大学野球は、高校野球に比べるともちろんレベルが高かった。だから練習も一生懸命取り組みました。といっても、長時間居残りで練習するというよりは、決められた練習時間ですべてを出し切ることを強く意識していましたね。
たとえば5分間のバッティング練習では、ヘトヘトになるくらいに全力でバットを振る。同じように守備の練習では、どんなボールでも100%の力で走って捕りにいく。常にそういう姿勢で取り組んでいたので、練習が終わる頃には体力を使い果たしてしまうんです。すると居残り練習なんて絶対にできない。
一方でまわりのメンバーは例外なく居残りしていますから、当然「なんだあいつ、一人だけさっさと帰って」となる。それでも私は、正規の練習時間内に力を出し切るという姿勢を貫きましたね。
そんな練習スタイルではあったものの、大学時代に「やばいな、もっと練習しないと勝てないぞ」という危機感を持ったことはありませんでした。高校の3年間で野球に打ち込んだことで、自分でも気づかないうちにそれなりの力を身につけていたのかもしれません。まあ、プロになったときには、逆に「おいおい、何だこのハイレベルな世界は」ってビックリしましたけど(笑)
プレーに関しては、足は相変わらず速かった。盗塁は本当によく決めていましたね。確か亜細亜大との一戦でしたが、1試合で6盗塁を成功させたこともあるんです。これは当時の東都リーグ記録で、今も破られていないと思いますよ。そんなわけで「走ること」、それから「守備」、これに関しては自信を持っていました。バッティングもこなしてはいましたが、自分の武器は何より「足」と「守備」でしたね。
そしてこの頃、野球に対する心境にも大きな変化がありました。大学2年生のときだったかな、当時対戦していた4年生ピッチャーで、専修大学に岡林(洋)さん、亜細亜大学に高津(臣)さんといったメンバーがいました。のちにドラフト上位でプロ野球に入団していく、いわば大学の第一線にいる選手達です。
こういうピッチャーと対戦していく中で、「俺もプロに行けるかも?」と思うようになったんです。もちろん皆さんすごいピッチャーでしたが、それでもまったく歯が立たない、という感じではなかったんですね。実際にプロのスカウトに注目されていた人たちの実力に触れたことで、プロ野球の世界が一気に身近なものになった、という感じでしょうか。
前述の先輩・落合さん(ドラフト1位で中日入り)が、日本代表の大学合宿から帰ってきたとき、「真中のほうがいいかも」と言ってくれたりもしました。そんなこともあり、自分の中で少しずつ「プロの世界が見えてきた」という手応えを実感していました。
これまで話してきたとおり、私はプロ野球選手になりたい、という大志を抱いて野球をしてきたわけではありませんでした。でも、私の人生の傍らにはいつも野球がありましたし、練習も、試合もそれなりに精一杯取り組んできました。結果として、「プロへの道」が思った以上に現実味を帯びていた、そんな感じでしたね。
取材協力:高森勇旗