2022東京ヤクルトスワローズ髙津流 熱燕マネジメント

村上選手最終打席56号、ベテラン達との惜別――
劇的シーズンを終え、指揮官が挑む2年連続日本一!

「なんとなく可能性はあるな」――村上が見事成し得た最終打席の56号

――先ほどお話が出た10月3日のシーズン最終戦で、日本中が見守る中で村上宗隆選手が56号を放ち、大きな話題となりました。あの日を振り返っていただけますか?

髙津 その日の朝、ムネと顔を合わせたとき、バッティング練習を見ているとき、しゃべったとき、前日までとはちょっと違うリラックスした雰囲気を感じました。僕はバッティングのことはよくわからないけど、前日のタイガース戦を休んだことですごくリラックスできたように見えたし、よく打っていた頃と同じようなスイングに戻っていたような気がしました。

――「今日は打ちそうだ」という予感のようなものはありましたか?

髙津 「今日、打っても不思議じゃないな」とは思いました。もちろん、相手のあることだから、いいところに投げられればどんなに調子がよくても打てないかもしれないけど、心身ともにコンディションはいい感じだったので、「可能性はあるな」とは思っていました。

――この試合では、それぞれパ・リーグから移籍してきた内川聖一選手、坂口智隆選手、そして嶋基宏選手が今シーズン限りでの退団、引退セレモニーを行いました。去りゆくベテラン選手たちに対して、監督からも心のこもったメッセージが披露されました。

髙津 今、お話があったように、彼らは3人ともパ・リーグから移籍してきて、それぞれスタートは違えど、ゴールがみんなスワローズだったということは、たまたまかもしれないけど、最後にスワローズを選んでくれて、後輩達にいろんなものを残しユニフォームを脱いでくれたことはすごくありがたいと思いました。「ピークを過ぎた」と言ったら失礼かもしれないけど、決して全盛期ではない中で、懸命にチームのためにプレーしてくれました。スワローズに来てくれて本当に感謝しています。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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髙津臣吾 /
2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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