61 / 97
-6-
61
しおりを挟む
次の瞬間には、千夏のお母さんがショーケースを迂回して出てきた。両肩をつかまれ前後に揺さぶられる。そういえば行方不明扱いになっていたんだっけ。大事にならないようにうまく説明しなきゃ。
「実は……仕事の出張で、一年ほど北海道に行ってまして」
「出張? 工事会社の事務にも出張があるの?」
しまった。だけどこのまま突っ走るしかない。
「北海道の新しい支店の事務が人手不足でして。新人教育も兼ねて向こうにいたんです」
「千夏は行方不明だって言ってたけど?」
「けんかしたまま出張に出たので、千夏がそう説明したんだと思います。それで今日は、仲直りがしたくて」
「あの子ったらもう……部屋にいるから話してきて。ねえ、久しぶりに夕飯食べてかない?」
千夏そっくりな笑み。ほんの少しの動揺を隠して頭を下げた。
「夜もまた別の用事があって……すみません」
「いいのよ気にしないで。また今度一緒にね」
肩をぽんぽんと叩く千夏のお母さん。「良かった良かった」と繰り返しながら店の奥へと戻って行った。
千夏ともあれくらい話せますように。叶わぬ望みだと知りながら外階段を上り、一番奥の部屋の前に立った。
この向こうに千夏がいる。きっとお気に入りのパジャマを着て寝転がり、スマホを眺めているのだろう。
そこに私が現れたらきっと驚く。目と口を丸く開けて青ざめてしまうに違いない。そうなった千夏にどう声を掛けよう。
急に帰りたくなってきた。だけどこのままだと何も変わらない。何も終われない。どうするかは動いた後で考えればいい。今はただ、勢いだけで進もう。
深呼吸もせず腕を上げ、慎重にドアを叩いた。一回、二回。ドアから一歩下がり『千夏』と書かれたプレートをじっと見守った。
「お母さん? ノックしなくても……」
開いたドアの向こう、千夏と目が合った。緩い表情が徐々に強張る。眠たげな目が大きく開く。せわしなく動く口から言葉は出てこない。
凍ったように固まる千夏の表情は予想どおり。こっちも真っ白になるとは思わなかったけれど。
「千夏」
考える時間を稼ぐためだけに名前を口にした。かつてはわけもなく呼んでいたのに、今となっては理由がないと呼べない。その心の距離が、こんなにも寂しいとは思わなかった。
「叶、ちゃん?」
うかがうような上目遣いに、ほんの少し冷静になれた。千夏はきっと私以上に混乱している。私がしっかりしないと。
「久しぶり。元気にしてた?」
「なんで……ここに」
「長い休みには、いつも実家に帰ってたでしょ」
「それは、そうだけど」
「ちょっと話したくて会いにきたの。体調とか崩してない?」
「一応、うん」
「なら良かった。良かった」
お互いに決して目を合わせようとはしない。こんなことをしに来たんじゃない。そうわかっていても簡単に済ませられない。どうしようかと再び体が熱を帯び始めた。
「ごめんなさい。ほんとにほんとに、ごめんなさい」
千夏が勢いよく頭を下げた。かつての快活さは微塵もない。
その姿を見ても同情の余地はないのだろう。身勝手な恋のために人の人生を奪った。怒りに任せて罵倒しても、千夏はきっと何も言い返さない。自分への罰だと受け止めてくれるはず。
だけどそれをするのは今じゃない。
「話がしたいの」
「話って、何の?」
「いろいろ聞きたいこととか、話したいこともあるの。二人きりで話したい」
「あたし、ちょっと忙しくて。これから用事もあるし」
露骨に嫌がっている。そりゃあそうだ。どう考えても怪し過ぎるもの。私が千夏の立場なら、復讐をしに来たんじゃないかって警戒するだろう。
「実は……仕事の出張で、一年ほど北海道に行ってまして」
「出張? 工事会社の事務にも出張があるの?」
しまった。だけどこのまま突っ走るしかない。
「北海道の新しい支店の事務が人手不足でして。新人教育も兼ねて向こうにいたんです」
「千夏は行方不明だって言ってたけど?」
「けんかしたまま出張に出たので、千夏がそう説明したんだと思います。それで今日は、仲直りがしたくて」
「あの子ったらもう……部屋にいるから話してきて。ねえ、久しぶりに夕飯食べてかない?」
千夏そっくりな笑み。ほんの少しの動揺を隠して頭を下げた。
「夜もまた別の用事があって……すみません」
「いいのよ気にしないで。また今度一緒にね」
肩をぽんぽんと叩く千夏のお母さん。「良かった良かった」と繰り返しながら店の奥へと戻って行った。
千夏ともあれくらい話せますように。叶わぬ望みだと知りながら外階段を上り、一番奥の部屋の前に立った。
この向こうに千夏がいる。きっとお気に入りのパジャマを着て寝転がり、スマホを眺めているのだろう。
そこに私が現れたらきっと驚く。目と口を丸く開けて青ざめてしまうに違いない。そうなった千夏にどう声を掛けよう。
急に帰りたくなってきた。だけどこのままだと何も変わらない。何も終われない。どうするかは動いた後で考えればいい。今はただ、勢いだけで進もう。
深呼吸もせず腕を上げ、慎重にドアを叩いた。一回、二回。ドアから一歩下がり『千夏』と書かれたプレートをじっと見守った。
「お母さん? ノックしなくても……」
開いたドアの向こう、千夏と目が合った。緩い表情が徐々に強張る。眠たげな目が大きく開く。せわしなく動く口から言葉は出てこない。
凍ったように固まる千夏の表情は予想どおり。こっちも真っ白になるとは思わなかったけれど。
「千夏」
考える時間を稼ぐためだけに名前を口にした。かつてはわけもなく呼んでいたのに、今となっては理由がないと呼べない。その心の距離が、こんなにも寂しいとは思わなかった。
「叶、ちゃん?」
うかがうような上目遣いに、ほんの少し冷静になれた。千夏はきっと私以上に混乱している。私がしっかりしないと。
「久しぶり。元気にしてた?」
「なんで……ここに」
「長い休みには、いつも実家に帰ってたでしょ」
「それは、そうだけど」
「ちょっと話したくて会いにきたの。体調とか崩してない?」
「一応、うん」
「なら良かった。良かった」
お互いに決して目を合わせようとはしない。こんなことをしに来たんじゃない。そうわかっていても簡単に済ませられない。どうしようかと再び体が熱を帯び始めた。
「ごめんなさい。ほんとにほんとに、ごめんなさい」
千夏が勢いよく頭を下げた。かつての快活さは微塵もない。
その姿を見ても同情の余地はないのだろう。身勝手な恋のために人の人生を奪った。怒りに任せて罵倒しても、千夏はきっと何も言い返さない。自分への罰だと受け止めてくれるはず。
だけどそれをするのは今じゃない。
「話がしたいの」
「話って、何の?」
「いろいろ聞きたいこととか、話したいこともあるの。二人きりで話したい」
「あたし、ちょっと忙しくて。これから用事もあるし」
露骨に嫌がっている。そりゃあそうだ。どう考えても怪し過ぎるもの。私が千夏の立場なら、復讐をしに来たんじゃないかって警戒するだろう。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる