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九、炎上

炎上1

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 夏休みが終わる前日にお泊り修業から帰ってきて、音楽を聴いたとき、ある変化があった。その曲はお母さんにとっては思い出がたくさんつまっている、という話を聞いた直後だった。若いころのお母さんや友達らしき人の姿が、いっしゅん見えたのだ。
(もしかして、これって思い出に入りかけてた?)
 かなではそれ以来、お母さんやお父さんの思い出話を聞いてから、曲を聴くようになった。
 そして新学期。まだ夏休みのような暑さが残っている中、かなでは登校した。教室に入るとすでにみいちゃんがきていた。
「おはよう、かなでちゃん」
「おはよう、みいちゃん。うわ、焼けたね」
 そのとき女子たちの「おはよー」「おはよー、あやめちゃん」という声が聞こえた。かなでは声がしたほうをふり返った。そこにはぶどうのようなむらさき色で白いバラがついているTシャツに、太ももくらいまでの白くて短いパンツをはいている。
「なんか今日のあやめちゃん、大人っぽーい」
「いつもとふんいきちがうね」
「うん。こういうのが好きなんだ」
 あやめがそう言うと女子たちは「でもそっちもかわいいね」だとか「さすがあやめちゃん、なんでも着こなせちゃうんだ」と感心していた。
(石戸さん、好きな服着れたんだ。よかった)
 あやめはそんな風に思っているかなでの姿を見つけると、あわててかけよってきた。
「土居さん、ちょっときて」
 あやめとかなでは階段の踊り場のすみまで移動した。
「石戸さん、お母さんに話せたんだね」
「うん。ママにね、話してみたんだ。あたしの好きな色と、ママが着せてくれる色はちがうって。そしたらね、ママったら泣いちゃったんだよ」
「え、泣いちゃったの?」
「うん。『ごめんね、苦しかったでしょう? 好きじゃない服を着るだなんて』って。ママ、若いころに好きな服が着れなくて苦しい時期があったんだって。それから『これからは好きな色を自由に組み合わせてみたらどう? それで不安だったらママがアドバイスするわ』って。だから、今日の服だってあたしが自分で選んで、コーディネートしたんだから」
 あやめはむねを張った。
 かなではもう一つ気になっていることを尋ねた。
「ブレスレット渡せた?」
 かなでがそう尋ねるとあやめは残念そうに首を横にふった。
「あ、でもおばちゃんには渡せたんだ。らみちゃんは受けとってくれなかったけど……。らみちゃん、いっしょにビーズ遊びしたの、わすれちゃったのかも」
「そ、そんなことないよっ。律さんが言ってたんだけどね、人はわすれてるんじゃなくって、思い出の引き出しが開きにくくなっちゃってるんだって。だからそれを開きやすくするのが、想鳴者の役割でもあるんだって。あとね、音って思い出すのにとてもよくて……」
 かなでが一生けん命説明していると、あやめは小さく笑った。
「いいよ、ありがとう。そんな気はしてたから。……らみちゃんの目、暗かった。あんな目になっちゃうんだ」
 かなでも思い出した。ぞくっとするほどの暗い目を。
「だいじょうぶだよ、きっと」
「うん」
 あやめはいつものような力強さは消えていた。
 それでもかなでは新学期からも変わらず修業が続くと思っていた。しかしそれはまちがっていた。

 放課後、いつものように修想館に行くとだれかが門の前にいた。男の人で背筋は丸まっている。
「あの、なにかご用ですか?」
 かなでがそう声をかけると、男の人はにげるように走ってその場を去ってしまった。
「なんだったんだろう……」
 門の前に立って、かなでは頭が真っ白になった。そこには『さぎ師!』『できないこと言うな』『うそつき!』と書かれた何枚もの紙がはられていた。
「な、なにこれ……」
 かなでははっとした。
「さっきの人、これをはってたんだ。でもなんでそんなひどいこと……」
 かなでは、口の内側をかみしめながら紙を次々とはがしていった。
「律さんはうそつきじゃないっ。律さんは思い出こめれるもんっ」
 気がつくとかなでは泣いていた。両手にはぐちゃぐちゃになったはり紙。にぎっている手に力が入りくしゃっと音をたてる。
「カナデっ? どうしたの、そんなとこで」
 かなでは顔を上げた。そこにはドアを開けてイオが驚いた顔で立っていた。
「い、イオ……」
 なみだばかり出てかなでは思ったことを言葉にできずにいた。そんな中イオは「とにかく中に」と招き入れた。
 かなでは律とイオにことの流れを話した。意外にも律は落ち着いていた。
「実は何日か前からこんなのが続いているのよ。もう警察には相談してるわ」
「……なんでそんなに冷静でいられるんですか?」
 かなでが尋ねると律は「これまでにもなんどかあったのよ」と教えてくれた。そして言葉を続けた。
「わたしは負けたくない。正面から言ってくる度胸のない人に。だれかの大切な思い出をふみにじらせないために、わたしは強くいたいの」
「律さん」
 かなでは背筋が伸びた律を見た。
(律さん、ほんとうにすごい。わたしもあんな風にならなくっちゃ)
「かなで。もしなにかあったらいけないから、しばらくここでの修業はやめておきましょう」
「そんなっ。わたし、平気ですっ」
「いいえ。あなたになにかあれば、わたしはお母さまに顔むけできないし、大切な弟子が危険な目にあったりしたら、わたしは後悔してもしきれないの。だから、おねがい」
 かなではしかたなく首をたてにふった。そしてバイオリンのレッスンも、想鳴者の授業もすることなく、律に送られて家に帰った。
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