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柱時計の亡霊と三人の冒険2
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大きな階段を上がりきると、フラッシュのように強い光が、三人の視界を奪った。ゆっくり、目をひらいた。正面の障子の向こうは広い庭で、ツツジがドームのように咲いている。犬小屋があり、「ぐりこ」と書かれたプレートがついている。床はフローリングで、木のテーブルと、それを挟むように革ばりの二人がけのソファーが置かれている。背後のふすまには、真っ白だ。家具は洋風だが、和風が残っている、奇妙な部屋だった。その部屋に見覚えがあった。
「ここって、旧古見屋敷の中じゃないか?」
「本当だ。昔、学校の社会見学で見たことがある」
レンとあすかが部屋を見渡しながら言っている間、カオルは覚えていないことを黙っていた。勉強のことはすぐに忘れてしまうのだ。
「ん?」
カオルは、テーブルの上に一枚の紙が置いてあることに気がついた。それにはたった一行、書かれていた。
『かくれんぼ。一階にいるあたしをみつけて』
カオルは、二人に紙を見せた。口元に笑みが浮かんだ。
「おもしろそうじゃん。部屋の隅から隅まで、探してやろうぜ」
「あたし、ということは女子だな」
三人は手分けして、一階を探した。押入れ、トイレ、ピアノの陰、畳みの下。どれだけ家具の裏や中をのぞいても、部屋中を探しても、手紙を書いた女子は見つからなかった。それどころか、人影すら見当たらない。三人は、最初の部屋に戻って、ソファーに座って休憩をすることにした。
「それにしても広いなあ。女子って本当にいるのか?」
「全然見つからないよなあ」
あすかとカオルは、はあ、とため息をついた。レンはふと、庭を見た。芝生には飛び石があり、灯篭とドームのようにピンク色のツツジが咲いて、松が植えられている。この屋敷の外観は、西洋風だが、庭は和風だ。離れも建っている。
「なあ、一階って書いていたけど、庭はどうなんだろう?隠れる範囲にふくまれているのか?」
ぽつり、とレンはつぶやいた。カオルとあすかが、はじかれたように庭を見た。隠れることができそうなところが、いくつかある。三人はにんまり、と笑って庭を探すことにした。レンは離れを、あすかはツツジの辺りを、カオルは庭でほかに隠れられそうなところがないか、探し始めた。
あすかはツツジに近づいた。花が咲きほこっているドームは、あすかの身長と同じくらいの高さがある。ぐるり、と見回ってみた。すると、少し大きな穴ができている。自然にできたもののようだ。上半身だけなら、なんとか入ることができそうだ。あすかはツツジのドームをのぞいてみた。幹があるためか、大きさの割に中はせまかった。すると、そこに体育座りをした少女が背中を向けていた。あすかに気がつくと、少女は振り向いた。あすかと同い年くらいだろう。紺色の着物を着ている。
「見つかっちゃった」
「あの置き手紙書いたの、あんた?」
「うん。……ねえ、女の子と男の子って、友達になれると思う?」
置き手紙の女子は、突然あすかに質問した。あすかはすぐに答えた。
「当たり前じゃん。そうじゃないと、オレはカオルやレンと親友になれないじゃんか」
あすかの答えを聞いた置き手紙の女子は、うれしさと悲しみが混じった顔をした。
「そうだよね。あのね、おねがい。たかしくんのところに行って。二階の、階段から三番目の部屋にいるから」
「もしかして、さえこちゃん?」
置き手紙の女の子、さえこは、首を縦にふった。
「あたしたち、たかしくんの記憶が元になっているの。一番楽しかったときの記憶。それをたかしくんのおじいさんの柱時計が、形にしているの。柱時計はおじいさんも、たかしくんも大好きだから。たかしくんが望んだことは、なんでもしてくれるの」
「そうなのか」
「たかしくんに会って。そうすればきっと、あなたたちは帰ることができると思うから」
そう言うと、まるでたんぽぽの綿毛がとぶように、さえこは姿を消した。さえこの質問が、あすかの心にまるで鉛のように、残っていた。ざわざわ、と落ち着かない。まるで、必死に沈めていることを、むりやり引き上げられているような感覚だ。けれどあすかは、気のせいだ、と自分に言い聞かせて、カオルとレンの元に向かった。
階段は思っていたよりもせまかったけれど、壁のランプや、手すりに彫られた模様が上品にしていた。三人はさえこが言っていた部屋の前に立った。扉は引き戸で色ガラスが、はめこまれている。三人はごくり、とつばを飲んだ。
「い、行くぞ」
カオルは引き戸を開けた。そこは広い書斎だった。本だなには、隙間なく本が収められていた。背表紙に書かれた題名は、達筆でなんと書かれているのか、わからない。机と一人用のソファー、そして柱時計があった。ソファーには、一人の青年がこちらに背を向けて座っていた。
「ここにたどり着いた人間は、初めてだ。迷路でみんな、ぐりこに捕まっちゃうんだ」
青年は、立ち上がりふり返った。首や腕は細く、目もくぼんでいる。顔は青白い。亡くなったときのままのようだ。
「あんたが、たかし坊ちゃんっていう、柱時計の亡霊?」
「そうだ。きみたちは、友達かい?」
「そうだよ」
たかし坊ちゃんは、三人をじろり、と観察した。そして、あすかに気がついた。
「きみ、女の子だよね」
「おう、それがなんなんだよ」
たかし坊ちゃんは、見下すように笑い、あすかに問うた。
「女の子と男の子が、本当に友達になれると思っているのかい?ばかばかしい」
「なんだとっ」
「本当は、きみだってそう思っているんじゃないのか?」
「そんなことない!」
「じゃあ聞くけれど、なんで男の子の話し方なの?女の子じゃ、いっしょに遊んでもらえない、相手にしてもらえない、仲間はずれにされるかもしれない。そんな風に思っているからじゃないの?きみは、ぼくといっしょだ」
あすかは心のふたが、こじ開けられるような気がした。抵抗するように、大きな声で、たかし坊ちゃんが言ったことを否定した。
「ちがうっ」
「ちがわないよ。だって、ぼくがそうだったもの。ぼくはさえこちゃんのこと、友達だと思っていた。けれど、ちがった。さえこちゃんは、ぼくのことを友達だなんて、思っていなかった。だから、なにも言わずに引っ越した。女の子だから、男の子であるぼくを友達と思っていなかったんだ。男の子と、女の子が友達になることなんて、できないんだ」
「ちがう!」
あすかは、たかし坊ちゃんに向かって、走り出した。たかし坊ちゃんに殴りかかった。しかし、あすかの拳はひらり、と避けられ、手首を掴まれてしまった。手首がぎりり、と痛む。病弱だったのが嘘のようだ。家の道場に通う大人よりも強いあすかが、捕らわれてカオルとレンは驚いた。
「ほら、どれだけ強くなっても、きみは男の子じゃないんだ。だから、いつかは仲間はずれにされてしまう。ぼくみたいに」
たかし坊ちゃんのその言葉が、あすかの心のふたを開けた。勢いよく、感情が流れ出た。カオルやレンにおいていかれたくない、いっしょにいたい。話し方も仕草も、男子のようにふるまえば、本当に男子になれるような気がした。女子では、いっしょに遊ぶことができなくなるような気がしたのだ。
「いいかげんにしろよ!」
カオルがどなった。となりのレンもこわい顔をしている。あすかの感情の流れが、止まった。
「さっきから、ぐだぐだ好き勝手に言って、あんたにおれたちのなにがわかるんだよ!おれたちは、あすかだから友達になったんだ。女子とか男子とか関係ない!」
「そうだ!あんたは、自分ができなかったからできない、と決めつけているだけだろ」
「カオル、レン……」
「なんだと?」
レンはちらり、とカオルに目で合図をした。カオルは小さくうなずき、レンの陰に隠れ、少しずつ移動した。レンが注意をひきつけている間に、あすかを助けるためだ。
「おれたち三人は、幼稚園に通っていたころからずっといっしょにいる。おれたちは、男子であろうと、女子であろうとずっと、親友でいる自信はある」
レンがそう言って、自信に満ちた目をたかし坊ちゃんに向けた。その強い眼差しに、たかし坊ちゃんは一瞬、ひるんだ。カオルはその隙を見逃さなかった。たかし坊ちゃんに体当たりをした。あすかの手首がたかし坊ちゃんの手から離れた。あすかは受け身をとって、カオルのほうへと逃げた。
「ぼくだって、そう思っていたことがある……」
たかし坊ちゃんは、尻もちをついたままぽつり、とつぶやいた。
「さえこちゃんは、とってもいい子だった。病気がちだったぼくの、唯一の友達だった。あの柱時計の前で迷路の絵本で遊んだり、絵を描いたり、ぐりこと遊んだ。……きみたちが通ってきたあの迷路も、その絵本が元になっているんだ。屋敷の一階だけで、かくれんぼをしたこともあった。さえこちゃんは、ツツジの中によく隠れていた」
少しやわらかい表情で語っていたたかし坊ちゃんは「けれど」と言葉を切って、目をふせた。
「さえこちゃんはある日、遊びに来なくなった。はじめは用事があるんじゃないか、って思っていた。けれど、沢田さんからさえこちゃんが引っ越したって聞いて、悲しかった。なんで、言ってくれなかったんだろうって、ずっと布団の中で考えていた。病気で死んでしまう、その日まで。引っ越すのだったら、言ってほしかった。ちゃんとお別れもしたかった。……言ってくれなかったのは、ぼくのことを友達と思っていなかったから。亡霊になって、気づいたんだ」
三人は、もし自分がさえこちゃんだったらどうしただろうか、と考えた。きっと、ともてもつらいだろう。もう少しだけ、明日には言おう、とずるずる先延ばしにしてしまうだろう。それでも、きっとお別れは言いたい。もしかすると、さえこちゃんにも事情があったのかもしれない。
「じゃあさ、さえこちゃんがどう思っていたか、調べてやるよ。それでもって、男子や女子なんて関係なく友達になれるって、証明してやる」
カオルが言った。レンとあすかもうなずいた。さえこちゃんは、大正時代の人だから亡くなっているかもしれない。それでも、たかし坊ちゃんとのことを気にしていたら、だれかに話していることも考えられる。
「時間かかるだろうけれど、絶対にオレたちがさえこちゃんの気持ちを、あんたに伝えるから」
「約束する」
たかし坊ちゃんは迷った。さえこちゃんは自分のことを友達と思っていなかった、と本当に思っている。けれど、まだ少しだけさえこちゃんのことを信じていた。もしかすると、本当にたかし坊ちゃんのことを、友達と思っていなかったかもしれない。それでも、さえこちゃんがどう思っているのか知りたい、と思った。たかし坊ちゃんは、自分が知っているかぎり、さえこちゃんのことを三人に教えた。
「さえこちゃんの名字は、高木。高木さえこちゃん。引っ越し先はわからない。一人っ子で、近所に住んでいたんだ。
……約束だよ。さえこちゃんがどう思っていたのか、ちゃんと教えて」
三人はうなずいた。すると、柱時計がゴーン、ゴーン、と二回鳴った。フラッシュのように強い光に包まれ、三人は柱時計に吸いこまれた。それを見送ったたかし坊ちゃんは、凍りついた心が、少し溶けたような気がした。
「あいたっ!」
「う……」
「お、重い」
三人は柱時計から放り出されるように、出てきた。二人の下敷きになったレンが、カオルとあすかに早く下りるように言った。ふと、時計を見た。針は二時五分を指していた。
「あれから五分しか経っていない」
「もしかすると、たかし坊ちゃんがなんとかしてくれたのかも」
カオルとあすかはレンの言ったことに、納得した。亡霊、という不思議な存在だから、普通はできないこともできるのかもしれない。三人はひとまず、家に帰ることにした。疲れたし、両親に抜けだしたことがばれたら、怒られる。柱時計が三人の背を見送るように、ときを刻んだ
あすかはムロマチの部屋から垂れている縄を登った。チョコレートを食べるような非常事態にはならなかったけれど、言うとおりにしておいてよかった、と心の底から思った。窓に足をかけると、ムロマチがベッドに座って雑誌を読んでいた。あすかに気がつき、顔を上げた。
「おお、おかえりあすか。ずいぶん早かったな」
まだ興奮が冷めないあすかは、ムロマチのとなりに腰を下ろした。「ムロ兄、聞いてくれよ!」と、柱時計に吸いこまれたこと、その中で起こったすべてを話した。ムロマチは馬鹿にせずに、微笑みを浮かべて、あすかの話を聞いていた。
「なるほどねえ」
「なあ、ムロ兄。だれに聞いたら、さえこちゃんのことわかると思う?」
ムロマチは腕を組んで、考えた。そして、ある人物が思い浮かんだ。
「清水のおばあちゃんなら、なにか知っているかもしれないな」
清水のおばあちゃんは、あすかの家の近くに住んでいる。今年で九十四歳になるらしい。生まれも育ちも古美が丘町なので、町のことはなんでも知っている。
「うん、そうしてみる」
「まあ、とにかく寝な。母さんや父さんはもう寝たみたいだから、靴、しまってきな」
ムロマチはあすかの頭をくしゃくしゃ、と乱暴になでた。あすかはその手を、少しうっとうしそうに払って、靴をしまいに行った。ムロマチにいろいろ話し、落ち着いたからだろうか。急に眠気が襲ってきた。あすかは眠い目をこすりながら、部屋に戻った。
あすかは日が高く昇るまで、眠っていた。ちょうど起きたとき、電話が鳴った。あすかは、眠そうな声で電話に出た。
「はい、源です」
『お、もしかしてあすか?』
「ん。カオルか?」
『今から一時間後に、レンの家に集合な』
あすかは朝ごはんとも、お昼ごはんともいえない食事を終え、レンの家に向かった。レンの家の道場からは剣道に励む生徒の声が、響いていた。道場を通り過ぎ、家のチャイムを鳴らした。レンが出てきた。すでにカオルは来ていて、レンの部屋で待っていた。あすかはムロマチからのアドバイスを、二人に話した。二人とも、賛成した。さっそく清水のおばあちゃんの家に、行くことになった。
清水のおばあちゃんは、庭で花の手入れをしていた。腰は曲がっているが、動きはてきぱきしている。
「おばあちゃん、こんにちは」
あすかが声をかけた。清水のおばあちゃんは手をとめ、三人を見た。
「あら、こんにちは」
「おれたち、おばあちゃんに聞きたいことがあるんです」
「おやまあ、そうなのかい?立ち話もなんだから、お上がり」
清水のおばあちゃんの言葉に甘え、三人は家に上がった。かつては家族の靴であふれていたであろう玄関は、清水のおばあちゃんの靴だけだ。奥から「こっちだよ」と三人を居間に呼ぶ声がした。清水のおばあちゃんは、三人に席を勧めた。
「それで、聞きたいことっていうのはなんだい?」
「あの、旧古見屋敷のことを知りたいんです。ずっとこの町にいる、おばあちゃんなら、なにか知っているかと思って」
レンがそう言うと、清水のおばあちゃんはなつかしそうに遠くを見て、昔を思い出した。
「古見さんのお屋敷はねえ、それはそれは大きなお屋敷だったのよ。たくさんの人がお屋敷で働いていたのよ」
「あの、そこに男の子はいましたか?」
「ええ、いたよ。体が弱くって、若くで亡くなってしまったんだったかしら」
「その男の子に、友達はいたんですか?」
「ああ、いたわよ。さえこちゃんっていう子で、わたしの友達でもあったんだよ。さえこちゃんはよく、古見さんのお屋敷に遊びに行っていてねえ」
清水のおばあちゃんは、さえこちゃんについて、さらに詳しく話してくれた。
さえこちゃんの叔母さんは、旧古見屋敷で女中をしていたらしい。叔母さんはある日、古見屋敷の主人……たかし坊ちゃんのお父さんに、息子と友達になってくれる子はいないか、と相談されたらしい。さえこちゃんは、叔母さんに旧古見屋敷に連れて来られ、たかし坊ちゃんと会った。それから何度も遊ぶうちに友達になったそうだ。しかし、両親の仕事の都合で、となりの県に引っ越すことになった。しばらく、清水のおばあちゃんは文通をしていた。しかし、その手紙も戦争で焼けてしまったらしい。なので、さえこちゃんの住所どころか、生きているかどうかもわからない。
「もしもできることなら、もう一度さえこちゃんに会ってみたいねえ」
清水のおばあちゃんはぽつり、と遠くを見たまま悲しそうにつぶやいた。三人は、なにも言えなかった。
清水のおばあちゃんの家から学校に行く途中にある公園で、三人は頭を抱えていた。子どもの楽しそうに笑う声が響いていた。結局わかったのは、さえこちゃんの素性だけだった。
「あーあー……。どうしたらいいんだろうなあ」
カオルは、ジャングルジムの頂上で、ため息をついた。
「ほかにだれか知っていそうな人を、探すとか?」
「ほかっていってもなあ」
レンはそう提案するが、あすかもカオルも、心当たりがない。三人は同時にため息をついた。
「あれ、滝田くんと皆川くん、源さんじゃない」
三人は声の主のほうをふり返った。担任の高瀬先生だった。普段の動きやすい格好とはちがって、スカートをはき、ネックレスを身につけ、おしゃれをしていた。高瀬先生は、三人に歩み寄った。
「先生、こんにちは」
「こんにちは」
カオルは、わらを掴む思いで高瀬先生に、さえこちゃんのことを尋ねた。
「先生、高木さえこちゃんって知らない?昔、旧古見屋敷に出入りしていた、女の子なんだ」
「生きていたら、清水のおばあちゃんくらいの年なんですけど」
レンがつけ加えた。三人とも、高瀬先生の答えに期待していなかった。しかし、高瀬先生の答えは、予想外のものだった。
「高木さえこって……わたしの、ひいおばあちゃんの名前よ」
「えっ?」
三人は驚きの声を上げた。結婚したから、名字が変わったのだろう。カオルたちは高瀬先生につめ寄った。
「先生、教えて!ひいおばあさん、さえこちゃんのことっ」
「おれたちどうしても、知らなくちゃいけないんです」
「おねがい、先生!」
高瀬先生は、三人の勢いに思わず一歩退いた。みんな、真剣な目つきだ。高瀬先生は、まっすぐ見つめてくるカオルたちの意志の強さに負け、話すことにした。
「わかったわ。でもその前に、なんでひいおばあさんのことを知らなくちゃいけないのか、教えてくれる?」
三人は互いに顔を見合わせ、先生にたかしぼっちゃんのことを話そうかどうか迷った。けれど、ようやく掴んだチャンスを逃してはいけない。真夜中に学校に忍びこんだことは内緒にして、三人はすべて話した。
「なるほどね……。立ち話もなんだから、ベンチに座りましょう」
四人は、空いているベンチに座った。
「ひいおばあちゃんは、わたしがこの町に来ることが決まった直後に、亡くなったの。だから、三年ほど前ね。そのときに、たかしくんっていう子の話を聞いたわ。それがきっと、あなたたちが出会った、柱時計の亡霊なのね」
「先生、教えてください。なんで、ひいおばあさん……さえこちゃんは、たかし坊ちゃんに黙って、引っ越してしまったのか。たかし坊ちゃんのことは、友達と思っていたんですか?」
高瀬先生は一度深呼吸をして、話してくれた。
「ひいおばあさんは、ずっと柱時計の亡霊……たかし坊ちゃんのことを気にしていた。お別れの日が近づいてきても、なかなか言えなかった。たかし坊ちゃんと遊ぶのが楽しくて。引っ越さなくてもよくならないかっていう小さな希望を持って。言おうとすると、胸がはりさけそうなくらい、悲しくてつらかった、って」
三人は、もしも自分が同じ立場ならどうするか、想像した。きっと、さえこちゃんと同じように、なかなか引っ越すことを話せないだろう。それでも、悲しみと寂しさを心に押しこめて、別れの日を告げるだろう。笑顔で、手を振って別れるために。
さえこちゃんは、たかし坊ちゃんのことを友達だと思っていた。亡くなるときまで、ちゃんとお別れできなかったことを、後悔していた。けれど、カオルたちの言葉を信じてくれるだろうか。
「そうだ。たしか、ひいおばあさんが書いた日記が実家にあったはずだわ。もしかすると、たかし坊ちゃんのことも、なにか書いているかも」
高瀬先生はふと、思い出した。日記があれば、たかし坊ちゃんも納得するだろう。
「先生。その日記、借りてもいい?さえこちゃんの思い、たかし坊ちゃんに伝えたいんだ」
「おねがいします、先生」
「おねがいしますっ」
三人は立ち上がり、頭をさげた。高瀬先生は少し慌てて、カオルたちに頭を上げるように言った。
「わかったわ。実家に送ってもらえるように頼んでみるわ」
三人は先生にお礼を言った。先生は「それじゃあね」と言って、公園を去った。カオル、あすか、レンは互いに顔を見合わせた。事態が進展したことを喜んでいるカオルとレンの目は輝いていたが、あすかの目は少しくもっていた。
公園で二人と別れてから、あすかは家に帰って真っ先に、ムロマチの部屋に向かった。ノックをして、ドアを開けた。
「ムロ兄、今いい?」
「ん?どうした、あすか」
ムロマチは読んでいた雑誌を閉じ、いすを回転させあすかのほうを見た。あすかはベッドに座って、さえこちゃんの日記の話をしてから、心のもやもやを吐き出しはじめた。
「なあ、ムロ兄は男子と女子がずっと友達でいられると思う?」
「んー。おれは、いられると思うよ。あすかは、どう思う?」
「オレは、いられると思っていたよ。でも、たかし坊ちゃんに、いろいろ言われたりして、わかんなくなった。
それに、こわいんだ。もし、さえこちゃんの日記に、男子と女子は友達になれないってことが書いていたら。オレたちの関係を否定されたら、どうしようって」
「じゃあ、ちょっと考えてみようぜ。もしも、あすかが男子で、カオルとレンが女子だったら、どうだ?友達にならなかったと思うか?」
あすかは迷わず首を横にふった。もし二人が女子でも、ゲームや一輪車などでいっしょに遊ぶだろう。周りが、からかうかもしれないけれど、そんなことは関係ない。そう思った。
「ほらな。たしかに、たかし坊ちゃんが言ったことが、心のどこかにあったかもしれない。
でも、あすかは男子だから、二人と友達になったんじゃないだろう?カオルとレンだから、親友になった。もうだいじょうぶだ。こうやっておれに話して、心の整理ができただろう?」
あすかはうなずいた。たかし坊ちゃんに捕まったとき、カオルは言ってくれたではないか。あすかだから友達になったんだ、と。あすかは心が軽くなった。自然と笑みが浮かんだ。
「ありがとう、ムロ兄。亡くなるときまで、たかし坊ちゃんのことを気にしていたんだ。さえこちゃんが、日記にそんなこと書くはずないよな」
「そうだそうだ。だから、不安になることなんてない」
そのすっきりとした表情を見て、ムロマチも安心した。雑談をして、あすかは自分の部屋に戻った。その目は、カオルやレンと同じように、輝いていた。
続く
「ここって、旧古見屋敷の中じゃないか?」
「本当だ。昔、学校の社会見学で見たことがある」
レンとあすかが部屋を見渡しながら言っている間、カオルは覚えていないことを黙っていた。勉強のことはすぐに忘れてしまうのだ。
「ん?」
カオルは、テーブルの上に一枚の紙が置いてあることに気がついた。それにはたった一行、書かれていた。
『かくれんぼ。一階にいるあたしをみつけて』
カオルは、二人に紙を見せた。口元に笑みが浮かんだ。
「おもしろそうじゃん。部屋の隅から隅まで、探してやろうぜ」
「あたし、ということは女子だな」
三人は手分けして、一階を探した。押入れ、トイレ、ピアノの陰、畳みの下。どれだけ家具の裏や中をのぞいても、部屋中を探しても、手紙を書いた女子は見つからなかった。それどころか、人影すら見当たらない。三人は、最初の部屋に戻って、ソファーに座って休憩をすることにした。
「それにしても広いなあ。女子って本当にいるのか?」
「全然見つからないよなあ」
あすかとカオルは、はあ、とため息をついた。レンはふと、庭を見た。芝生には飛び石があり、灯篭とドームのようにピンク色のツツジが咲いて、松が植えられている。この屋敷の外観は、西洋風だが、庭は和風だ。離れも建っている。
「なあ、一階って書いていたけど、庭はどうなんだろう?隠れる範囲にふくまれているのか?」
ぽつり、とレンはつぶやいた。カオルとあすかが、はじかれたように庭を見た。隠れることができそうなところが、いくつかある。三人はにんまり、と笑って庭を探すことにした。レンは離れを、あすかはツツジの辺りを、カオルは庭でほかに隠れられそうなところがないか、探し始めた。
あすかはツツジに近づいた。花が咲きほこっているドームは、あすかの身長と同じくらいの高さがある。ぐるり、と見回ってみた。すると、少し大きな穴ができている。自然にできたもののようだ。上半身だけなら、なんとか入ることができそうだ。あすかはツツジのドームをのぞいてみた。幹があるためか、大きさの割に中はせまかった。すると、そこに体育座りをした少女が背中を向けていた。あすかに気がつくと、少女は振り向いた。あすかと同い年くらいだろう。紺色の着物を着ている。
「見つかっちゃった」
「あの置き手紙書いたの、あんた?」
「うん。……ねえ、女の子と男の子って、友達になれると思う?」
置き手紙の女子は、突然あすかに質問した。あすかはすぐに答えた。
「当たり前じゃん。そうじゃないと、オレはカオルやレンと親友になれないじゃんか」
あすかの答えを聞いた置き手紙の女子は、うれしさと悲しみが混じった顔をした。
「そうだよね。あのね、おねがい。たかしくんのところに行って。二階の、階段から三番目の部屋にいるから」
「もしかして、さえこちゃん?」
置き手紙の女の子、さえこは、首を縦にふった。
「あたしたち、たかしくんの記憶が元になっているの。一番楽しかったときの記憶。それをたかしくんのおじいさんの柱時計が、形にしているの。柱時計はおじいさんも、たかしくんも大好きだから。たかしくんが望んだことは、なんでもしてくれるの」
「そうなのか」
「たかしくんに会って。そうすればきっと、あなたたちは帰ることができると思うから」
そう言うと、まるでたんぽぽの綿毛がとぶように、さえこは姿を消した。さえこの質問が、あすかの心にまるで鉛のように、残っていた。ざわざわ、と落ち着かない。まるで、必死に沈めていることを、むりやり引き上げられているような感覚だ。けれどあすかは、気のせいだ、と自分に言い聞かせて、カオルとレンの元に向かった。
階段は思っていたよりもせまかったけれど、壁のランプや、手すりに彫られた模様が上品にしていた。三人はさえこが言っていた部屋の前に立った。扉は引き戸で色ガラスが、はめこまれている。三人はごくり、とつばを飲んだ。
「い、行くぞ」
カオルは引き戸を開けた。そこは広い書斎だった。本だなには、隙間なく本が収められていた。背表紙に書かれた題名は、達筆でなんと書かれているのか、わからない。机と一人用のソファー、そして柱時計があった。ソファーには、一人の青年がこちらに背を向けて座っていた。
「ここにたどり着いた人間は、初めてだ。迷路でみんな、ぐりこに捕まっちゃうんだ」
青年は、立ち上がりふり返った。首や腕は細く、目もくぼんでいる。顔は青白い。亡くなったときのままのようだ。
「あんたが、たかし坊ちゃんっていう、柱時計の亡霊?」
「そうだ。きみたちは、友達かい?」
「そうだよ」
たかし坊ちゃんは、三人をじろり、と観察した。そして、あすかに気がついた。
「きみ、女の子だよね」
「おう、それがなんなんだよ」
たかし坊ちゃんは、見下すように笑い、あすかに問うた。
「女の子と男の子が、本当に友達になれると思っているのかい?ばかばかしい」
「なんだとっ」
「本当は、きみだってそう思っているんじゃないのか?」
「そんなことない!」
「じゃあ聞くけれど、なんで男の子の話し方なの?女の子じゃ、いっしょに遊んでもらえない、相手にしてもらえない、仲間はずれにされるかもしれない。そんな風に思っているからじゃないの?きみは、ぼくといっしょだ」
あすかは心のふたが、こじ開けられるような気がした。抵抗するように、大きな声で、たかし坊ちゃんが言ったことを否定した。
「ちがうっ」
「ちがわないよ。だって、ぼくがそうだったもの。ぼくはさえこちゃんのこと、友達だと思っていた。けれど、ちがった。さえこちゃんは、ぼくのことを友達だなんて、思っていなかった。だから、なにも言わずに引っ越した。女の子だから、男の子であるぼくを友達と思っていなかったんだ。男の子と、女の子が友達になることなんて、できないんだ」
「ちがう!」
あすかは、たかし坊ちゃんに向かって、走り出した。たかし坊ちゃんに殴りかかった。しかし、あすかの拳はひらり、と避けられ、手首を掴まれてしまった。手首がぎりり、と痛む。病弱だったのが嘘のようだ。家の道場に通う大人よりも強いあすかが、捕らわれてカオルとレンは驚いた。
「ほら、どれだけ強くなっても、きみは男の子じゃないんだ。だから、いつかは仲間はずれにされてしまう。ぼくみたいに」
たかし坊ちゃんのその言葉が、あすかの心のふたを開けた。勢いよく、感情が流れ出た。カオルやレンにおいていかれたくない、いっしょにいたい。話し方も仕草も、男子のようにふるまえば、本当に男子になれるような気がした。女子では、いっしょに遊ぶことができなくなるような気がしたのだ。
「いいかげんにしろよ!」
カオルがどなった。となりのレンもこわい顔をしている。あすかの感情の流れが、止まった。
「さっきから、ぐだぐだ好き勝手に言って、あんたにおれたちのなにがわかるんだよ!おれたちは、あすかだから友達になったんだ。女子とか男子とか関係ない!」
「そうだ!あんたは、自分ができなかったからできない、と決めつけているだけだろ」
「カオル、レン……」
「なんだと?」
レンはちらり、とカオルに目で合図をした。カオルは小さくうなずき、レンの陰に隠れ、少しずつ移動した。レンが注意をひきつけている間に、あすかを助けるためだ。
「おれたち三人は、幼稚園に通っていたころからずっといっしょにいる。おれたちは、男子であろうと、女子であろうとずっと、親友でいる自信はある」
レンがそう言って、自信に満ちた目をたかし坊ちゃんに向けた。その強い眼差しに、たかし坊ちゃんは一瞬、ひるんだ。カオルはその隙を見逃さなかった。たかし坊ちゃんに体当たりをした。あすかの手首がたかし坊ちゃんの手から離れた。あすかは受け身をとって、カオルのほうへと逃げた。
「ぼくだって、そう思っていたことがある……」
たかし坊ちゃんは、尻もちをついたままぽつり、とつぶやいた。
「さえこちゃんは、とってもいい子だった。病気がちだったぼくの、唯一の友達だった。あの柱時計の前で迷路の絵本で遊んだり、絵を描いたり、ぐりこと遊んだ。……きみたちが通ってきたあの迷路も、その絵本が元になっているんだ。屋敷の一階だけで、かくれんぼをしたこともあった。さえこちゃんは、ツツジの中によく隠れていた」
少しやわらかい表情で語っていたたかし坊ちゃんは「けれど」と言葉を切って、目をふせた。
「さえこちゃんはある日、遊びに来なくなった。はじめは用事があるんじゃないか、って思っていた。けれど、沢田さんからさえこちゃんが引っ越したって聞いて、悲しかった。なんで、言ってくれなかったんだろうって、ずっと布団の中で考えていた。病気で死んでしまう、その日まで。引っ越すのだったら、言ってほしかった。ちゃんとお別れもしたかった。……言ってくれなかったのは、ぼくのことを友達と思っていなかったから。亡霊になって、気づいたんだ」
三人は、もし自分がさえこちゃんだったらどうしただろうか、と考えた。きっと、ともてもつらいだろう。もう少しだけ、明日には言おう、とずるずる先延ばしにしてしまうだろう。それでも、きっとお別れは言いたい。もしかすると、さえこちゃんにも事情があったのかもしれない。
「じゃあさ、さえこちゃんがどう思っていたか、調べてやるよ。それでもって、男子や女子なんて関係なく友達になれるって、証明してやる」
カオルが言った。レンとあすかもうなずいた。さえこちゃんは、大正時代の人だから亡くなっているかもしれない。それでも、たかし坊ちゃんとのことを気にしていたら、だれかに話していることも考えられる。
「時間かかるだろうけれど、絶対にオレたちがさえこちゃんの気持ちを、あんたに伝えるから」
「約束する」
たかし坊ちゃんは迷った。さえこちゃんは自分のことを友達と思っていなかった、と本当に思っている。けれど、まだ少しだけさえこちゃんのことを信じていた。もしかすると、本当にたかし坊ちゃんのことを、友達と思っていなかったかもしれない。それでも、さえこちゃんがどう思っているのか知りたい、と思った。たかし坊ちゃんは、自分が知っているかぎり、さえこちゃんのことを三人に教えた。
「さえこちゃんの名字は、高木。高木さえこちゃん。引っ越し先はわからない。一人っ子で、近所に住んでいたんだ。
……約束だよ。さえこちゃんがどう思っていたのか、ちゃんと教えて」
三人はうなずいた。すると、柱時計がゴーン、ゴーン、と二回鳴った。フラッシュのように強い光に包まれ、三人は柱時計に吸いこまれた。それを見送ったたかし坊ちゃんは、凍りついた心が、少し溶けたような気がした。
「あいたっ!」
「う……」
「お、重い」
三人は柱時計から放り出されるように、出てきた。二人の下敷きになったレンが、カオルとあすかに早く下りるように言った。ふと、時計を見た。針は二時五分を指していた。
「あれから五分しか経っていない」
「もしかすると、たかし坊ちゃんがなんとかしてくれたのかも」
カオルとあすかはレンの言ったことに、納得した。亡霊、という不思議な存在だから、普通はできないこともできるのかもしれない。三人はひとまず、家に帰ることにした。疲れたし、両親に抜けだしたことがばれたら、怒られる。柱時計が三人の背を見送るように、ときを刻んだ
あすかはムロマチの部屋から垂れている縄を登った。チョコレートを食べるような非常事態にはならなかったけれど、言うとおりにしておいてよかった、と心の底から思った。窓に足をかけると、ムロマチがベッドに座って雑誌を読んでいた。あすかに気がつき、顔を上げた。
「おお、おかえりあすか。ずいぶん早かったな」
まだ興奮が冷めないあすかは、ムロマチのとなりに腰を下ろした。「ムロ兄、聞いてくれよ!」と、柱時計に吸いこまれたこと、その中で起こったすべてを話した。ムロマチは馬鹿にせずに、微笑みを浮かべて、あすかの話を聞いていた。
「なるほどねえ」
「なあ、ムロ兄。だれに聞いたら、さえこちゃんのことわかると思う?」
ムロマチは腕を組んで、考えた。そして、ある人物が思い浮かんだ。
「清水のおばあちゃんなら、なにか知っているかもしれないな」
清水のおばあちゃんは、あすかの家の近くに住んでいる。今年で九十四歳になるらしい。生まれも育ちも古美が丘町なので、町のことはなんでも知っている。
「うん、そうしてみる」
「まあ、とにかく寝な。母さんや父さんはもう寝たみたいだから、靴、しまってきな」
ムロマチはあすかの頭をくしゃくしゃ、と乱暴になでた。あすかはその手を、少しうっとうしそうに払って、靴をしまいに行った。ムロマチにいろいろ話し、落ち着いたからだろうか。急に眠気が襲ってきた。あすかは眠い目をこすりながら、部屋に戻った。
あすかは日が高く昇るまで、眠っていた。ちょうど起きたとき、電話が鳴った。あすかは、眠そうな声で電話に出た。
「はい、源です」
『お、もしかしてあすか?』
「ん。カオルか?」
『今から一時間後に、レンの家に集合な』
あすかは朝ごはんとも、お昼ごはんともいえない食事を終え、レンの家に向かった。レンの家の道場からは剣道に励む生徒の声が、響いていた。道場を通り過ぎ、家のチャイムを鳴らした。レンが出てきた。すでにカオルは来ていて、レンの部屋で待っていた。あすかはムロマチからのアドバイスを、二人に話した。二人とも、賛成した。さっそく清水のおばあちゃんの家に、行くことになった。
清水のおばあちゃんは、庭で花の手入れをしていた。腰は曲がっているが、動きはてきぱきしている。
「おばあちゃん、こんにちは」
あすかが声をかけた。清水のおばあちゃんは手をとめ、三人を見た。
「あら、こんにちは」
「おれたち、おばあちゃんに聞きたいことがあるんです」
「おやまあ、そうなのかい?立ち話もなんだから、お上がり」
清水のおばあちゃんの言葉に甘え、三人は家に上がった。かつては家族の靴であふれていたであろう玄関は、清水のおばあちゃんの靴だけだ。奥から「こっちだよ」と三人を居間に呼ぶ声がした。清水のおばあちゃんは、三人に席を勧めた。
「それで、聞きたいことっていうのはなんだい?」
「あの、旧古見屋敷のことを知りたいんです。ずっとこの町にいる、おばあちゃんなら、なにか知っているかと思って」
レンがそう言うと、清水のおばあちゃんはなつかしそうに遠くを見て、昔を思い出した。
「古見さんのお屋敷はねえ、それはそれは大きなお屋敷だったのよ。たくさんの人がお屋敷で働いていたのよ」
「あの、そこに男の子はいましたか?」
「ええ、いたよ。体が弱くって、若くで亡くなってしまったんだったかしら」
「その男の子に、友達はいたんですか?」
「ああ、いたわよ。さえこちゃんっていう子で、わたしの友達でもあったんだよ。さえこちゃんはよく、古見さんのお屋敷に遊びに行っていてねえ」
清水のおばあちゃんは、さえこちゃんについて、さらに詳しく話してくれた。
さえこちゃんの叔母さんは、旧古見屋敷で女中をしていたらしい。叔母さんはある日、古見屋敷の主人……たかし坊ちゃんのお父さんに、息子と友達になってくれる子はいないか、と相談されたらしい。さえこちゃんは、叔母さんに旧古見屋敷に連れて来られ、たかし坊ちゃんと会った。それから何度も遊ぶうちに友達になったそうだ。しかし、両親の仕事の都合で、となりの県に引っ越すことになった。しばらく、清水のおばあちゃんは文通をしていた。しかし、その手紙も戦争で焼けてしまったらしい。なので、さえこちゃんの住所どころか、生きているかどうかもわからない。
「もしもできることなら、もう一度さえこちゃんに会ってみたいねえ」
清水のおばあちゃんはぽつり、と遠くを見たまま悲しそうにつぶやいた。三人は、なにも言えなかった。
清水のおばあちゃんの家から学校に行く途中にある公園で、三人は頭を抱えていた。子どもの楽しそうに笑う声が響いていた。結局わかったのは、さえこちゃんの素性だけだった。
「あーあー……。どうしたらいいんだろうなあ」
カオルは、ジャングルジムの頂上で、ため息をついた。
「ほかにだれか知っていそうな人を、探すとか?」
「ほかっていってもなあ」
レンはそう提案するが、あすかもカオルも、心当たりがない。三人は同時にため息をついた。
「あれ、滝田くんと皆川くん、源さんじゃない」
三人は声の主のほうをふり返った。担任の高瀬先生だった。普段の動きやすい格好とはちがって、スカートをはき、ネックレスを身につけ、おしゃれをしていた。高瀬先生は、三人に歩み寄った。
「先生、こんにちは」
「こんにちは」
カオルは、わらを掴む思いで高瀬先生に、さえこちゃんのことを尋ねた。
「先生、高木さえこちゃんって知らない?昔、旧古見屋敷に出入りしていた、女の子なんだ」
「生きていたら、清水のおばあちゃんくらいの年なんですけど」
レンがつけ加えた。三人とも、高瀬先生の答えに期待していなかった。しかし、高瀬先生の答えは、予想外のものだった。
「高木さえこって……わたしの、ひいおばあちゃんの名前よ」
「えっ?」
三人は驚きの声を上げた。結婚したから、名字が変わったのだろう。カオルたちは高瀬先生につめ寄った。
「先生、教えて!ひいおばあさん、さえこちゃんのことっ」
「おれたちどうしても、知らなくちゃいけないんです」
「おねがい、先生!」
高瀬先生は、三人の勢いに思わず一歩退いた。みんな、真剣な目つきだ。高瀬先生は、まっすぐ見つめてくるカオルたちの意志の強さに負け、話すことにした。
「わかったわ。でもその前に、なんでひいおばあさんのことを知らなくちゃいけないのか、教えてくれる?」
三人は互いに顔を見合わせ、先生にたかしぼっちゃんのことを話そうかどうか迷った。けれど、ようやく掴んだチャンスを逃してはいけない。真夜中に学校に忍びこんだことは内緒にして、三人はすべて話した。
「なるほどね……。立ち話もなんだから、ベンチに座りましょう」
四人は、空いているベンチに座った。
「ひいおばあちゃんは、わたしがこの町に来ることが決まった直後に、亡くなったの。だから、三年ほど前ね。そのときに、たかしくんっていう子の話を聞いたわ。それがきっと、あなたたちが出会った、柱時計の亡霊なのね」
「先生、教えてください。なんで、ひいおばあさん……さえこちゃんは、たかし坊ちゃんに黙って、引っ越してしまったのか。たかし坊ちゃんのことは、友達と思っていたんですか?」
高瀬先生は一度深呼吸をして、話してくれた。
「ひいおばあさんは、ずっと柱時計の亡霊……たかし坊ちゃんのことを気にしていた。お別れの日が近づいてきても、なかなか言えなかった。たかし坊ちゃんと遊ぶのが楽しくて。引っ越さなくてもよくならないかっていう小さな希望を持って。言おうとすると、胸がはりさけそうなくらい、悲しくてつらかった、って」
三人は、もしも自分が同じ立場ならどうするか、想像した。きっと、さえこちゃんと同じように、なかなか引っ越すことを話せないだろう。それでも、悲しみと寂しさを心に押しこめて、別れの日を告げるだろう。笑顔で、手を振って別れるために。
さえこちゃんは、たかし坊ちゃんのことを友達だと思っていた。亡くなるときまで、ちゃんとお別れできなかったことを、後悔していた。けれど、カオルたちの言葉を信じてくれるだろうか。
「そうだ。たしか、ひいおばあさんが書いた日記が実家にあったはずだわ。もしかすると、たかし坊ちゃんのことも、なにか書いているかも」
高瀬先生はふと、思い出した。日記があれば、たかし坊ちゃんも納得するだろう。
「先生。その日記、借りてもいい?さえこちゃんの思い、たかし坊ちゃんに伝えたいんだ」
「おねがいします、先生」
「おねがいしますっ」
三人は立ち上がり、頭をさげた。高瀬先生は少し慌てて、カオルたちに頭を上げるように言った。
「わかったわ。実家に送ってもらえるように頼んでみるわ」
三人は先生にお礼を言った。先生は「それじゃあね」と言って、公園を去った。カオル、あすか、レンは互いに顔を見合わせた。事態が進展したことを喜んでいるカオルとレンの目は輝いていたが、あすかの目は少しくもっていた。
公園で二人と別れてから、あすかは家に帰って真っ先に、ムロマチの部屋に向かった。ノックをして、ドアを開けた。
「ムロ兄、今いい?」
「ん?どうした、あすか」
ムロマチは読んでいた雑誌を閉じ、いすを回転させあすかのほうを見た。あすかはベッドに座って、さえこちゃんの日記の話をしてから、心のもやもやを吐き出しはじめた。
「なあ、ムロ兄は男子と女子がずっと友達でいられると思う?」
「んー。おれは、いられると思うよ。あすかは、どう思う?」
「オレは、いられると思っていたよ。でも、たかし坊ちゃんに、いろいろ言われたりして、わかんなくなった。
それに、こわいんだ。もし、さえこちゃんの日記に、男子と女子は友達になれないってことが書いていたら。オレたちの関係を否定されたら、どうしようって」
「じゃあ、ちょっと考えてみようぜ。もしも、あすかが男子で、カオルとレンが女子だったら、どうだ?友達にならなかったと思うか?」
あすかは迷わず首を横にふった。もし二人が女子でも、ゲームや一輪車などでいっしょに遊ぶだろう。周りが、からかうかもしれないけれど、そんなことは関係ない。そう思った。
「ほらな。たしかに、たかし坊ちゃんが言ったことが、心のどこかにあったかもしれない。
でも、あすかは男子だから、二人と友達になったんじゃないだろう?カオルとレンだから、親友になった。もうだいじょうぶだ。こうやっておれに話して、心の整理ができただろう?」
あすかはうなずいた。たかし坊ちゃんに捕まったとき、カオルは言ってくれたではないか。あすかだから友達になったんだ、と。あすかは心が軽くなった。自然と笑みが浮かんだ。
「ありがとう、ムロ兄。亡くなるときまで、たかし坊ちゃんのことを気にしていたんだ。さえこちゃんが、日記にそんなこと書くはずないよな」
「そうだそうだ。だから、不安になることなんてない」
そのすっきりとした表情を見て、ムロマチも安心した。雑談をして、あすかは自分の部屋に戻った。その目は、カオルやレンと同じように、輝いていた。
続く
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