それでも、どうにかして自分の存在価値を高めなければ活躍の場が得られない……そんな覚悟を持って自分なりに出した結論は、「バッティング」でした。ただ、野村さんにも言われたように、私はホームランバッターにはなれそうもない。だから「打率」を伸ばすことにしたんです。そこには、こういう考えがありました。「監督にとって使いやすい選手になろう」ということです。使いやすいというのは、言ってみればツブシが利くということ。安定したレベルで、打てる、守れる、走れる。そして、故障せずに試合に出続けることができる。そんな選手になれば、たとえ突出したものがなくても、チームに貢献できるのではないかと考えたのです。
もうひとつ意識したのは、「勝ちに飢えた姿勢」。たとえば、走塁時には全力で走る、守備ではファールボールでも100%の力でボールを追う、といったことです。そういった態度はチーム内に伝播しますから、徹底して勝ちにこだわる選手というのは、それだけで一定の価値があると思ったんです。今、自分が監督になってみて、そのことがよくわかりますね。
こうした意識を持って練習に取り組み始めたのですが、道のりは平坦ではありませんでした。ようやくプロとしての日々にも慣れてきた1年目の半ば、キャンプの最中に、骨折してしまったんです。大学時代に負った古傷が癒えておらず、再発したんですね。これですっかり出遅れてしまいました。その上、当時チームは連覇を目指して優勝争いをしていましたから、経験不足のルーキーに出番はありませんでした。
それでも悲観的にならず、じっくりとリハビリに励み、コンディションが回復した9月――ようやくチャンスが巡ってきます。2軍監督から「真中、明日から1軍だ」と言われたんです。緊張しましたね。でも同時に、「やっと出番が回ってきたか」と武者震いしたのも、よく覚えていますよ。
取材協力:高森勇旗