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第一部 星誕
第四話 炎の刻印
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抱き合った犀星と玲陽が横たわる寝台に背中をもたせかけて、涼景は床に座り込んでいた。
情事を覗き見ている訳ではないにせよ、その甘い空気はどうにも落ち着かない。つい、妹のことを重ねてしまうと、涼景も体がほてってくる。自分達にもいつか、そんな日が来るのだろうか。いや、決して来てはならない日だ。
燕春とは、十七歳の年齢差がある。しかも、相手はまだ十三になるばかりの娘、体の弱い線の細い妹である。涼景は医術者として、彼女の診察を繰り返すうちに、その体が永くは生きられないことに、いやがおうにも気づいてしまった。二十歳まではない命だろう。出産は愚か、破瓜にも耐えられまい。そのことを、涼景は自分の胸の内にだけ秘め、犀星にすら話したことはない。
涼景とは、そういう男であった。
守ると決めた者のためには、官位も道徳も無視するくせに、自分は得を取るということをしない。うまく立ち回れば、さらに富も名誉も手に入る立場にありながら、それらには一切の興味を示さない。ただ、わずか数人の友のために、全てを投げ打つのだ。我ながら、損な性格だと思う、と言いながら、それでも、彼は満足そうによく笑った。
犀星は、そんな涼景だからこそ、惹かれたのかも知れない。そして玲陽も、涼景のその本質を一目で見抜いた。
時折、背後から聞こえる衣擦れの音や、安堵のため息を聞きながら、涼景の胸に、一抹の不安がよぎる。
この二人を、本当に会わせてよかったのだろうか。
もちろん、両者の気持ちを思えば、こうする以外に方法などない。さもなくば、孤独のあまり、互いに再会せぬまま、命を断つのは時間の問題だった。
しかし、出会ってしまったら、それで終わりではない。
これは、始まりなのだ。
涼景にも想像できないが、何か、大きな……世界を揺るがす出来事が、二人の再会をきっかけに始まろうとしている。そこには、自分も無関係ではいられないだろう。燕春も巻き込むかも知れない。東雨とて、他人事ですまないはずだ。自分達を取り巻く身近な人々、また、ともすると、都を、宮中を、国をも揺るがす、そんなことが……
涼景が途方もない想像をしていたとき、まるで天運のように、痩せこけたネズミが部屋を駆け抜けた。
「大山鳴動して鼠一匹」
思わず、涼景は声に出すと、小さく笑った。
「どうした?」
犀星が静かに声をかけてきた。これほど穏やかな犀星を、涼景も知らない。玲陽が犀星に与える影響とは、そこまでのものなのか……
「いや、ちょっと考え事を、な」
涼景は体勢を変えると、横たわる玲陽の脈を取り、体温を確認する。
「血の巡りが良くなってきたようだな。星、体を少しずらしてやれ。お前が乗っていては、心臓に負担がかかる」
「お前がこうしろ、と言ったんじゃないか」
「状況によって対処は変わるんだ。言うことを聞け」
まるで子供のように言い合いをする二人を、玲陽の優しい笑い声が止めた。思わず、二人とも、玲陽の顔を見つめる。
「この状況下で、一番落ち着いているのは、光理どのらしい」
「陽は、いつもそうだ。俺の暴走を止めてくれる」
「そいつはすごい。俺でも手こずるのに」
「それはお前が無力だから……」
「本当に、よかった」
鈴の音のような、玲陽の声が遮る。操られてでもいるように、大の男が二人とも黙ってしまう。
「兄様、仙水様とのご縁、大切になさいませ」
「せ、仙水様……ねぇ」
聞きなれない呼び名に、犀星が苦笑いをする。
「こいつは、涼景で十分だ」
「それはどうも、伯華様」
悪戯っぽく、涼景も犀星の字を口にする。忘れているのではないか、と思うほど、字で呼び合うことなど、この二人にはなかった。それを察しているのか、玲陽は嬉しそうだ。
「仙水様、私のことも、陽とお呼び下さい」
「では、そうさせてもらおうか」
「本人がいないところでは、そう呼んでいたじゃないか」
「それは、お前が、陽、陽、とうるさいからだ。つい聞きなれてしまった」
「兄様?」
「い、いや、俺はそんなに……」
「寂しくて仕方がなかったらしいぞ。酒を飲んで酔い潰れると、いつもお前を呼んでいた」
「涼景!」
「それじゃ、陽。俺のことも、涼景と呼べ。俺にとって、お前たち二人はどちらも同等だ」
頬を熱らせて不貞腐れる犀星をよそに、玲陽はやんわりと頷いた。
「では、せめて、涼景様、と」
涼景の豪快な笑い声が響く。
「星、こいつはお前より、よっぽど礼儀をわきまえた男じゃないか!」
「こ、これは、陽の昔からの癖で……だから、俺のことも……」
「ああ、それで、星『兄様』、なのか」
合点がいった、と、涼景が腕を組む。が、次の瞬間、その顔から、笑みが消える。
「ところで、これからどうする」
直前までの陽気さが、一転して真面目にとって変わるのは、涼景には良くあることだった。
「陽を、ここに残しておくわけにはいかない」
「まずは一旦、犀家で保護する」
犀星も、涼景の変わり身の速さには慣れたものだ。玲陽だけが、不思議そうに二人のやり取りを見ている。
「陽は血の繋がった俺の従兄弟だ。何ら不思議ではない。身内の問題、ということにすれば、燕家に迷惑はかけないだろう」
「体調を崩した陽を介抱するため、医者として参上しよう」
「お前以外には診せられない」
「俺も、そう、思う」
「では、日が暮れる前に……」
「あ、あの……」
今にも支度をしてここを出ようという勢いの二人に驚いて、玲陽が声をあげた。
「お二人のお気持ちには感謝いたします。けれど、私はここを離れるわけにはいかないのです」
「なぜだ? さっき、門番を締め上げて話を聞いたが、食べ物を運んで来る者もいないというじゃないか。それに、毎晩暴行を受けている、と」
「ですが、そう、決められているのです」
「もしかして、叔父上か?」
犀星が憎々しげに言う。
「はい。父上の言葉は、ここでは絶対です」
「父? 玲格のことか?」
「ああ。陽の身に起こる災難は、あいつが原因だ」
「鬼人と呼ばれている冷血漢らしいな」
玲陽の前でも、遠慮なく涼景は言い放った。玲陽は父と呼ぶが、玲陽と玲角は親子ではなく、甥と伯父の関係にあたる。
「叔父上は、昔から陽のことを良く思っていなかった。だから、陽と叔母上を引き離すために、実妹である叔母上を妾にしたんだ」
言ってしまってから、ハッとして、犀星は涼景を見た。涼景の妹への想いを知っていながら、思わず無神経なことを言ったのでは、と、珍しくばつが悪そうに目を逸らす。だが、涼景に気にした様子はない。
「話は聞いている。その上、二人の間には娘がいると言うじゃないか」
「ああ。凛(りん)と言う。ちょうど、お前の妹と同い年だ」
複雑な心境の犀星に反し、涼景はただ事実確認を淡々と進めている。犀星が知る中で、涼景は誰よりも情に厚い男だが、物事を運ぶ、というときには、冷静沈着で頼りになる。この二面性が、涼景が部下だけではなく、民衆にも好かれる魅力なのかも知れない。
「陽」
涼景は腕を組んだまま、
「お前がここを出たら、お前の母と妹はどうなる? 二人は、お前の動きを封じるための人質なんだろう?」
「…………」
玲陽は、ちらり、と犀星を見て、それから涼景に視線を戻した。
「わかった」
「え? わかった、って何が……」
二人の暗黙のやり取りの中で、自分だけが置いて行かれている。犀星が説明を求めようとしたとき、門の方で数人の声がした。
「そんな…いつもより早い」
サッと、玲陽の顔色が変わる。
「どうする?」
涼景が問う。
「お願いします」
玲陽が頷く。
「わかった」
涼景は、答えるや否や、唐突に犀星の首の後ろに一撃を食らわせた。
抵抗する間も無く、犀星が気を失う。
「兄様から剣を奪ってください。ここに、他に刃物はありません」
「お前は?」
「滝を左に行った先に、小屋があります。そこへ」
「あいつらをまとめて斬って捨ててもいいんだぞ」
「そんなことをすれば……」
「お前の母親と妹が、お前と同じ目にあうんだな」
「はい」
「耐えられるか?」
「今夜だけ、もう、これで最後です」
「当然だ」
涼景は腰に下げていた薬袋から、催眠効果のある液体の入った小瓶を取り出すと、犀星の口に含ませた。
「こいつは眠らせておく」
涼景がそうして、犀星の刀を自分のものと揃えて帯に差している間に、玲陽は乾きかけた襦袢を急いで身につける。
「こちらです!」
涼景に支えられながら、玲陽は門から聞こえてくる男たちの声より早く、目的の小屋へと向かった。
こじんまりとした、物置小屋のような建物である。作りも決して丁寧とは言えない。
引き戸を開けた涼景は、中の様子に愕然とする。
壁にも、床にも、血痕が残されている。何もない、ざらついた木目が剥き出しの、ただの四角い部屋だ。寝台すらなく、すみに水瓶と柄杓が置いてあるだけである。
「私はここにいなくては……向こうを探されたら、星兄様が見つかってしまう……」
「陽!」
よろめいて、床に倒れ込んだ陽を介抱しようとした涼景を、陽は首を振って止めた。
「くそっ! 俺は、小屋の裏にいる。危なくなったら、俺の名を呼べ、いいな!」
言うと同時に、涼景は小屋の後ろへ回り込む。岩肌と小屋の壁のわずかな隙間に潜み、呼吸を整えて、声の主たちがやってくるのを待った。
この状況に、犀星を巻き込むことは、絶対にしてはならない。
自分でも不思議なほどに、玲陽の言いたいことが理解できた。先ほど、初めて会ったという気がしない。
数人の声と足音が近づいてくる。
彼らは、玲陽を傷つけるために玲格が送り込んでいる連中だ。門番には、自分達が中にいることは黙っているように、厳しく脅しておいたため、気づかれてはいないはずだ。
犀星が、男たちの接近を知ったら、どうするか。
答えは、ただ一つ、問答無用で斬り殺すだろう。
そうなれば、事態は最悪である。たとえそれが誰であろうと、命のやり取りは最後にするべきだ。それは、戦場で嫌になる程、涼景に染みついた教訓である。犀星を眠らせたのも、その刀を取り上げたのも、そんな最悪の状況を回避するためだった。ここで激情した犀星が関わってくれば、問題は大きくなるだけだ。
玲陽の視線一つで、涼景にはそれが伝わった。
それは、犀星という人間を知り尽くしている二人だからこその、共通理解だったのだろう。
普段は他者と関わりを持つことを避け、一人でいることの多い犀星だが、玲陽に関する問題となると、人が変わったように感情を剥き出しにする。喜怒哀楽の激しさは、まるで、子どものようだ。
もしかすると、本当にそうなのかもしれない。母を慕う子のように、無条件に陽を慕っているのかもしれない。
涼景はふと、そんなことを考えかけたが、今、対処するべきは、小屋の中の玲陽の無事である。
立木の間から、すでに酒に酔ったらしい男が三人、こちらへ歩いてくるのが見えた。
先頭の男だけが、額に炎を形取った刻印を入れている。似たようなものを、涼景はよく知っている。犀星も玲陽も、形は違うが、額に紅色で炎を模した刺青がある。玲家の血を引く者の証だ。
ということは、先頭の男は、玲陽の義理の兄のうちの一人だろう。年齢からして、自分と同じくらいか。だとすれば、三男の玲博(れいはく)である可能性が高い。残りの二人は、その友人らしく、似た年恰好である。
普段から、宮中の身なり正しい者たちを見慣れている涼景からすると、山賊と変わりないようにさえ思われた。実際、その粗暴さは、わずかに覗き見た立ち居振る舞いからも想像できる。
三人は、涼景には気づかず、疑うこともなく、小屋の戸を開けた。
玲陽を暴行するためだけに建てられたのだろう。明らかに他の建造物よりも新しい。
涼景は、壁板のつなぎ目から、中を覗き見た。
三人とも、灯籠と、補充用の油を用意している。部屋の隅にそれらを置くと、部屋全体に光が満ちる。決して広くはない小屋には、それで十分だった。
太陽はまだ沈んではいなかったが、秋の夕暮れは早い。次第と黄昏が小屋を包んでいく。
壁板の間から見える室内では、玲博らしい男が、手にしていた麻袋から、紐や、小刀、木槌など、何の繋がりもないような道具を、床にぶちまけた。
玲陽はそれらをみても、身じろぎもしない。すでに見慣れているのか、怯える様子もない。
「また滝に入っていたのか?」
玲陽が羽織っていた濡れた襦袢を乱暴に剥ぎ取って、玲博は酒臭い息を玲陽に吐きかける。
「どれだけ聖水に打たれようと、腐り切ったお前の体は元にはもどらねぇよ」
他の二人も、嫌な笑い声を立てた。
「髪も目も腐れて、その上、全身に毎日男の精液を浴びてるんだ。今更、禊なんかしたところで意味はねぇ」
この言葉を犀星が聞かなくてよかった、と、涼景は心底思った。犀星の性分だ、相手が帝であろうと、斬りかかるに決まっている。
「飲ませてやれ」
玲博の指示で、男の一人が、抱えていた酒瓶の口を、直接玲陽の唇に押し当てた。
「少しでいいぞ」
玲博が道具を物色しながら言う。
「そいつは、元々酒が飲めないたちだからな。すぐに潰れる」
こちらに背を向けている玲陽の表情はわからなかったが、咳き込みながら酒を受ける苦しげな身体の震えだけは見てとれた。
酒瓶が遠ざけられると、玲陽は激しくむせながら、床に突っ伏した。
食事も取れない状況下、空腹にいきなり酒を注ぎ込まれ、男たちに身体を委ねて苦痛と屈辱を与えられる毎日。
そんな日々を、玲陽をもう、十年の間、繰り返してきたのか。
自らも、宮中で悪しき習慣の餌食になった経験がある涼景には、考えたくない現実だった。暴力と自尊心を打ち砕く、身体も心も粉砕されていく行為。
「ギャン!」
と、獣じみた悲鳴が、涼景を現実に引き戻した。
隙間から覗くと、陽が右肩を抑えて悶えている。玲博の手には、木槌が握られていた。
「肩を外しただけだ。死にはしない。そのままこいつで後ろ手に縛れ」
玲博に紐を渡された男たちは、黙って指示に従う。従う、と言うより、彼ら自身も明らかに楽しんでいる。
「博の兄貴」
男の一人がすでに着物を脱ぎながら、
「俺、もう、ダメだわ。一発いいか?」
「談項(だん こう)は堪え性がないからな」
もう一人の男が笑う。
「仕方がねぇだろ。さっきの女ども、散々飲み食いしたくせに、ヤらせてくれねぇんだから」
談項と呼ばれた、背の低い男は、玲陽の顔にまたがると、そのまま髪を鷲掴みにして、自分のものをその口に押し込んだ。
息が詰まって、逃れようと首をよじるが、弱りきっている玲陽に、それを退けるだけの力はない。まるで道具のように扱われながら、固く目を閉じ、わずかでも息を吸おうと必死だ。男の物が動くたびに、玲陽の薄い喉が脈打つのがわかる。
「容赦ねぇな。そんなに突っ込んだら、窒息するぞ」
何でもない、と言うように玲博が言う。
我が身の記憶に置き換えて、涼景は刀の柄に手をかけた。その手は何かしらの抑え難い感情で震えている。
談項が低く唸って、一際、陽の咽頭が蠢き、そこで腰を回す。一通り満足したのか、談項が体をどかすと、玲陽は一気に飲み込んでいたものを床に吐き捨てた。
「おいおい」
玲博が呆れたように、玲陽の後頭部を踏みつけた。
「吐く奴があるか。お前は俺たちの精液で生きているようなものだ。ちゃんと舐めろ」
「い、嫌です」
「あん?」
玲博の表情が変わる。
おそらく、今までの玲陽は、彼に逆らうことはなかったのだろう。だが、今夜は違う。これで最後、と玲陽は言っていた。もう、屈辱に耐えるつもりはない。だが、玲博にはそんな事情はわからない。
「舐めろって言ってんだ、クソが!」
胃液と精液の中に乱暴に玲陽の顔を押し付けて、玲博はその残虐性を表した。
「……嫌、です」
「こいつ!」
玲博は軽々と玲陽の体を抱え上げると、何の前戯もなく、自分のものを陰部に突き刺した。
「!」
一度深く中を弄ってから、勢いよく引き抜く。と、涼景の目に、恐ろしい情景が飛び込んできた。
直腸から、もしかするとその奥まで、傷だらけの内臓が飛び出す。さすがの涼景も込み上げた吐き気を堪えるので精一杯だった。
腹の中、めちゃくちゃじゃねぇか……!
涼景は人体の構造を思い出しながら、恐る恐る、玲陽の肉の落ちた臀部を見た。はみ出した内臓の一部に、玲博が小刀を当てる。
「おい、大丈夫なのかよ」
へたばっていた談項が、四つ足で近づいて、興味深そうに玲陽の内臓に触れた。
もう一人の男は、流石に、気味が悪いのだろう、部屋の隅で顔を背けながら、玲博を見下ろしている。
「父上からは、顔に傷さえつけなければ、何をしてもいいと言われている」
「でも、死んじまったら……」
「これくらいで死ぬもんか。こうしておくと、こいつの傷口から血が出て、中がいい具合に滑るんだ」
あたりはすっかり日が陰り、小屋の隅の灯籠のあかりだけが頼りである。
その灯りの中で、玲陽と玲博の額の刺青が際立って見えた。
玲家に伝わる謎めいた力の証。
だが、今の玲陽を見る限り、体を壊された瀕死の人間にしか見えない。
玲博が、玲陽の直腸の一部を切り裂く。
その痛みに、血を吐くような悲鳴が空気をつんざいた。
内臓を引き摺り出され、切り傷を負わされた挙句、そこに男を受け入れる。
これは、性的な暴力の域を超えていた。
拷問である。
しかも、拷問すること自体が目的の、異常行為だ。
涼景はいつしか、全身に汗をかいていることに気づいた。
怒りが、彼の理性を限界まで責め立てていく。
だが、玲陽は凄まじい悲鳴を上げながらも、自分の名は呼ばなかった。
一声、呼んでくれさえすれば、すぐに助けに飛び込めるよう、涼景は小屋の入り口に向かう。
全身が憤怒に震えて、感覚が麻痺していくようだ。戦場ですら、こんな思いはしたことがない。
と、小屋の入り口に、座り込んでいる人物がいる。
見張りか? と、一瞬警戒したが、それは、もっと、最悪な人物だった。犀星だ。
「まさか、眠らせておいたのに……」
涼景の薬が効かなかったわけではない。犀星は意識が朦朧としたまま、ただ、玲陽の悲鳴に目を覚ましたのだろう。
「星、ここにいてはだめだ」
涼景は、まるで、何事も起きてはいない、と言うように、犀星を遠ざけようとする。
しかし、刻一刻と、犀星の意識は戻りつつあった。玲陽の悲痛なうめきと絶叫が闇をつんざく。
ぼんやりとしていた犀星の目が、次第と光を取り戻し、同時に、表情に狂気が宿る。
まずい!
涼景が思うと同時に、犀星は小屋の扉を開けた。
情事を覗き見ている訳ではないにせよ、その甘い空気はどうにも落ち着かない。つい、妹のことを重ねてしまうと、涼景も体がほてってくる。自分達にもいつか、そんな日が来るのだろうか。いや、決して来てはならない日だ。
燕春とは、十七歳の年齢差がある。しかも、相手はまだ十三になるばかりの娘、体の弱い線の細い妹である。涼景は医術者として、彼女の診察を繰り返すうちに、その体が永くは生きられないことに、いやがおうにも気づいてしまった。二十歳まではない命だろう。出産は愚か、破瓜にも耐えられまい。そのことを、涼景は自分の胸の内にだけ秘め、犀星にすら話したことはない。
涼景とは、そういう男であった。
守ると決めた者のためには、官位も道徳も無視するくせに、自分は得を取るということをしない。うまく立ち回れば、さらに富も名誉も手に入る立場にありながら、それらには一切の興味を示さない。ただ、わずか数人の友のために、全てを投げ打つのだ。我ながら、損な性格だと思う、と言いながら、それでも、彼は満足そうによく笑った。
犀星は、そんな涼景だからこそ、惹かれたのかも知れない。そして玲陽も、涼景のその本質を一目で見抜いた。
時折、背後から聞こえる衣擦れの音や、安堵のため息を聞きながら、涼景の胸に、一抹の不安がよぎる。
この二人を、本当に会わせてよかったのだろうか。
もちろん、両者の気持ちを思えば、こうする以外に方法などない。さもなくば、孤独のあまり、互いに再会せぬまま、命を断つのは時間の問題だった。
しかし、出会ってしまったら、それで終わりではない。
これは、始まりなのだ。
涼景にも想像できないが、何か、大きな……世界を揺るがす出来事が、二人の再会をきっかけに始まろうとしている。そこには、自分も無関係ではいられないだろう。燕春も巻き込むかも知れない。東雨とて、他人事ですまないはずだ。自分達を取り巻く身近な人々、また、ともすると、都を、宮中を、国をも揺るがす、そんなことが……
涼景が途方もない想像をしていたとき、まるで天運のように、痩せこけたネズミが部屋を駆け抜けた。
「大山鳴動して鼠一匹」
思わず、涼景は声に出すと、小さく笑った。
「どうした?」
犀星が静かに声をかけてきた。これほど穏やかな犀星を、涼景も知らない。玲陽が犀星に与える影響とは、そこまでのものなのか……
「いや、ちょっと考え事を、な」
涼景は体勢を変えると、横たわる玲陽の脈を取り、体温を確認する。
「血の巡りが良くなってきたようだな。星、体を少しずらしてやれ。お前が乗っていては、心臓に負担がかかる」
「お前がこうしろ、と言ったんじゃないか」
「状況によって対処は変わるんだ。言うことを聞け」
まるで子供のように言い合いをする二人を、玲陽の優しい笑い声が止めた。思わず、二人とも、玲陽の顔を見つめる。
「この状況下で、一番落ち着いているのは、光理どのらしい」
「陽は、いつもそうだ。俺の暴走を止めてくれる」
「そいつはすごい。俺でも手こずるのに」
「それはお前が無力だから……」
「本当に、よかった」
鈴の音のような、玲陽の声が遮る。操られてでもいるように、大の男が二人とも黙ってしまう。
「兄様、仙水様とのご縁、大切になさいませ」
「せ、仙水様……ねぇ」
聞きなれない呼び名に、犀星が苦笑いをする。
「こいつは、涼景で十分だ」
「それはどうも、伯華様」
悪戯っぽく、涼景も犀星の字を口にする。忘れているのではないか、と思うほど、字で呼び合うことなど、この二人にはなかった。それを察しているのか、玲陽は嬉しそうだ。
「仙水様、私のことも、陽とお呼び下さい」
「では、そうさせてもらおうか」
「本人がいないところでは、そう呼んでいたじゃないか」
「それは、お前が、陽、陽、とうるさいからだ。つい聞きなれてしまった」
「兄様?」
「い、いや、俺はそんなに……」
「寂しくて仕方がなかったらしいぞ。酒を飲んで酔い潰れると、いつもお前を呼んでいた」
「涼景!」
「それじゃ、陽。俺のことも、涼景と呼べ。俺にとって、お前たち二人はどちらも同等だ」
頬を熱らせて不貞腐れる犀星をよそに、玲陽はやんわりと頷いた。
「では、せめて、涼景様、と」
涼景の豪快な笑い声が響く。
「星、こいつはお前より、よっぽど礼儀をわきまえた男じゃないか!」
「こ、これは、陽の昔からの癖で……だから、俺のことも……」
「ああ、それで、星『兄様』、なのか」
合点がいった、と、涼景が腕を組む。が、次の瞬間、その顔から、笑みが消える。
「ところで、これからどうする」
直前までの陽気さが、一転して真面目にとって変わるのは、涼景には良くあることだった。
「陽を、ここに残しておくわけにはいかない」
「まずは一旦、犀家で保護する」
犀星も、涼景の変わり身の速さには慣れたものだ。玲陽だけが、不思議そうに二人のやり取りを見ている。
「陽は血の繋がった俺の従兄弟だ。何ら不思議ではない。身内の問題、ということにすれば、燕家に迷惑はかけないだろう」
「体調を崩した陽を介抱するため、医者として参上しよう」
「お前以外には診せられない」
「俺も、そう、思う」
「では、日が暮れる前に……」
「あ、あの……」
今にも支度をしてここを出ようという勢いの二人に驚いて、玲陽が声をあげた。
「お二人のお気持ちには感謝いたします。けれど、私はここを離れるわけにはいかないのです」
「なぜだ? さっき、門番を締め上げて話を聞いたが、食べ物を運んで来る者もいないというじゃないか。それに、毎晩暴行を受けている、と」
「ですが、そう、決められているのです」
「もしかして、叔父上か?」
犀星が憎々しげに言う。
「はい。父上の言葉は、ここでは絶対です」
「父? 玲格のことか?」
「ああ。陽の身に起こる災難は、あいつが原因だ」
「鬼人と呼ばれている冷血漢らしいな」
玲陽の前でも、遠慮なく涼景は言い放った。玲陽は父と呼ぶが、玲陽と玲角は親子ではなく、甥と伯父の関係にあたる。
「叔父上は、昔から陽のことを良く思っていなかった。だから、陽と叔母上を引き離すために、実妹である叔母上を妾にしたんだ」
言ってしまってから、ハッとして、犀星は涼景を見た。涼景の妹への想いを知っていながら、思わず無神経なことを言ったのでは、と、珍しくばつが悪そうに目を逸らす。だが、涼景に気にした様子はない。
「話は聞いている。その上、二人の間には娘がいると言うじゃないか」
「ああ。凛(りん)と言う。ちょうど、お前の妹と同い年だ」
複雑な心境の犀星に反し、涼景はただ事実確認を淡々と進めている。犀星が知る中で、涼景は誰よりも情に厚い男だが、物事を運ぶ、というときには、冷静沈着で頼りになる。この二面性が、涼景が部下だけではなく、民衆にも好かれる魅力なのかも知れない。
「陽」
涼景は腕を組んだまま、
「お前がここを出たら、お前の母と妹はどうなる? 二人は、お前の動きを封じるための人質なんだろう?」
「…………」
玲陽は、ちらり、と犀星を見て、それから涼景に視線を戻した。
「わかった」
「え? わかった、って何が……」
二人の暗黙のやり取りの中で、自分だけが置いて行かれている。犀星が説明を求めようとしたとき、門の方で数人の声がした。
「そんな…いつもより早い」
サッと、玲陽の顔色が変わる。
「どうする?」
涼景が問う。
「お願いします」
玲陽が頷く。
「わかった」
涼景は、答えるや否や、唐突に犀星の首の後ろに一撃を食らわせた。
抵抗する間も無く、犀星が気を失う。
「兄様から剣を奪ってください。ここに、他に刃物はありません」
「お前は?」
「滝を左に行った先に、小屋があります。そこへ」
「あいつらをまとめて斬って捨ててもいいんだぞ」
「そんなことをすれば……」
「お前の母親と妹が、お前と同じ目にあうんだな」
「はい」
「耐えられるか?」
「今夜だけ、もう、これで最後です」
「当然だ」
涼景は腰に下げていた薬袋から、催眠効果のある液体の入った小瓶を取り出すと、犀星の口に含ませた。
「こいつは眠らせておく」
涼景がそうして、犀星の刀を自分のものと揃えて帯に差している間に、玲陽は乾きかけた襦袢を急いで身につける。
「こちらです!」
涼景に支えられながら、玲陽は門から聞こえてくる男たちの声より早く、目的の小屋へと向かった。
こじんまりとした、物置小屋のような建物である。作りも決して丁寧とは言えない。
引き戸を開けた涼景は、中の様子に愕然とする。
壁にも、床にも、血痕が残されている。何もない、ざらついた木目が剥き出しの、ただの四角い部屋だ。寝台すらなく、すみに水瓶と柄杓が置いてあるだけである。
「私はここにいなくては……向こうを探されたら、星兄様が見つかってしまう……」
「陽!」
よろめいて、床に倒れ込んだ陽を介抱しようとした涼景を、陽は首を振って止めた。
「くそっ! 俺は、小屋の裏にいる。危なくなったら、俺の名を呼べ、いいな!」
言うと同時に、涼景は小屋の後ろへ回り込む。岩肌と小屋の壁のわずかな隙間に潜み、呼吸を整えて、声の主たちがやってくるのを待った。
この状況に、犀星を巻き込むことは、絶対にしてはならない。
自分でも不思議なほどに、玲陽の言いたいことが理解できた。先ほど、初めて会ったという気がしない。
数人の声と足音が近づいてくる。
彼らは、玲陽を傷つけるために玲格が送り込んでいる連中だ。門番には、自分達が中にいることは黙っているように、厳しく脅しておいたため、気づかれてはいないはずだ。
犀星が、男たちの接近を知ったら、どうするか。
答えは、ただ一つ、問答無用で斬り殺すだろう。
そうなれば、事態は最悪である。たとえそれが誰であろうと、命のやり取りは最後にするべきだ。それは、戦場で嫌になる程、涼景に染みついた教訓である。犀星を眠らせたのも、その刀を取り上げたのも、そんな最悪の状況を回避するためだった。ここで激情した犀星が関わってくれば、問題は大きくなるだけだ。
玲陽の視線一つで、涼景にはそれが伝わった。
それは、犀星という人間を知り尽くしている二人だからこその、共通理解だったのだろう。
普段は他者と関わりを持つことを避け、一人でいることの多い犀星だが、玲陽に関する問題となると、人が変わったように感情を剥き出しにする。喜怒哀楽の激しさは、まるで、子どものようだ。
もしかすると、本当にそうなのかもしれない。母を慕う子のように、無条件に陽を慕っているのかもしれない。
涼景はふと、そんなことを考えかけたが、今、対処するべきは、小屋の中の玲陽の無事である。
立木の間から、すでに酒に酔ったらしい男が三人、こちらへ歩いてくるのが見えた。
先頭の男だけが、額に炎を形取った刻印を入れている。似たようなものを、涼景はよく知っている。犀星も玲陽も、形は違うが、額に紅色で炎を模した刺青がある。玲家の血を引く者の証だ。
ということは、先頭の男は、玲陽の義理の兄のうちの一人だろう。年齢からして、自分と同じくらいか。だとすれば、三男の玲博(れいはく)である可能性が高い。残りの二人は、その友人らしく、似た年恰好である。
普段から、宮中の身なり正しい者たちを見慣れている涼景からすると、山賊と変わりないようにさえ思われた。実際、その粗暴さは、わずかに覗き見た立ち居振る舞いからも想像できる。
三人は、涼景には気づかず、疑うこともなく、小屋の戸を開けた。
玲陽を暴行するためだけに建てられたのだろう。明らかに他の建造物よりも新しい。
涼景は、壁板のつなぎ目から、中を覗き見た。
三人とも、灯籠と、補充用の油を用意している。部屋の隅にそれらを置くと、部屋全体に光が満ちる。決して広くはない小屋には、それで十分だった。
太陽はまだ沈んではいなかったが、秋の夕暮れは早い。次第と黄昏が小屋を包んでいく。
壁板の間から見える室内では、玲博らしい男が、手にしていた麻袋から、紐や、小刀、木槌など、何の繋がりもないような道具を、床にぶちまけた。
玲陽はそれらをみても、身じろぎもしない。すでに見慣れているのか、怯える様子もない。
「また滝に入っていたのか?」
玲陽が羽織っていた濡れた襦袢を乱暴に剥ぎ取って、玲博は酒臭い息を玲陽に吐きかける。
「どれだけ聖水に打たれようと、腐り切ったお前の体は元にはもどらねぇよ」
他の二人も、嫌な笑い声を立てた。
「髪も目も腐れて、その上、全身に毎日男の精液を浴びてるんだ。今更、禊なんかしたところで意味はねぇ」
この言葉を犀星が聞かなくてよかった、と、涼景は心底思った。犀星の性分だ、相手が帝であろうと、斬りかかるに決まっている。
「飲ませてやれ」
玲博の指示で、男の一人が、抱えていた酒瓶の口を、直接玲陽の唇に押し当てた。
「少しでいいぞ」
玲博が道具を物色しながら言う。
「そいつは、元々酒が飲めないたちだからな。すぐに潰れる」
こちらに背を向けている玲陽の表情はわからなかったが、咳き込みながら酒を受ける苦しげな身体の震えだけは見てとれた。
酒瓶が遠ざけられると、玲陽は激しくむせながら、床に突っ伏した。
食事も取れない状況下、空腹にいきなり酒を注ぎ込まれ、男たちに身体を委ねて苦痛と屈辱を与えられる毎日。
そんな日々を、玲陽をもう、十年の間、繰り返してきたのか。
自らも、宮中で悪しき習慣の餌食になった経験がある涼景には、考えたくない現実だった。暴力と自尊心を打ち砕く、身体も心も粉砕されていく行為。
「ギャン!」
と、獣じみた悲鳴が、涼景を現実に引き戻した。
隙間から覗くと、陽が右肩を抑えて悶えている。玲博の手には、木槌が握られていた。
「肩を外しただけだ。死にはしない。そのままこいつで後ろ手に縛れ」
玲博に紐を渡された男たちは、黙って指示に従う。従う、と言うより、彼ら自身も明らかに楽しんでいる。
「博の兄貴」
男の一人がすでに着物を脱ぎながら、
「俺、もう、ダメだわ。一発いいか?」
「談項(だん こう)は堪え性がないからな」
もう一人の男が笑う。
「仕方がねぇだろ。さっきの女ども、散々飲み食いしたくせに、ヤらせてくれねぇんだから」
談項と呼ばれた、背の低い男は、玲陽の顔にまたがると、そのまま髪を鷲掴みにして、自分のものをその口に押し込んだ。
息が詰まって、逃れようと首をよじるが、弱りきっている玲陽に、それを退けるだけの力はない。まるで道具のように扱われながら、固く目を閉じ、わずかでも息を吸おうと必死だ。男の物が動くたびに、玲陽の薄い喉が脈打つのがわかる。
「容赦ねぇな。そんなに突っ込んだら、窒息するぞ」
何でもない、と言うように玲博が言う。
我が身の記憶に置き換えて、涼景は刀の柄に手をかけた。その手は何かしらの抑え難い感情で震えている。
談項が低く唸って、一際、陽の咽頭が蠢き、そこで腰を回す。一通り満足したのか、談項が体をどかすと、玲陽は一気に飲み込んでいたものを床に吐き捨てた。
「おいおい」
玲博が呆れたように、玲陽の後頭部を踏みつけた。
「吐く奴があるか。お前は俺たちの精液で生きているようなものだ。ちゃんと舐めろ」
「い、嫌です」
「あん?」
玲博の表情が変わる。
おそらく、今までの玲陽は、彼に逆らうことはなかったのだろう。だが、今夜は違う。これで最後、と玲陽は言っていた。もう、屈辱に耐えるつもりはない。だが、玲博にはそんな事情はわからない。
「舐めろって言ってんだ、クソが!」
胃液と精液の中に乱暴に玲陽の顔を押し付けて、玲博はその残虐性を表した。
「……嫌、です」
「こいつ!」
玲博は軽々と玲陽の体を抱え上げると、何の前戯もなく、自分のものを陰部に突き刺した。
「!」
一度深く中を弄ってから、勢いよく引き抜く。と、涼景の目に、恐ろしい情景が飛び込んできた。
直腸から、もしかするとその奥まで、傷だらけの内臓が飛び出す。さすがの涼景も込み上げた吐き気を堪えるので精一杯だった。
腹の中、めちゃくちゃじゃねぇか……!
涼景は人体の構造を思い出しながら、恐る恐る、玲陽の肉の落ちた臀部を見た。はみ出した内臓の一部に、玲博が小刀を当てる。
「おい、大丈夫なのかよ」
へたばっていた談項が、四つ足で近づいて、興味深そうに玲陽の内臓に触れた。
もう一人の男は、流石に、気味が悪いのだろう、部屋の隅で顔を背けながら、玲博を見下ろしている。
「父上からは、顔に傷さえつけなければ、何をしてもいいと言われている」
「でも、死んじまったら……」
「これくらいで死ぬもんか。こうしておくと、こいつの傷口から血が出て、中がいい具合に滑るんだ」
あたりはすっかり日が陰り、小屋の隅の灯籠のあかりだけが頼りである。
その灯りの中で、玲陽と玲博の額の刺青が際立って見えた。
玲家に伝わる謎めいた力の証。
だが、今の玲陽を見る限り、体を壊された瀕死の人間にしか見えない。
玲博が、玲陽の直腸の一部を切り裂く。
その痛みに、血を吐くような悲鳴が空気をつんざいた。
内臓を引き摺り出され、切り傷を負わされた挙句、そこに男を受け入れる。
これは、性的な暴力の域を超えていた。
拷問である。
しかも、拷問すること自体が目的の、異常行為だ。
涼景はいつしか、全身に汗をかいていることに気づいた。
怒りが、彼の理性を限界まで責め立てていく。
だが、玲陽は凄まじい悲鳴を上げながらも、自分の名は呼ばなかった。
一声、呼んでくれさえすれば、すぐに助けに飛び込めるよう、涼景は小屋の入り口に向かう。
全身が憤怒に震えて、感覚が麻痺していくようだ。戦場ですら、こんな思いはしたことがない。
と、小屋の入り口に、座り込んでいる人物がいる。
見張りか? と、一瞬警戒したが、それは、もっと、最悪な人物だった。犀星だ。
「まさか、眠らせておいたのに……」
涼景の薬が効かなかったわけではない。犀星は意識が朦朧としたまま、ただ、玲陽の悲鳴に目を覚ましたのだろう。
「星、ここにいてはだめだ」
涼景は、まるで、何事も起きてはいない、と言うように、犀星を遠ざけようとする。
しかし、刻一刻と、犀星の意識は戻りつつあった。玲陽の悲痛なうめきと絶叫が闇をつんざく。
ぼんやりとしていた犀星の目が、次第と光を取り戻し、同時に、表情に狂気が宿る。
まずい!
涼景が思うと同時に、犀星は小屋の扉を開けた。
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