一方で、社会保障制度には、これとは別にすべての国民を対象としたものがある。児童手当や生活保護制度が代表的なもので、それぞれ社会手当、公的扶助と呼ばれる。保険料の拠出を要件としない点で、社会保険と区別される。
一般に、社会保険は保険料で、社会手当や公的扶助は税でその財源を確保している。社会保険とは「万が一に備えて保険に加入する」もので、社会手当・公的扶助は「国民の生活を保障する」ものだからである。これをごちゃまぜにしてしまうと、負担と給付の関係が曖昧になる。
なぜ、負担と給付の関係が曖昧になることが問題なのか。
たとえば、介護保険制度を例に考えてみよう。制度運営は、自治体ごとになっている。介護サービスを利用する高齢者が増えれば、保険料は高くなる。高額の保険料を受け入れるか、サービスを制限するかは、自治体ごとに判断する。
過疎地で特別養護老人ホームが増えれば、保険料は目に見えて高くなる。逆に、保険料が安い自治体では、介護保険事業者がおらず必要なサービスが受けられないこともでてくる。どちらを選択するのかは、難しい問題である。しかし、市民にとって「目に見える」問題となり、「どうすべきか」という議論が起こりやすくなる。
それでは、支援金制度はどうだろうか。制度運営は、国が統括することになる。子ども・子育てサービスを利用する子育て世帯が増えれば、保険料(支援金制度では「支援納付金」というが、わかりやすさを優先して保険料とする)は高くなる。しかし、その保険料が何に使われているのかは国民からは見えにくい。
サービスのメニューが示されなければ、「知らないうちに新しいメニューが増えて、そちらに財源が投入される」という事態になっても、気づくことが難しい。かつて、年金福祉事業団が運営する大規模保養基地「グリーンピア」が相次いで破綻するなど、年金の「無駄遣い」が社会問題となった。同じことが支援金制度で起きない保証はない。
日本人は、消費税をはじめとする増税には強い抵抗感を示すのに対して、社会保険料の増額には寛容だと言われてきた。毎回の買い物で消費税の増税を痛感することはあっても、給与から天引きされる社会保険料が年々増えていることには気づきにくい。民間の生命保険や損害保険のように、リスクに備えて保険料を支払うという考え方も、国民性に馴染みやすいのだろう。
政府資料では、支援金制度について「連帯によって、将来を担う子どもたちや子育て世帯を全世代・全経済主体で支える仕組みであり、支援金は保険料と整理」と説明している(こども家庭庁「支援金制度について(こども家庭庁支援金制度等準備室)」)。
しかし、支援金制度は、子どもを育てているかいるかどうかは関係なしに、医療保険の加入者から保険料を集める。これは、社会保険よりは社会手当や公的扶助に近い。
社会手当や公的扶助は税方式で財源を集めることが基本である。つまり、支援金制度は社会保険という表の顔がある一方で、本来は税で対応すべき施策がメニューとして並んでいることになる。
支援制度の二つの側面をみてきたが、コインの表裏のように、よい面と悪い面がある。よい面は、財政的な裏づけをもとに、思い切った少子化対策ができる可能性である。
社会保障給付費の推移をみると、年金や医療などの高齢者向けの社会保障給付の増加は驚くばかりである(表2)。
支援金制度は、年金や医療と同じく、必要性に応じて財政規模を増やしていくことになるだろう。高齢者と若者の社会保障給付に関する不均衡を解消され、少子化対策が進むかもしない。