真中流マネジメント

真中満×野球(4)――私を1軍に定着させた“危機意識”と“覚悟”

2016.11.25 公式 真中流マネジメント 第17回

危機を克服し、1軍に定着

主義を曲げての「休日トレーニング」
好転しない事態にも腐らずに耐え続けた

ではどうやってこの危機を乗り越えるか? 考えに考え、行き着いた答えはやはり「バッティング」でした。前回もお話ししましたが、入団して間もなく熾烈なポジション争いに直面した私は、バッティング、とくに“打率”を伸ばすことで自分の価値を高め、厳しい競争を勝ち残りました。今回も多少状況は違えど、「いかにして自分の価値を高め、競争を生き残るか」という点は変わりません。そこで、改めてバッティングを強化することにしたのです。

写真はイメージです(Getty Images)

これも以前にお伝えしたとおり、私は学生時代、練習といえば正規の時間に集中して行なっていました。というのも、限られた時間の中で非常に密度高くトレーニングするため、とても時間外に居残り練習をするだけの体力・気力が残らなかったのです。このスタンスはプロになってからも基本的に変わらず、あくまで正規の時間を中心に練習していました。でも、そのスタンスを変えたんです。試合前やオフの日、つまり“時間外”のトレーニングにより注力することにしたんですね。

しんどかったですよ。今までゆっくり過ごしていた時間帯に、ひたすらバットを振り続けるわけですから(笑)でもやるしかない。そう腹を決めていたので、きつい練習も何とか続けることができたんだと思いますね。

とはいえ、すぐに状況が好転するなんてことはありませんでした。その年は結局1軍に上がれなかったんです。でも腐らなかった。これまでよりずっとずっと練習しているわけですから、いつかその努力が実を結ぶときが来ると信じていたんです。

そして迎えた5年目――この年は、前年に結果を出せなかった自分にとって今後を占う大事な時期。今までのどのシーズンよりも、緊張感と意気込みに溢れていました。

ところがここで不運に見舞われます。1月のキャンプ序盤に、ヘルニアで腰をやられてしまったんですね。1年目のキャンプで骨折した際は、ショックはあったものの悲観的にならずに対処できたのですが、このときばかりは「終わった」と思いました。プロとして最後の1年になるかもしれないという決意でスタートした年の、早々でしたからね。さすがに心が挫けそうになりましたよ。

もちろん、痛みを押してそのままキャンプ参加を継続、という選択肢もありました。体のことを考えれば無謀極まりないものの、ここで離脱してしまったら、それこそシーズンを棒に振ることになる。そうなれば、いよいよプロとしての道がなくなるかもしれない。キャンプ継続か、離脱か。本当に悩みましたね。

でも、結局は治療を選びました。キャンプを離れ、手術を受けることに決めたんです。これが功を奏して、早い時期にキャンプへ復帰することができた。そしてまた、1軍に呼んでもらえるんですね。それからはずっと、1軍に定着することになります。

あのとき手術を決めたのは、我ながらいい判断だったと思いますね。なかなか大胆な決断でした。腰の故障を抱えたままキャンプに残ったほうがいいのではないか……最後の最後まで迷った記憶があります。それでも、最終的には手術に踏み切ることができた。4年目に芽生えた「このままではだめだ」という危機感と、「絶対にプロとして生きていく」という覚悟が、背中を押してくれたのかもしれませんね。

取材協力:高森勇旗

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プロフィール

真中満
真中満

1971年栃木県大田原市出身、宇都宮学園高等学校を経て日本大学卒業後1992年にドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団。
2001年は打率3割を超えリーグ優勝、日本一に貢献。2008年現役を引退。
2015年東京ヤクルトスワローズ監督就任1年目にして2年連続最下位だったチームをセ・リーグ優勝に導く。
2017年シーズン最終戦をもって監督を退任。

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