2022東京ヤクルトスワローズ髙津流 熱燕マネジメント

髙津監督が自宅療養中に改めて感じた
チームの強さと弱さ、村上選手への思い

改めて痛感した「一軍と二軍との差」

――実際に自分の目で直接見たり、感じたりすることができない状況下において、「普段通り」は可能でしたか?

髙津 普段だったら、「ああしたい、こうしたい」と言って、僕自身でスタメンをいじることもあるんですけど、今回に関しては現場にいる人が「このメンバーが今日のベストだ」と考えて決めたのだろうし、現場で指揮を執る松元であったり、他のコーチがやりやすいメンバーなのだろうから、あまりいじることはしませんでした。

――先ほど名前を挙げた並木選手や武岡選手の活躍、奮闘ぶりはどのようにご覧になっていましたか?

髙津 「すごく一生懸命に頑張っているな」というのは感じました。ただ、ベンチ内で近くで見ていたわけではないから詳しいところまではわからないけれど、「やっぱり、いろいろな面で差があるな」と感じたのも事実です。「一軍と二軍の差」というのは技術面以外にも、精神面や野球に対する考え方も差があると感じました。

――今年の春季キャンプ終了後にも、同様の発言をされていました。もちろん、若手には若手のための育成計画があります。例えば、今回のような不測の事態が訪れたときには「計画を軌道修正して、何とか現実にアジャストする」のがいいのか、「腹をくくって現実を受け入れた上で、決してブレずに育成計画をまっとうする」のがいいのか? どのよう考えますか?

髙津 難しい問題ですね。やっぱり、一軍と二軍の立ち位置は違いますからね。まだまだ課題があるから二軍で練習を続けているのは確かだけれども、今回のような事態によって一軍でのチャンスが訪れたのに、「やっぱり、ここができていないよね。やっぱり、まだ差があるよね」と言われてしまうようではちょっと寂しいのも事実ですから。すべての若手に「レギュラー選手のようにプレーしろ」と言うつもりはもちろんないけど、今回の経験によって、「あぁ、一軍はこんな雰囲気なんだ」とか、「一軍選手と僕とでは、ここまでいろんなところに差があるんだ」と感じてほしいなと思いました。そうしないともったいないなとは思います。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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髙津臣吾 /
2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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