高校に入学すると、なんといきなりレギュラーとして使ってもらえました。当時、部員の数が減っていて、私を含む1年生の多くが試合に出られたのです。1年のときから3年間ずっとレギュラーでやれたのは、今考えると非常に大きな経験になったと思いますね。それと、軟式から硬式に変わって一気に野球が楽しくなったのも大きかった。硬球は打てば面白いように飛ぶし、軟球のようにバウンドしたボールが予想外の動きをしない。このあたりが、軟式しか知らなかった私には新鮮で、かつ非常にやりやすかったですね。
1年生のときから試合に出て鍛えられていたので、私を含む同級生はみんな着実に力をつけていきました。3年生に上がる頃には、非常に強いチームになっていましたね。当時の野球部同期には、のちにオリックスに入団する高嶋(徹)をはじめ、他校にまで名を知られた選手が3人ほどいました。私もそれなりに活躍していましたが、彼らの力は突出していて、非常に刺激的でしたね。
そのようにメンバーが充実したチームでしたから、3年生春のセンバツ(選抜高校野球)では、ベスト4にまで残りました。しかしながら、私個人としては大満足という心境ではありませんでした。個人的にあまり結果を残せなかったからです。予選では攻守とも調子がよかったのですが、本番でそれを維持することができなかった。このときは本当に悔しかったですね。
その年は夏の甲子園にも出場して、ベスト16に残ります。春・夏ともにチームとしていい結果を出せたことは非常に大きな自信になりましたが、ここでも個人的には満足のいく成績を残せなかった。甲子園に出場する選手の中にはプロ野球入りを真剣に考える人もいましたが、私は自分の力不足を痛感していました。だからやっぱり「プロなんて夢のまた夢」でしたね。
ただ、この時期、初めてプロ野球をスタジアムで観戦する機会に恵まれました。甲子園滞在中に、大阪球場で行われた阪急VS西武の試合を野球部の仲間と観に行ったんです。当時の西武といえば、入団4、5年目くらいの秋山さんや清原さんがいて、まさに黄金期。とにかくすべてが異次元の世界でした。バッティング練習ではどの選手も簡単にスタンドへ打球を放り込むし、ナイターゲームではファンが鳴り物を轟かせて盛大に応援していて、とても華やかな印象を受けました。野球の試合というより、豪華なサーカスを観ているような、そんな感覚でしたね。
その頃は栃木でプロ野球観戦をするチャンスは皆無でしたから、初めて球場で観戦したあの感動は、今でも鮮明に私の中に残っています。大学でもなお野球をしようと思えたのも、このときの体験があったからじゃないかなと思います。
取材協力:高森勇旗