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長崎県の海辺の村に昭和50年代に生まれ、物心ついた時には周りと違うと感じていた。
とにかく、貧しくまともな食事は学校で食べる給食のみ、だけど給食費を払ってないから、当時の学校の教師はプライバシーなどなくみんなの前で「忘れたの」など平気で言ってきた。
子供ながらに恥ずかしく学校も休むことがたびたびあり、クラスメイトにはあまり馴染んでなかったと思う。
父は炭鉱で従事していたから、そこそこの稼ぎはあったはずだが、アルコールの問題とギャンブルで使い果たしてしまい、給料直後でもおかずがなく米に味噌を塗って食べていたことが、多々あった。
ここまで見てもらってもピンとこない人はいるだろう。
炭鉱は当時、大学の新卒の給料よりも遥かに稼げていたと記憶している。
もちろんベースアップもあった。
これは国策として国がバックアップしていたからだ、しかし、当然何かしらの事情で逃げてくる人も多く治安としてはあまり良くなかったと記憶している
文字数 383
最終更新日 2021.11.06
登録日 2021.11.06
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