トベ・イツキ

トベ・イツキ

歴史小説を書いてます。三国志✕学園群像劇『学園戦記三国志』を小説家になろう・カクヨム・アルファポリスで連載中。他に『三国志 歴史解説』も執筆。

劉封(リュウホウ)の出自について前編

学園戦記三国志
https://www.alphapolis.co.jp/novel/227601892/691282124
最新66話で登場したリュウホウ。そのモデルは劉備の養子となった劉封です。まんまですね。
本編ではリュウヒョウ(劉表)のイトコのリュウバン(劉磐)(史実では従子)の弟という設定になってます。
さて、その劉封、正史ではどうなっているのかというと、羅侯の寇氏の子、長沙の劉氏の甥と書いてある。
長沙に羅県という場所があり、後漢の光武帝の功臣に寇恂という人がおり、そこに封じられた末裔の一族が劉封の実家である(長沙に封じられた寇氏は記録になく、その家について諸説あるがここでは掘り下げない)。
また長沙の劉氏は、前漢の景帝の子が長沙王に任じられ、後漢の時廃止された。その末裔だろう。
長沙は、その太守張羨が198年に荊州牧劉表と争い、200年頃に平定された。長沙が劉表勢力に組み込まれるのはこれ以降である。
劉表は自分に逆らう人間にわりと容赦なく、張羨の配下だった桓階は行方をくらましている。
またこれにより長沙は、劉表と対立していた孫権との最前線の一つとなり、劉表の従子劉磐の軍が長沙の攸県に駐屯している。
そういった不安な情勢の中、寇氏や長沙劉氏は劉表の保護下に入ったのではないだろうか。
そしてまもなく劉備が劉表のもとに逃げ込み、手厚くもてなされた。
寇氏や長沙劉氏が身の安全のために劉表に歓迎されている(少なくとも傍目にはそう見える)劉備に接近しようとするのは考えられることだ。
また、劉備のその後を知っていると違和感があるが、当時の劉備は傭兵集団で、劉封を養子に迎えた年は不明だが、この頃劉備は40歳ほど、そろそろ後継者を考え出したのだろう。劉封は武芸に優れ(演義だと地味だが)、また血統も良い。
コメント 0
登録日 2021.04.04 21:00

コメントを投稿する

1,000文字以内
この記事に関するコメントは承認制です

ログインするとコメントの投稿ができます。
ログイン  新規ユーザ登録

0

処理中です...

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。