二市アキラ(フタツシ アキラ)

二市アキラ(フタツシ アキラ)

「みずがめ座η流星群」が見える夜に堕ちて来ました。ニックネームはアッキーラ。ニイチと呼ぶ輩もいるけど(笑)。ここでWEB小説書いてま〜す。

(菊之助外伝)と切腹

(菊之助外伝)と切腹

中世ヨーロッパ社会で、人々はキリスト教の強い支配と、封建的な身分関係の中にいて、社会や神から自由で独立した「わたし」を考えるなんて思いもよらない事だったらしいです。それがようやく近代に入って、自我というものがクローズアップされて来たんですね。

 近代社会を構成するのは、一人一人の市民である。そしてその市民は「自我」を有している。これがヨーロッパの近代を支える思想で、ヨーロッパの近代文明を裏打ちしているのはその思想自体であり、日本流の"自我きなどはそれよりもっと遅れて、しかも「近代的自我」を移植する形で、現代に至っているというわけです。

日本の時代劇を見てて、一番不思議だったのは「切腹」でした。自殺の方法なんかをみてると共通してるのは「死への肉体的な恐怖」をいかに緩和するかを工夫してるって事ですよね。
極端な例になると、死が与えるであろう肉体的な苦痛を受け入れることが出来なくて、他人に「自分を殺して欲しい」などと依頼したりするぐらいだから。
 ところが「切腹」はこれと真逆の事をやる。
まあ瞬時に死を与えてくれる介錯人という存在があった場合もあるだろうけど、それにしても自分の意志で自分の肉体を刃を使って死に至らせるというのは相当な精神力、あるいはそれをならしめる程の外にあって己の価値観を支配するものが必要なはず。
「切腹」、、これは近代においては生半可な近代的自我の持ち主では無理な所行なんかじゃないかと思います。
(そういう意味では三島由紀夫って色々な意味で凄い人ですね)
 まあこの「切腹」も現代では、その精神性と様式美、グロテスク美が奇妙に変形して「切腹フェチ」などという分野を生み出していますが……。

 ある歴史家は「中世人の感覚は我々とまったく違っていた」と唱えています。これは、この「近代的自我」との隔たりを捉えておられるのではないかと勝手に想像しています。
登録日 2023.06.24 07:19

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