松下氏:高校3 年生になり、そろそろ受験ということで、自分は日芸(日本大学芸術学部)の演劇学科を目指していました。目指していたといっても、TBSラジオのパーソナリティだった爆笑問題さんの出身校ということに憧れていただけで、ほとんど勉強はしていませんでした。案の定、受験に失敗してしまい、一年間浪人することになったのですが、この間に今に繋がる経験を積むことができたんです。
当時、横浜の予備校に通いながら、その間アルバイトとしてやっていたのが、横浜スタジアムでのコーヒーの売り子でした。野球の試合では、ビールと違って、コーヒーなんて普通に売っていても、20~30人程度しか買ってくれません。完全歩合制で、とにかく効率的に稼ぎたかった自分は、ここでもどうすればよいか「傾向と対策」を考えました。ただ売れるのを待つだけでなく、自ら売りにいくにはどうすればいいか。そうして考えた結果生まれたのが「観客と一緒に応援すること」でした。
――どうやって、「一緒に応援した」のでしょう。
松下氏:イニングの合間に、観客に向かって「ぼくはコーヒーを売っていますが、なかなか売れません。ぼくも大好きなベイスターズを皆さんと一生懸命応援するので、次に点を取ったらぼくからコーヒーを買ってください」と言うわけです。で、買ってくれた人におまけとして一緒に配ったのが、自分で作った「選手たちの応援歌の歌詞カード」でした。
ネットで簡単に検索でき、スマホですぐに見ることのできる今とは違い、その自作の歌詞カードは観客の間で重宝され、結果コーヒーも飛ぶように売れました。「俺はベイスターズが大好きだ」と叫んだり、たまに巨人側で同じようなことをやったり……(笑)。この時が、モノを売ることで自己の存在感を満たすことのできた最初の出来事だったと思います。そしてこの経験が、後に立たされる窮地からぼくを救ってくれることにもなったんです。
――「傾向と対策」で自らの道を拓いていきます。
松下氏:大学入試もまさに「傾向と対策」で、赤本から自分の学習スタイルに合う形で、合格できるところを絞って勉強していました。結果的に、第一志望よりも偏差値の高い大学に進むことができたのですが、そうしてうまくいっていたのも、この大学受験まででした。
新たな希望を抱えて進学したものの、大学の4年間は「とにかく何かをやりたいけれど、その何かがわからない」と、エネルギーを持て余しているうだつの上がらない学生だったんです。ただ、スタジアムの売り子仕事での成功体験から「思ったことはなんでもやってみよう」と思っていたので、コピーライターの養成講座に通ったり、サッカー雑誌の編集プロダクションでアルバイトをしたりと、それなりに未来に繋がるであろう行動はしていたつもりでした。
ただ、そうした行動とは裏腹に、この時ばかりは、いくら傾向と対策を練っても将来の扉はまったく開いてくれなかったんです。就職活動では、憧れていたテレビの世界で働くため、あらゆる制作会社を受けたのですが、結果はすべてダメ。不採用通知を受け取るたびに、「人気者で面白かったはずの自分」の自信が崩れていきましたね。
――今までのやり方が通用しない。
松下氏:実は、この編集プロダクション時代に、ぼくは雑誌づくりのためにサッカーの監督に取材をするインタビュアーをやっていた時期があるんです。でも「こういう風に記事を作りたい」といった自分の我だけを通す、相手の存在を無視した最悪のインタビュアーでした(笑)。当然、仕事はうまくいきません。ただ、この仕事をさせてもらったことで、自分が本当にやりたいことを真剣に探すきっかけにもなりました。
そして自分のやりたいことは何なのか迷っている頃に、偶然、実演販売という世界を知ったんです。まずはどんなものなのか秋葉原へ直接見に行ったのですが、そこでは、おじさんの流れるような口上で、お客さんが一人、また一人と商品を手にして買っていく光景を目の当たりにしました。小さなステージを舞台にした一種のエンターテインメントを見るかのようで、その時、浪人生時代にやっていた、あのスタジアムでの売り子の記憶が蘇ってきたんです。実演販売の一連の流れを見終わった後、ぼくは「自分が活躍できるのはここしかない」と確信したんです。