察しているつもりが

 そもそも人に、ある事柄の究極的な本質を知ることが、果たして可能なのでしょうか? 個人的見解ですが、日本の学者には「私には可能」と信じ切っている人が多い気がします。理由はソクラテスの「私は、知らないという事を知っている」を、日本人は国民性として理解しにくいからです。

 日本人は世界有数の、言葉に頼らない意思疎通が可能な民族です。日本人が何気なくする「空気を読む」や「察する」は、他の民族にはとても難しいんですね。しかしこの宇宙は、長所と短所が一対になっているもの。上記もそれに漏れず、

『察しているつもりが一方的に決めつけているだけ』

 という短所に容易くなってしまう。その体現者は心の未熟な人、及び学歴エリートに多いのですが・・・

 続きは次回に。
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登録日 2022.07.17 06:30

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