トベ・イツキ

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歴史小説を書いてます。三国志✕学園群像劇『学園戦記三国志』を小説家になろう・カクヨム・アルファポリスで連載中。他に『三国志 歴史解説』も執筆。

呉の徐整の話その2(前編)

連載中の学園戦記三国志
https://www.alphapolis.co.jp/novel/227601892/691282124
今回は呉の徐整の第二回。徐整がどういう人物だったかについては第一回を読んでほしい。
この徐整がどういう人物なのか。今回は彼の出身地である豫章から考えてみよう。三国志だと同郷同姓は同族という風に考えられている。確実というわけではないのだが、それ言い出すと話が進まないので、豫章徐氏が他に三国志にいないか探してみよう。
ちなみに豫章というのは揚州の南部にある郡の一つ。ここの太守(知事)を巡っては孔明の叔父の諸葛玄と朱儁の息子朱晧が戦ったり、劉ヨウとサク融が対立したりと色々あったが(この辺学園戦記三国志では省略しちゃったなぁ)、最終的に孫策の支配下に入り、そのまま呉の領土となった。
さて、徐氏に話を戻すが、呉で有名な徐氏というと将軍の徐盛がいるが、彼は元々孔明と同じ徐州琅邪の人(県は違う)。世の混乱から呉郡に移り住み、孫権に仕えた。
他に呉の有名な徐氏というと孫権の夫人となった徐夫人がいる。が、彼女も呉郡富春の人で豫章とは関係ない。(ちなみに学園戦記三国志の22話に登場したジョコンのモデル徐コン[王昆]は徐夫人の父)
正史呉志に立伝された徐氏はこのくらいなのだが、では豫章徐氏はいないのかと探してみたらいた。
顧卲伝(呉の丞相顧雍の長子)にいう、彼が27歳の時、豫章太守となり、その地の先賢である|徐孺子《じょじゅし》の墓にもうで、その子孫に手厚い保護を与えた、とある。
徐孺子とは後漢書列伝四十三に載っている|徐穉《じょち》(字は孺子。97~168)のこと。彼は郷里で農耕生活を送り、官職の誘いを断り、陳蕃や郭林宗と交流があり、名士から尊敬されていた。
顧卲が豫章太守に就任したのは建安十五年(210年)のこと。
この時保護を受けた人物かその人物の子孫が徐整である可能性が高い。ちなみに徐穉は豫章郡南昌の人である。
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登録日 2020.08.23 21:12

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