ホムンクルス

ふみ

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 改めて建物に目をやった。レンガ造りのそれには見覚えがあった。外壁に設置された緑色のテラス屋根と、その下のテラススペース。
 どこで見たんだっけ。片目をつむって記憶を探っていると、お店のロゴが目に入る。それと同時に、小さな稲妻が背中を駆けた。
 そうだ、思い出した。雑誌に載っていたレストランだ。
 ギリシャ神話の女神と同じ名で、そこで食事すれば意中の人と必ず結ばれるとか何とか。そんな所に千夏が何の用だろう。もしかして、いつか私と来るための予行演習?
「今日に限ってあるわけないか」
 甘い答えを切り捨てた。それじゃあなぜ? 観察していると千夏が片手を挙げた。まるで誰かに合図しているよう。千夏の視線の先を追い、待ち人を確かめようとして、呼吸が止まった。
 遥が、そこにいた。
 絹のような黒髪と見覚えのあるヘアピン。それから性格を表すようなふんわりとしたワンピースを着て、私と同じように微笑んでいる。対する千夏の表情は見えないけれど、遥をエスコートするようにレストランの中へ消えた。
 どうしてあの二人が今更。それにどうして今日なの。私にうそをついてまで会う理由なんて――。
 脳裏をよぎった何かに目の前が揺れた。そんなまさかという疑いが根拠のない不安によって、確信へと塗り替えられた。そうして目の前に現れた答えは胸にすうっと溶けていった。
 もしも遥が心変わりして、千夏へ想いを寄せていたとしたら。
 千夏の愛くるしい笑顔や天真爛漫なところに惹かれ、遥が改めて告白する。そして今日、バレンタインにカップルらしく二人きりのディナー。
 待って、私の存在価値はどうなるの? 無意味、無価値。本物の遥と付き合えた以上、私という偽者はいらない。千夏にとって邪魔な存在に格下げされてしまう。
 つい頭を抱えるとヘアピンに手が触れた。軽く力を込めて外す。いつも身に着け、遥の証だったそれが歪に見えた。見続けていると私が私でなくなってしまいそうだった。
 怖くなってヘアピンを投げ捨て、そのまま逃げだした。千夏への愛を抱えていた体は、いつもより軽くなったような気がしてならなかった。


 真っ暗な部屋に新しい音が加わった。
 暗闇の中で耳を澄ませば、それは階段を上る音。何度も聞いたからわかる。これは千夏の足音だ。
 意識を外に向けたことで、自分の異変に気が付いた。千夏の部屋で電気もつけず、膝を抱えて何をしていたのだろう。えっと……ああ、そうだ。千夏のことを考えていたんだ。
 引っ越し先で出会った友だち。それだけじゃない。父さんと母さんが早くに亡くなって親戚のうちで暮らしている間、千夏は精神的支えとなっていた。
 ひょっとしたら、あの頃から恋が芽生えていたのかもしれない。そんなこと、もはや考えても仕方のないことだけれど。
「ただいまー。やっと帰ってこられた……あれ、もう寝ちゃった?」
 ドアが開く音と千夏の声。のれんで姿は見えないけれど、玄関の方へ顔を向けた。
「うわっ!」
 千夏が部屋に入るなり、まるで猫のように飛び退いた。
「こんな真っ暗にして何してるの? 目が悪くなっちゃうよ」
 部屋の明かりがついた。千夏が腰を曲げ、こちらへ手を伸ばす。
 そう、その手で触れて。そうすればまたやり直せる。いつだってそのぬくもりに包まれてきた。全てを話して、遥より私の方がいいと説得すればいい。
 縋るように見つめる中、千夏の手が頬に触れた。ずっとそばにあった幼い手。いつも温かくて大好きな千夏の一部。それがどうしてか、何も触れていないように感じてしまう。
 そんなのあっていいはずがない。私は千夏が好き、愛している。たとえ千夏が心移りしても、諦めたくない。
「ちーちゃん。ねえ、ちーちゃん」
 膝を抱えていた手を、千夏の両肩へ置いた。
「なっ、何?」
 動揺した千夏の声が裏返る。
「私のこと、好き? どう思っているの?」
 千夏はすぐに小さく笑ってくれた。もうすぐ私である証がもらえる。私が私でいられる理由が示される。過去を捨ててまで一緒にいたいという想いが届く。
「大好きだよ。はる姉を愛してる」
 その目に、私は映っていなかった。
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