そういうスタンスでしたから、どんな状況で「代打に出てくれ」と言われても大丈夫でした。代打時代、すでに30代半ばになっていましたから、起用する監督も気を遣ったことでしょう。だから私は、できるだけ気を遣わせないよう、当時の古田(敦)監督に「いつでも(代打として)いけますから、気にせず言ってください」と伝えていました。自分が監督になってから一層強く感じるのですが、監督にとって使いやすい選手でいることはとても重要です。選手たるもの、結局、試合に起用されてナンボですからね。
さて、こうして代打稼業に専念し、2007年には代打の年間安打新記録を打ち立てた、その翌年。この年もシーズン前半から代打として起用されるのですが、はじめの5、6打席で、まったく結果を出せなかったんですね。その後もどうも波に乗れない。そしてこの年、監督が交代してチームの方針も変わったためか、5月頃に2軍へ落ち、そのまま2軍に定着してしまうんです。
このシーズンは、チームも苦戦していてリーグ最下位付近をウロウロしており、世代交代のプレッシャーが強まっていました。優勝争いをしているような強いチームだと、リーグ終盤になってベテランの力が必要とされることもあるのですが、弱い場合は戦力の入れ替えが求められるため世代交代が早まるんです。そのため「俺もそろそろかな」と、自分の“引き際”を考えるようになったんですね。