2022東京ヤクルトスワローズ髙津流 熱燕マネジメント

改めて感じる監督業の楽しさや喜び
「山田や村上といった選手に出会えた運と縁に感謝」

(インタビュアー:長谷川晶一)

――秋季キャンプが終わり、ハワイでの優勝旅行も終わりました。日本シリーズ終了後、しばらくの間は「悔しい」という言葉ばかりが聞かれましたが、少しずつ心境の変化も生まれてきているのではないですか?

髙津 そうですね。やっと、2023年シーズンに目が向き始めたかなと思います。日本シリーズが終わって1カ月ぐらい、それこそ秋季キャンプ中も悔しくて、悔しくて仕方がなかったですね。ふと気がつけば、「何で勝てなかったのかな……」とか、「何で最後……」とか、悔しさと反省ばかりだったけど、今はようやく編成のこととか、戦い方とか、2023年のことを考えつつある状態です。

――以前、お話を伺ったときに「自分はいつも反骨心や悔しさをバネにしてここまできた」と話していました。2022年日本シリーズの経験は、23年シーズン以降の「髙津采配」に何らかの影響を与えることになりそうでしょうか?

髙津 形として、具体的な采配に影響があるかどうかはわからないですけれども、選手たちには「必ず、この経験を生かしてほしい」とは伝えたいですね。そこから、23年キャンプは始まると思います。

――1992年日本シリーズでヤクルトは西武に敗れました。翌93年のキャンプは、前年のシリーズでミスをしたスライディング練習から始め、その年は日本一を奪回しました。野村克也監督によると、「あの悔しさを忘れるな」という言外のメッセージだったと聞いたことがあります。髙津監督はいかがですか?

髙津 僕も、そういうことはするかもしれませんね。もしかしたら、キャンプ序盤は偏った練習になるかもしれないですね。「勝つために」「負けないために」という意味で、偏った練習をする可能性はあります。僕の中で、すでにイメージはできているので、そこはぜひ徹底して時間を割いて集中的に取り組みたいと思います。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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髙津臣吾 /
2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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