さて、ここで僕と真中監督との出会い、僕がどうしてコーチになったのか、簡単な自己紹介をしたいと思います。僕は大阪の上宮高校から、95年のドラフト会議でヤクルトに入団しました。当時、真中監督はバリバリのレギュラー選手で、僕はまだまだレギュラーにはほど遠い若手選手でした。それでも真中さんは、7歳年下の僕を頻繁に食事に誘ってくれました。一緒に食事をしながら野球の話だけでなく、プライベートも含めていろんな話をしてくださり、とても楽しいひと時でした。
そして、真中さんは08年限りで現役を引退。僕は08年に日本ハムに移籍し、この年限りでユニフォームを脱ぎます。現役引退後、「さて、これからどうしようかな?」と考えていたときに、移籍先の日本ハムから、「ファームの守備コーチをしてくれないか?」という提案をいただきました。現役晩年にはすでに、「できれば将来は指導者になりたい」という思いを持っていましたが、当時の僕はまだ31歳でしたし、現役時代に特筆すべき成績を残したわけでもありません。だから、「自分に務まるのだろうか?」という不安があり、しばらくの間考えました。
それでも、せっかくの機会を無駄にしたくはないと思い、09年から日本ハムのコーチとなったのです。そしてこのとき、真中さんはヤクルトの二軍打撃コーチに就任します。ご承知の通り、ヤクルトと日本ハムの二軍は、ともにイースタンリーグという同一リーグで戦いますので、ここで再び真中さんとの関係が復活しました。
その後、僕は14年からは二軍守備内野走塁コーチとして古巣・ヤクルトに復帰。真中さんと同じユニフォームを着て、指導者として若い選手と泥にまみれる日々が始まりました。そして、15年、真中監督が誕生すると同時に、僕は一軍作戦コーチ兼内野守備走塁コーチとなり、今年からヘッドコーチの重責を担うこととなりました。若い頃から公私にわたってお世話になっていた真中さんの下で野球ができることを、僕はとても幸せに感じています。