アイドルが断言「TikTokは冒頭0.1秒が勝負」の訳

アイドル、TikTokerの八木沙季。幼稚園時代からの相棒「うぱぎ」(右肩)と共に(撮影:梅谷秀司)
TikTokでフォロワー数70万人超(2024年1月現在)を獲得。身近な疑問を検証する「検証します!」動画で支持を集める八木沙季は、ソロアイドルとTikTokerの2つの顔を持つ。
 
インフルエンサーを目指す人も多い時代。50万人以上のフォロワー数を獲得するユーザーは上位1%と言われるTikTok界で盛大にバズったのは、彼女が“アイドルだから”ではない。
 
コロナ禍初の緊急事態宣言下での焦り、そして、それに端を発した「ひらめき」が人生の転機に。アイドルとしての活動がままならない時期になぜ、TikTokに活路を見出したのか。彼女ならではのショート動画のセオリーと共に聞いた。
 

ソロアイドルの一方「TikToker」として

30歳目前に故郷の兵庫県姫路市から上京し、八木沙季はソロアイドルに転向。芸能界で「売れたい」と願望を口にし、夢は「コンシェルジュのいるタワマン暮らしでタクシー生活」と潔く公言する。

関西時代、10代は吉本興業のつぼみ(現・つぼみ大革命)、姫路発のローカルアイドル・KRD8のメンバーとして活動。

20代の9年間は憧れのハロー!プロジェクトも系列会社に擁するアップフロント関西のLovelys(2023年3月解散)に所属していた。

その歩みは、当サイト掲載の記事『「検証します!」14年目"苦労人アイドル"驚く野望』で紹介した。

本稿ではもうひとつの顔、TikToker・八木沙季にフォーカスする。

彼女の代名詞となるのが「検証します!」動画フォロワー数70万人超(2024年1月9日現在)を突破した今、先述のLovelys時代にTikTokへ賭けた背景、ショート動画へのこだわりを聞いた。

八木沙季は苦労人だ。アイドル14年目で上京するまでは、関西圏を中心に活動していた。

関西圏で活動していた当時から「上京したい」と思っていたという(撮影:梅谷秀司)

3組を渡り歩いたグループアイドル時代には、東京を中心にした首都圏との「ファン」や「仕事」の量的格差も実感。ふつふつと「売れたい」思いをたぎらせていた

「ほぼセルフプロデュース」の経験が糧に

2組のグループを渡り歩き、20歳からはLovelysの一員に。

当初は4人組であったが、途中から解散までは、今なお“相方”と慕う宮崎梨緒と共にアイドルデュオとして2人で活動を続けた。

当時、ほぼ「セルフプロデュース」状態だったとは驚く。

ライブグッズも2人で考案して本番までに準備。衣装やグッズの制作では当時の事務所と「予算」を交渉し、衣装デザイナーや「小ロット」でグッズを商品化してくれる業者まで、2人で探していたという。

グッズ制作では「小ロットでも作ってくれる業者さん」を探す苦労もあった(撮影:梅谷秀司)

その一環であったライブの幕間映像やMVの制作は、TikTokでも精力的に活動を続ける現在の糧に。特技の「動画編集」は「独学」だった。

自分たちでやるしかない状況で映像の構成を考えて、撮影。動画編集はもちろん、事前のスタジオ手配もみずからこなす

MVのイメージをふくらませて、他のYouTuberの動画を参考に。「楽しくて、どんどんのめり込んでいきました!」と、当時を思い出す口調は明るい。

なかでも当時、苦労したのは「ドキュメンタリー風」と解説するLovelysの曲『ドレドレ』のMVだ。

2人の打ち合わせやダンスレッスン、店頭でビラ配りする風景も記録、ステージまでの軌跡を描く作品で「イメージをスタッフさんに『こう撮ってほしい』と伝えるのが難しかった」と、振り返る。