知らぬ体(てい)で頼む」
「わかっている」
蓮章は机の上に寝転ぶように肘をついて、涼景の手元を覗き込んだ。
「ところで、夕泉親王の帰京祝いの警備は?」
「ん? ああ……」
涼景は、親友の配慮に感謝しながら、転換された話題に乗った。
「お戻りになられてから宴の段取りはつけるが、それまでに改築した屋敷の間取りの確認と、政敵の動向を探っておく必要がある」
「政敵、ねぇ」
蓮章は不敵な笑みを浮かべて見せた。
「次期皇位継承者として、最も敵対する相手は、第四親王だな」
「まぁ、普通はそうなるな」
涼景は、首を振って、
「だが、残念ながら、第四親王には、そのような野望が全くないようで」
「都北の治水工事で大忙しみたいだからな」
そう言って、二人は小さく声を立てて笑いあった。
二人が話題にしている第四親王とは、つまるところ、犀星である。
警備する側の人間としては、夕泉と犀星の関係が良好であることは、非常にありがたかった。
お互いに敵視しあい、寝首をかこうとしてもおかしくない立場だが、この両者に限って、その心配はなかった。
犀星が都に来てすぐの頃から、夕泉との親交は始まった。
夕泉親王はもともと穏やかで、揉め事を起こす性格ではない。犀星も権力に興味はなく、その手の厄介ごとは避けたい性分だ。その点で、この兄弟が衝突する危険性は極めて低い。また、非常に珍しいことであったが、犀星は初めて会った異母兄と不思議と打ち解けた。ごく最近になって、涼景が犀星から聞き出した理由によると、『雰囲気が陽に似ていたから』という、ごく個人的な主観による判断だったらしい。涼景があきれ返ったのは言うまでもない。徹底的に理屈で物事を判断する犀星だが、時折、このような自己基準を適用するから、読み切れない部分がある。
「それで、いつ頃戻ってくるんだ?」
「向こうから届いた早文によると、一月はかからないだろう、とのことだった」
涼景は国家機密である文書を、気軽に蓮章に差し出した。本来であれば、蓮章と言えども読むことは許されないものである。蓮章もそれは心得ているため、自分が目を通したことは決して口外はしないのだが、この二人の間には、このような機密の共有が日常化している現実がある。これはこれで、犀星に劣らず、極めて偏った公私混同である。
犀星も涼景も、気を許した相手には、とことん甘いのが難点である。
蓮章は、書面にあった夕泉親王の帰還路を確認した。道中、害なす者に襲われないよう、その行程は重要な機密事項なのだ。
「都までの警備は?」
蓮章が書面から目を上げて、涼景を見た。
「暁を動かすか?」
「いや、目立ちすぎる。都に入ってからは引き受けるが、それまでは、頼めるか?」
「わかった」
蓮章は頷くと、机を降りた。
「涼、こっちのことは任せてくれ。お前はお堅い警備計画を頼むよ」
「ああ、助かる」
蓮章は目を細めて笑うと、涼景の部屋を後にしたが、廊下に出ると、すぐに笑みが消える。
急ぎ足で自分の部屋に入ると、慎重に室内を見回した。誰も侵入した形跡はない。また、人が隠れられるような場所もつくらないように、家具の選定や配置にも気を遣っている。
誰もいないことを確認してから、蓮章は上を見上げた。
天井の板が、一部、音もなくずれて、そこから身軽に一人の男が室内に飛び降りてくる。
「ずいぶん、楽しそうに話し込んでいたな」
降りたった男は、気やすい調子で蓮章を見た。
蓮章と、瓜二つの姿がそこにはあった。
服装や髪型は違えども、顔形は鏡に映したように見分けがつかない。片方だけ違う目の色まで同じだった。蓮章の影武者、慎(しん)である。
「涼景のやつ、ずっとお前を見ていたぞ」
「うるさい」
蓮章は軽く慎を睨みつけた。
「話は聞いていたんだろう? 警備の手はずをしろ」
「行程を教えてくれれば、完璧にこなしてやるよ」
蓮章は、先ほど見た書面の道筋を、口頭で慎に伝えた。
「心得た。だが、ずいぶん回り道をするんだな。夕泉は、誰に怯えているってんだ?」
「知らん。俺たちは誰が出てこようと、親王を守るだけだ。準備ができたら知らせろ。俺も行く」
「リィ(蓮章の字・梨花のこと)、何を苛立っている?」
「お前のせいだろうが」
蓮章は、壁際の椅子にどさりと座った。
「いちいち、イラつかせるようなこと言いやがって」
「本当のことを言っているだけさ。そんなに涼景が欲しいなら、力づくで落としちまえよ」
「そういう言い草が気に入らないって言ってんだよ」
飄々として、口調も表情も態度も変えない慎に対し、蓮章はいつになく攻撃的だ。
「だいたい、慎、お前が凛なんかに気配を悟られるようなヘマをするから……」
「あれは予想外だった」
慎はさすがに、わずかに肩をすくめた。
「まさか、ああもあっさり見抜くとはな。末恐ろしい女だ」
「すでに現在、恐ろしい相手だ」
蓮章は無表情で吐き捨てた。
「とにかく、気をつけろ。俺が凛と会う時は、引っ込んでろ」
「それは無理だ」
慎は大真面目に、
「少なくとも、現時点で、あの女はお前の身を脅かす強敵だ。そんな奴と会うってのに、俺がいない訳にはいかないだろうが」
「何度も言っているだろ。お前の仕事は俺の影であって、俺を守ることじゃない」
「つれないことを」
ここに来て、慎はようやくわずかな笑みを見せた。その仕草まで、蓮章とそっくりである。
「影武者ってのは、お前に代わって先に死ぬ役だぞ」
「冗談ではない」
蓮章は、心底嫌だ、という顔で、
「そんな理由で誰かに死なれては、寝覚めが悪すぎる。俺になど義理立てせずに、さっさと跡目を継いでくれればいいのに」
「できるか」
慎は鼻で笑った。
「リィ、いくら似ていたところで、『連章』はお前だけだということを忘れるな」
「その名で呼ぶんじゃねぇ!」
カッとして蓮章が振り返った時、すでに慎は姿を消している。反射的に天井を見上げると、板がピタリと閉じられたところだった。
「くそ!」
悪態をついて、蓮章は拳で壁を殴りつけた。
「隊の仕上がりはどうだ?」
涼景は気配だけで蓮章だと確信して、軽い口調で話しかけた。こちらも、どこか訪問を心得ていたかのようである。
「ああ、問題ない」
蓮章は涼景の執務机の端に腰掛け、片足を膝に乗せる。東雨など比較にならぬほど、蓮章の素行は悪い。特に、涼景と二人の時は、わざとやっているのではないか、と思うほど、最悪な手本である。
「凛の所に行かなくていい、と伝えたら、あいつら、急に元気になってな。今日は久しぶりにはかどった」
「そうか」
涼景は夕泉親王の邸宅である吟慈園の地図を写しながら、苦笑した。
「全く、少女一人に怯えてどうするんだ、あいつらは」
「少女? 何の冗談だよ」
蓮章はにこりともせず、腕を組んで不機嫌を隠そうともしない。
「涼、お前、暁の連中を試すために、必要もない凛の警護なんかを引き受けたんじゃないだろうな?」
「さすがだな、その通りだ」
涼景は手を止めずに、
「凛の腕前はよく知っている。あいつに警護なんぞ必要ないことも承知だ。最近は実戦から遠ざかっていて、暁の緊張感が欠けていたから、毒蛇に咬ませてみた、というところだ」
「あいつらが毒死したらどうする?」
蓮章は宙を睨んで、
「俺だって、殺されかけた」
「ふふ。お前が凛の挑発に乗って一戦交えたと言ったら、東雨のやつ、『馬鹿なことをした』と呆れていたぞ」
「凛は人をその気にさせるのがうまい」
蓮章はより一層、表情をしかめた。
「それより、聞いたのだろう? 東雨は何と言っていた? 凛は俺のこと……話したのか?」
「いや、何も言っていないそうだ。少なくとも、東雨には」
「そうか」
いつしか、厳しい蓮章の表情は、不機嫌よりも苦慮に近くなっている。
「何でわかったんだ、あいつ……」
涼景は、一瞬目だけを動かして蓮章の横顔を見上げた。
涼景に向けられた左横顔には、色の薄い灰色の瞳が見える。蓮章は生まれつき、左右の目の色が違っていた。右目は漆黒だが、左は冬空の雲のような薄灰色をしている。顔の左側の色素が薄いようで、髪も左だけ白かった。本人はそれを気にして染めていたが、幼い頃からの付き合いである涼景は、彼の姿を好ましく思っていた。
蓮章との関係は、すでに二十年以上になる。
涼景が五歳で宮中に上がってすぐに、蓮章と出会った。二人は共に慈圓に師事し、兄弟のように育ちながら、友情を深めてきた。
皆まで言わずとも、お互いに考えていることはよくわかる。それは、今まで何度もぶつかり、相手の弱さも醜さも知り尽くしてきた過去があればこそだ。
涼景が蓮章を殴ったことは数え切れない。その逆もまた然り、だ。特に、涼景が顔に傷を負った出来事があってからの数年間は、二人の関係は酷いものであった。荒れに荒れていた蓮章を、涼景は日夜追いかけ回して連れ戻した。その度に二人は慈圓の説教を喰らったものだが、今では笑い話である。
蓮章は、ただひたすらに涼景を想った。それが、友情を超えた思慕の情であることは、両者共に認めているところであるし、言葉にして確かめたことさえある。
だが、そこまでだ。
涼景が蓮章を受け入れることはなく、また、蓮章も一線を越えることはしなかった。二人の友情は、いつ崩壊するかもわからない危うさと表裏一体だった。同時に、たとえ何があろうとも、互いを信じる心だけは消えないと言う安心感にもつながる、不思議な関係だった。
色薄い瞳は、薄幸な運命を背負っている蓮章の人生を映しているかのようで、涼景の心に庇護の念をうずかせる。一つ違いの蓮章の存在が、涼景を支えてくれていることは間違いなかった。それは、仕事の上でも、私的な事柄についても同様だ。
犀星に玲陽がいるように、自分には蓮章がいてくれる。だからこそ、強い将軍として立ち続けることができる。
そんな蓮章が深く考え込んでいれば、自然と涼景も不安を覚える。彼を頼ってはいるが、彼を助けたいとも願う。
たまらず、涼景は筆を止めた。
「蓮?」
呼ばれたことに気づいてはいるだろうが、蓮章はこちらを見もしない。ただ、宙を見つめたままだ。
「涼、お前、わかるか?」
声を低めて、ほとんど唇も動かさずに、蓮章が囁いた。
「今、あいつがそばにいるかどうか」
涼景は気配を探ったが、何も感じることはできない。素直に、首を横に振った。
「存在を知っている俺にもわからない」
「……ああ。今まで、誰にも気づかれたことはなかった。星や陽にも。宝順にさえ、指摘されたことはない。それが、凛には気づかれた。あの娘、一体何者なんだ?」
涼景は頬杖をついて、蓮章の顔を見つめたまま、目を細めた。
素直に、美しいと思う。子供の頃に初めて会った時から、蓮章の美貌に涼景は驚かされたものだ。男にしては線が細く、切れ長の目はいつも伏せ目がちで、どこか遠い世界を見ているようでもある。今でこそ武人としての振る舞いも見慣れたが、もともとは荒事などとは無縁の少年だった。慈圓も彼を文官として育てていた。副将と言えども、実際には軍師としての働きが多いのもそのためである。
「おい、聞いているのか?」
ぼんやりと蓮章を見ていた涼景は、片目で睨まれて正気を取り戻した。
「ああ、すまない。つい、お前に見とれていた」
「何言ってんだ、お前?」
蓮章が呆れた声を出す。自然と厳しかった表情が緩み、いつもの、気だるそうな薄い笑顔が戻る。それを見て、涼景はホッと胸の内が穏やかになる。
「寝ぼけてないで、真面目に考えてくれ」
蓮章が顔を背けたのは、明らかな照れ隠しだ。それを察して、涼景の口元にも笑みが宿る。
「凛が何者か、か……」
とってつけたように形式張って、涼景は答えた。
「玲家の血筋ではあるが、陽のような傀儡喰らいの力はない、と聞いている。それ以上のことはわからないが、さほど注目すべきところはないようだ。武術の腕前も、戦略の知識も、すべて侶香様直伝だから、そちらは相当なものだと思うが」
「武芸の方はいい。見ればわかる。だが、玲家の力の方は、未知数ってことか?」
「詳しく聞いたことはない。それを尋ねると、どうしても、あいつの両親の話になってしまうからな」
「凛の両親? 何か話しづらいことでもあるのか?」
「まぁな」
涼景は表情を曇らせた。
「母親は、陽と同じ、玲芳様だ。そして父親は、玲格……玲芳様の実の兄だ」
涼景は気を張って声を出したつもりだが、言葉尻は自然と掠れて上ずった。
それを聞き逃す蓮章ではない。
目をそらした涼景の表情を盗み見て、かすかに目元を歪める。
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「そうか」
蓮章は短く答えた。涼景は自身の動揺を隠すように、言葉をつないだ。
「もし、凛にそれなりの力があるのなら、玲格も手元に置いていたはずだ。だが、こうして都に送り出したということは、彼にとって必要な人間ではない、ということ。少なくとも、玲格は凛の力を知らないのだろう」
「そうだな…… 俺が考えすぎただけか」
蓮章は涼景の気まずそうな顔を見て、それ以上、追求しなかった。
「涼、もし、このことで親王たちが何か言ってきても、知らぬ体(てい)で頼む」
「わかっている」
蓮章は机の上に寝転ぶように肘をついて、涼景の手元を覗き込んだ。
「ところで、夕泉親王の帰京祝いの警備は?」
「ん? ああ……」
涼景は、親友の配慮に感謝しながら、転換された話題に乗った。
「お戻りになられてから宴の段取りはつけるが、それまでに改築した屋敷の間取りの確認と、政敵の動向を探っておく必要がある」
「政敵、ねぇ」
蓮章は不敵な笑みを浮かべて見せた。
「次期皇位継承者として、最も敵対する相手は、第四親王だな」
「まぁ、普通はそうなるな」
涼景は、首を振って、
「だが、残念ながら、第四親王には、そのような野望が全くないようで」
「都北の治水工事で大忙しみたいだからな」
そう言って、二人は小さく声を立てて笑いあった。
二人が話題にしている第四親王とは、つまるところ、犀星である。
警備する側の人間としては、夕泉と犀星の関係が良好であることは、非常にありがたかった。
お互いに敵視しあい、寝首をかこうとしてもおかしくない立場だが、この両者に限って、その心配はなかった。
犀星が都に来てすぐの頃から、夕泉との親交は始まった。
夕泉親王はもともと穏やかで、揉め事を起こす性格ではない。犀星も権力に興味はなく、その手の厄介ごとは避けたい性分だ。その点で、この兄弟が衝突する危険性は極めて低い。また、非常に珍しいことであったが、犀星は初めて会った異母兄と不思議と打ち解けた。ごく最近になって、涼景が犀星から聞き出した理由によると、『雰囲気が陽に似ていたから』という、ごく個人的な主観による判断だったらしい。涼景があきれ返ったのは言うまでもない。徹底的に理屈で物事を判断する犀星だが、時折、このような自己基準を適用するから、読み切れない部分がある。
「それで、いつ頃戻ってくるんだ?」
「向こうから届いた早文によると、一月はかからないだろう、とのことだった」
涼景は国家機密である文書を、気軽に蓮章に差し出した。本来であれば、蓮章と言えども読むことは許されないものである。蓮章もそれは心得ているため、自分が目を通したことは決して口外はしないのだが、この二人の間には、このような機密の共有が日常化している現実がある。これはこれで、犀星に劣らず、極めて偏った公私混同である。
犀星も涼景も、気を許した相手には、とことん甘いのが難点である。
蓮章は、書面にあった夕泉親王の帰還路を確認した。道中、害なす者に襲われないよう、その行程は重要な機密事項なのだ。
「都までの警備は?」
蓮章が書面から目を上げて、涼景を見た。
「暁を動かすか?」
「いや、目立ちすぎる。都に入ってからは引き受けるが、それまでは、頼めるか?」
「わかった」
蓮章は頷くと、机を降りた。
「涼、こっちのことは任せてくれ。お前はお堅い警備計画を頼むよ」
「ああ、助かる」
蓮章は目を細めて笑うと、涼景の部屋を後にしたが、廊下に出ると、すぐに笑みが消える。
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降りたった男は、気やすい調子で蓮章を見た。
蓮章と、瓜二つの姿がそこにはあった。
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「涼景のやつ、ずっとお前を見ていたぞ」
「うるさい」
蓮章は軽く慎を睨みつけた。
「話は聞いていたんだろう? 警備の手はずをしろ」
「行程を教えてくれれば、完璧にこなしてやるよ」
蓮章は、先ほど見た書面の道筋を、口頭で慎に伝えた。
「心得た。だが、ずいぶん回り道をするんだな。夕泉は、誰に怯えているってんだ?」
「知らん。俺たちは誰が出てこようと、親王を守るだけだ。準備ができたら知らせろ。俺も行く」
「リィ(蓮章の字・梨花のこと)、何を苛立っている?」
「お前のせいだろうが」
蓮章は、壁際の椅子にどさりと座った。
「いちいち、イラつかせるようなこと言いやがって」
「本当のことを言っているだけさ。そんなに涼景が欲しいなら、力づくで落としちまえよ」
「そういう言い草が気に入らないって言ってんだよ」
飄々として、口調も表情も態度も変えない慎に対し、蓮章はいつになく攻撃的だ。
「だいたい、慎、お前が凛なんかに気配を悟られるようなヘマをするから……」
「あれは予想外だった」
慎はさすがに、わずかに肩をすくめた。
「まさか、ああもあっさり見抜くとはな。末恐ろしい女だ」
「すでに現在、恐ろしい相手だ」
蓮章は無表情で吐き捨てた。
「とにかく、気をつけろ。俺が凛と会う時は、引っ込んでろ」
「それは無理だ」
慎は大真面目に、
「少なくとも、現時点で、あの女はお前の身を脅かす強敵だ。そんな奴と会うってのに、俺がいない訳にはいかないだろうが」
「何度も言っているだろ。お前の仕事は俺の影であって、俺を守ることじゃない」
「つれないことを」
ここに来て、慎はようやくわずかな笑みを見せた。その仕草まで、蓮章とそっくりである。
「影武者ってのは、お前に代わって先に死ぬ役だぞ」
「冗談ではない」
蓮章は、心底嫌だ、という顔で、
「そんな理由で誰かに死なれては、寝覚めが悪すぎる。俺になど義理立てせずに、さっさと跡目を継いでくれればいいのに」
「できるか」
慎は鼻で笑った。
「リィ、いくら似ていたところで、『連章』はお前だけだということを忘れるな」
「その名で呼ぶんじゃねぇ!」
カッとして蓮章が振り返った時、すでに慎は姿を消している。反射的に天井を見上げると、板がピタリと閉じられたところだった。
「くそ!」
悪態をついて、蓮章は拳で壁を殴りつけた。
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