志の春氏:でも、そういう逆境を楽しんじゃう力って、挑戦をやめない、続けるうえでとても大切なことだと思うんです。ぼくは逆境どころか、何度も「お前は向いていない、辞めてしまえ」と周りからさんざん言われてきましたが、それでも辞めなかったのは、楽しんでいたからかもしれません。26歳という遅い入門で、すぐに何かができる訳はない。兄弟子たちのように来る日も来る日も、修行してはじめて掴めるもんだ。悩むに値しないと。
そうして楽観して考えていると、稽古中にも「よし奥義を見つけたぞ!」という勘違いも生まれる(笑)。もう5000くらい奥義を発見したんじゃないかな(笑)。もちろんすぐに師匠から跳ね返されて、今残ってるものは一つもないから、奥義でも何でもなかったんですけどね(笑)。でもそういう勘違いが、前に進もうとするエネルギーになっていたのは確かです。
大來氏:だからやめなかった。
志の春氏:あ、でもクビになったことはあります。「もうお前の顔なんか見たくもない」って言われて(笑)。それでそのクビになった日に、よく出前の使いにいっていた中華そば屋さんに行ったんです。はじめて表の入り口から入って、師匠が好きな「もやしそば」を注文しましてね。そしたらお店を出る間際にお店の大将から「頑張って!」って言われたんです。それでもう一度やろうって。
それで師匠に詫びをいれて、また修行の日々を続けることができたのですが、しばらくして久しぶりにその中華そばのお店にいったんです。そしたら、その大将、次回の合コンの作戦を練っているような大学生のお客に、帰り際こう言っていたんです。「頑張って!」って。ぼくが言われたときと同じ調子で。
大來氏:志の春さんだけじゃなかった(笑)。
志の春氏:実は店を出るお客さん全員に言っていたらしく、自分はいつも使いで裏口から出入りしていたから知らなかったんです(笑)。でもね、落語にしても、同じじゃないかと。来てくださるお客さんの中には、はじめての人もいるかもしれないし、常連さんもいる。ぼくたちが大勢を前にして話すときも、一緒なんじゃないかと。大将の「頑張って!」も、誰かひとりのためじゃなかったとしても、もしかしたらそれがぼくの感じた「頑張れ」になるかもしれない。
大來氏:私たちの役割に通じるものがありますね。
志の春氏:どういう風に感じてくれるか。仏教にしても落語にしても、その「余地」はまだまだたくさんあると思っています。
大來氏:そうですね。AIなど、近代テクノロジーが発達する中で、むしろ人間が果たす役割はますます重要になって、ますますはっきりしていくと思うんです。それは従来のようにお寺だけの説法ではなく、どこか別の外の場所だったり……。
テクノロジーということで言えば、メールやチャットなどの通信システムの発達もそうですが、技術が進化すればするほど、アナログの部分が大切になってくる。届けるべき余地、可能性が増えてくると思うんです。そうした余地を埋めていくために、ますます外に出て行かなくてはなりませんし、さまざまなアプローチを試して、想いを届ける挑戦はしていかなければと思います。
志の春氏:とにかく、前に一歩進むことが大事。これはぼくたちに限らずすべてのお仕事に言えるのかもしれません。誰かに「君はアクセルを踏む力は強いけど、ブレーキ力が極めて弱いよね」と言われたことがあります。でも、間違ったと思ったら方向修正して、またアクセルを踏めばいい。毎日が一進一退です。
大來氏:仏様も、挑戦して間違った人を見捨てませんし。
志の春氏:落語って、世界のスタンドアップコメディなんかと比べても、客層を選ばない、誰でも楽しめる珍しいものだそうです。海外でよく見られるブラックで痛烈な風刺というよりは、常に「おかげさま」のような日本語特有の優しさや、人間の弱さを認めて笑いにする「おかしさ」が含まれている。そういう「優しい後押し」を担うのが、仏教や落語なのかもしれませんね。
大來氏:そうした可能性を持つ落語と仏教、ぜひ“習合”させて新たな道を拓いていきましょう。