安政七年(西暦1860年)、摂津国(現、大阪府)で和船の竜骨を担いで歩く、若い男がいた。
彼の男の名は、通天(ツウテン)虎之助(トラノスケ)である。虎之助は昨年、父、蛸衛門(タコエモン)が他界して以来自ら、父が営んでいた和船の修理屋を受け継いでいた。
父が他界し、数ヶ月後に、虎之助は堺の町に来ていた。理由は、数日前の台風によって南蛮船が砂浜に座礁しているとの情報を得たからである。そこで虎之助は、生まれて一度も見たことない巨大な南蛮船を見上げて、あることを決意した。それが、今後の日本の歴史を変える大きな舵となることは、現時点の虎之助に分かるはずがない。