各国の大手アパレルやシューズメーカーが生産の継続が難しくなった東南アジアからトルコやモロッコさらには自国に生産拠点を移し始めたのはそのためだ。そうしたサプライチェーンの再編が、ブラザー工業の工業用ミシン需要を押し上げている。同様の変化はアパレル以外の業種にも広がっており、現在ではブラザー工業の産業用精密機械(マシナリー)事業全体で収益は増加している。
以上が示唆することは、現時点で、ブラザー工業が頑健かつ持続性の高い事業運営体制を整備、強化できていることだ。ブラザー工業のコア・コンピタンスである精密な工作技術は、依然として世界的な競争力を発揮している。また、ブラザー工業は新型コロナウイルスの感染症発生による世界のサプライチェーンの混乱にも対応し、自社の生産活動に必要な資材の調達管理を強化し、着実にビジネスチャンスを手に入れている。それは、同社が中長期的な成長を目指すために必要な要素の一部といえる。
今後も、世界経済全体でサプライチェーンの混乱は続き、世界のアパレル業界をはじめ広範な業界で生産拠点の自国回帰や本拠地から近い国や地域への移管が増える可能性は高い。工業ミシンや切削機械などの精密な工作機械分野でブラザー工業のビジネスチャンスは拡大するだろう。
ブラザー工業は工業用ミシンなどのB2B分野で新しいし製造技術(製品)を生み出し、競争力の向上を目指すべき局面を迎えている。そう考える理由は2つある。まず、B2C分野で小型プリンターなどの需要が右肩上がりで推移し続ける展開は想定しづらい。世界経済のデジタル化によって紙に文字や画像を印刷する必要性は低下するだろう。それに加えて、在宅需要の増加を背景とする小型複合機などの“特需”もいずれは落ち着く可能性がある。
もう一つが、わが国の自動車産業の先行き懸念だ。ブラザー工業が精密な工作技術を磨き中国など海外の工業用ミシンや工作機械需要を取り込んだ背景の一つには、中京工業地帯における自動車生産の増加があった。しかし、今後は国内で自動車生産が増加し、それが精密な工作機械技術の向上を支えるという産業構造の維持は難しくなる可能性がある。なぜなら、日本経済の大黒柱である自動車産業は、すり合わせ技術向上が求められるハイブリッド車の製造技術を重視し、世界的なEVシフトに出遅れたからだ。
激化する事業環境の変化に対応するために、ブラザー工業にとって工業用ミシンや精密な工作機械分野で競争力強化に取り組む意義は高まっている。IoT技術を用いたファクトリーオートメーションの加速によって、縫製工場の省人化や自動化が進む。世界的な工業ミシン分野におけるブラザー工業の競争力をもってすれば、そうした環境変化を収益獲得につなげることはできるだろう。
少し長めの目線で考えると、B2Cのプリンティング事業で磨いた技術をB2B分野に応用する展開も想定される。例えば、プリンティングと工作機械の技術を結合し、3Dプリンターで実測にモックアップ部品をつくり、必要な修正を加えたうえでデータを計測する。そのデータを用いて自動的にEVなどの部品を製作したり、アパレル製品を製造したりする機械の創造が目指される可能性もある。中国経済の減速、あるいは失速懸念など先行きの不透明感が高まる状況下、ブラザー工業が小型複合機・プリンター事業で獲得した資金を、新しい製品の創出にダイナミックに再配分し、新しい稼ぎ頭事業の育成に取り組む展開を期待したい。
(文=真壁昭夫/法政大学大学院教授)
●真壁昭夫/法政大学大学院教授
一橋大学商学部卒業、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学大学院(修士)。ロンドン証券現地法人勤務、市場営業部、みずほ総合研究所等を経て、信州大学経法学部を歴任、現職に至る。商工会議所政策委員会学識委員、FP協会評議員。
著書・論文
『仮想通貨で銀行が消える日』(祥伝社、2017年4月)
『逆オイルショック』(祥伝社、2016年4月)
『VW不正と中国・ドイツ 経済同盟』、『金融マーケットの法則』(朝日新書、2015年8月)
『AIIBの正体』(祥伝社、2015年7月)
『行動経済学入門』(ダイヤモンド社、2010年4月)他。