第16回では、プロ入りして早速“壁”にぶつかったルーキー時代についてお話ししました。それから数年が経ち、私も「中堅」となるわけですが、この中堅時代にプロとして大きな岐路に立たされることになります。今回はそのあたりを中心に振り返ってみましょう。
1年目の9月に1軍昇格を果たした私は、嬉しいことにすぐスタメンとして起用されます。これは私の実力が突出していたからというわけではなく、野村(克)監督が、「2軍から上がってきた選手はすぐ使う」という考えだったのだと思います。その後プロとして経験を積む中で実感するのですが、1軍に上がったのになかなか試合に出られないと、変に緊張するんですね。結果、いざ起用されても思ったような活躍ができない。そういう経験があるので、私も監督として1軍に上がってきた選手はすぐ使うようにしていますね。野村さんもきっとご自身の選手経験から、そのような考えに至ったのだろうと思います。
その野村さんから初試合の日に言われたことが、すごく印象に残っています。試合前の練習のときに「おい、あの長嶋(茂)でも初戦は4三振だったんだから、お前が打てなくてもしょうがない。とにかく目いっぱいやってこい」とおっしゃったんです。この言葉で緊張がほぐれました。そのためか、初出場ながらチームの勝利を決めるタイムリーヒットを打つことができた。あのタイミングで声をかけてくださったことは、今でも感謝していますね。
少し話は逸れますが、野村さんとのやりとりで印象に残っているものがもう1つあります。1997年の西武ライオンズとの日本シリーズです。初戦白星で迎えた2戦目の9回裏、私のポジションに打球が飛んできました。ここで、捕球しそこねるんですね。ボールに触れはしたものの、あと1歩のところで捕りこぼしたんです。これがサヨナラヒットになってチームは2連勝を逃してしまいました。
それでその晩、宿泊先の廊下で監督とすれ違った際に聞かれたんです。「お前、(ボールに)触ったんか?」と。正直に「はい」と答えたところ――「ならしっかり捕れ!」本気でそう怒られました。驚きましたよ。でも怒鳴られたことで吹っ切れたんでしょうね。自分のミスで連勝を逃したために何となく落ち込んでいた気持ちが、上向いたんです。次で挽回してやろうと思いましたね。そして挑んだ第3試合では、いきなりの先制タイムリー。そのまま勢いに乗り、チームも勝利します。2戦目の守備のミスで味わった悔しさを糧に、チームの1勝に貢献することができました。
こうして1年目から1軍でプレーしていたのですが、“スタメン定着”していたわけではありませんでした。1軍から2軍に落ち、また1軍に上がる、というサイクルを繰り返していたんです。
そんな中――プロ4年目あたりでしょうか。あることに気づくんです。それは「レギュラー陣との差がまったく縮まらない」という厳しい現実です。それまで2軍に落ちることはあったものの、それなりに1軍で活躍できていたため、“上位選手との差”をさほど意識してきませんでした。もちろん自分が未熟だという自覚はありましたが、「そのうち何とかなるだろう」と楽観的に考えていたんですね。
ところが4年目に、「このままでは鳴かず飛ばずで終わってしまう」という強烈な危機意識を持ちました。これは本当に重要な気づきでしたね。でも、はっきりしたきっかけがあったわけではないんです。強いて言えば……“家庭を持った”のが大きかったのかもしれません。ちょうどプロ4年目、26歳のときに結婚したのですが、だんだんと責任感のようなものが芽生えてきたんですね。
それであるとき、自問するんです。「今の自分は家族を幸せにできるだろうか?」と。でも「このままじゃできない」と思いました。ここでようやく、「プロとしてやっていくぞ」という覚悟を決めます。この覚悟がなかったら、きっと自分のプロ野球人生はそのまま終わっていたでしょうね。