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2巻
2-1
しおりを挟む頭の上にいる子狐をおとなしくさせ、王都に向かって歩き始めたシン。
「肉球パンチは爪をしまってすること」と何度も言い聞かせ、ようやく落ち着いたところだった。それまでは顔に爪が当たり、あっちにフラフラ、こっちにフラフラしていたのだ。
孤児院の少女ミリーの言葉に従った結果、シンは大量のスカルフェイスと戦うことになった。戦場となった森の中の神社で、この子狐――エレメントテイルを助け出したのである。
戦闘が終わった森は生き物の気配で満ちていて、物音1つしなかった往路が嘘のようだ。
もしかするとシンが神社に向かっているとき、すでにスカルフェイスの群れが近づいており、動物たちは息を潜めていたのかもしれない。
ただあの群れは、自然発生したと考えるにはさすがに数が多すぎた。
あれほどの数がポップ(出現)するのは、それこそアンデッドの出現地帯として知られる墓や地下ダンジョン、瘴気が渦巻く危険エリアくらいだろう。
これはギルドに報告しないとまずいよなあ、とシンはため息をついた。とりあえずエレメントテイルのことだけは隠しておくか……と考えながら、頭上で呑気に脱力している子狐に声をかける。
「なあ、ものは相談なんだが」
「クゥ?」
子狐から疑問符付きの鳴き声が返ってくる。さっきまでのやり取りで、子狐が自分の言っていることを理解しているのはすでにわかっていた。
「お前の正体がばれるとまずいから、俺と契約しないか?」
この場合の契約とは、調教師とモンスターが行うパートナー契約――テイミングのことだ。
無数の召喚獣と制限なく契約できる召喚士と異なり、調教師は1人につき、5体までしかパートナー契約ができない。ただし調教師の職業を1度でも経験していれば、他の職業になっても契約が可能となるのだ。
その場合は1体としか契約できないが、ペット感覚やちょっとしたサポート要員としてなら十分だと考えられていた。今回のケースもしかり。
シンにはサポートキャラクターが多くいたので、これまでパートナーモンスターを必要として来なかった。ただ、ギルド【六天】の調教師兼召喚士だったカシミアに勧められ、半ば強引に契約だけはできるようになっていた――と言うよりさせられていた。まさかこんなところで役に立つとは、思ってもみなかったシンである。
「俺は調教師じゃないからボーナス補正はないが……他の奴らにお前のレベルや種族がばれることはなくなるし、アイテムなしで意思疎通もできるようになるぞ」
【THE NEW GATE】では、レベルやステータスに差がありすぎる場合、数値の低いプレイヤーから高い相手のステータスは見えない。ステータスが見えるか見えないかで、相手の強さを判断することもあった。
そしてパートナーモンスターのステータスを知るためには、その主であるプレイヤーのステータスも見えなければならない。つまり、この世界で圧倒的な強さを誇るシンと契約すれば、子狐のステータスを見れる相手はほとんどいなくなる、という訳だ。
ちなみに意思疎通は主従同士でのみ可能となる。
端から見れば無言のようでも、その実細やかな指示を与えながらパートナーモンスターと共に戦う。これがパートナーモンスターを連れた調教師の戦い方なのだ。
「クゥッ!? ククッ!」
「ほんと!? やるやる!」とでも言うように、またもや肉球パンチを繰り出す子狐。いつの間にかシンも、契約など関係なく子狐の言っていることがなんとなくわかるようになっていた。
「わかった! わかったからちょっと動くな!」
頭上の子狐を抱えて自分のほうを向かせると、額を合わせてキーワードを唱える。
「我、汝とともに歩むことを願う」
「クー……」
子狐がシンの言葉に応えるように鳴く。もしこれが言葉を話すモンスターなら「我、汝の傍らにあることを誓う」と応じていただろう。
鳴き声がやむと、それぞれの左腕、左前足に隼をかたどった刺青が浮かび上がる。
これはプレイヤーが設定できる契約の印で、普通のモンスターとパートナーモンスターを区別するためのものだ。
プレイヤーによって育てられたパートナーモンスターは、基本的に普通のモンスターより強い。そのことをよく知らない初心者プレイヤーが、間違ってパートナーモンスターに攻撃して返り討ちに遭う、なんてこともあった。
「んじゃ、あらためてよろしくな」
「クゥッ!!」
「よろしく!!」とでも言うように、右足をピョコッと立てて鳴く子狐。何とも微笑ましい光景である。
「さて、契約したら最初にすることがある」
「ク?」
「お前の名前を決めるんだよ。エレメントテイルは種族名だからな。パートナーになったら、ちゃんとそいつだけの名前を考えるのは当然だろ?」
「クゥ!? クークー!!」
「それでだな……って落ち着けい! 頭が揺れるわ!!」
「ほんと!? どんなの!!」と急かしてくる子狐をなだめながら、シンは頭に浮かんだ名前を告げる。
「ユズハ、っていうのはどうだ?」
「クククゥ……」
小さく鳴いた子狐は、ユズハという名を反芻するようにしばし黙り込む。そして、気に入ったと言わんばかりに、「クゥ!」と一際高く鳴き声を上げた。
ゲームでクエストを受ける際のエレメントテイルは、九尾の狐の伝承を基にしているのか、女性の姿でプレイヤーの前に現れていたので、なんとなく女性よりの名前が思い浮かんだのだ。
「まあ、実のところ性別なんてないわけだが」
モンスターであるエレメントテイルに雌雄の縛りはなく、男にも女にもなれたりする。
プレイヤーの前に現れるときは女性の姿を取るのが通例ではあったが、極稀に男の姿で現れると攻略サイトに載っていたのを記憶している。ただ、実際に見たことはない。
「クゥ?」
「なんでもない。もし男モードになったらユズトとかでいいだろ」
小説や漫画、アニメでは、動物を抱いて寝たら次の日に全裸の美女になっていたなどという話がよくある。この世界でもゲームと同じように、エレメントテイルが人型になれるかどうかはわからないが、どうせなら女性の姿になって欲しい。
もふもふを堪能しながら眠るのを楽しみにしているシンとしては、目覚めたら男と抱き合っていたなどという事態だけは、断固お断りだった。
(俺のLUCは低い。きっと人型になることもないだろう)
「クゥ?」
「変な幸運はないはず……」とブツブツ言っているシンに、首をかしげる子狐あらため、ユズハ。
何やら一部挙動不審な主に一抹の不安を覚えつつも、まあいっかと考えるのを止めたようだ。
いくらエレメントテイルといえど、その身はまだ子狐。
難しいことを考えるのは得意ではないらしい。相変わらず、シンの額を爪をしまった前足で軽くポフポフと叩いてくる。
それに反応して「どうしたー?」と声をかけるシン。長い間、1匹で毒や呪いに耐えてきたユズハには、そんな些細なやり取りがただただ嬉しかったのかもしれない。
†
「ん?」
もうじき北の森から出るというタイミングで、シンの耳元でポーンッ! という聞きなれた電子音が鳴った。レベルアップやメールの着信、イベントのアナウンス時など、ゲームではよく聞いた音だ。
ユズハが反応していないところを見ると、聞こえているのはシンだけらしい。
「メッセージ着信。ティエラからか」
シンの視界の端に『メッセージが届いています』という半透明の文字が浮かび上がった。
明らかに非現実的なゲーム特有の現象は、すでに数日この世界で過ごしたシンにも、まだゲームの中にいるのではないかという錯覚をもたらす。
「中途半端にシステムが生きてるせいで違和感がありすぎる」
今まではVR(ヴァーチャルリアリティ)とはいえ、明らかにゲーム画面だったから違和感を抱かなかった。しかし現実でそれが起こるとしっくりしない。
ゲームと現実が混じるとこんな感じなのか? とシンは顔をしかめたが、便利であることは確かだ。慣れるしかないとため息を1つついて、メッセージを開く。
『シンへ
私が試したら師匠にメッセージが送れました。
師匠がメッセージカードを持ってるかどうかはわからないけど、返事が来たらまた連絡します。
追伸
メッセージカードにアイテムをつけて送る、とかできないの?』
この世界でシュニーと知り合いのティエラは、問題なくメッセージカードを送れたらしい。
シンは自分がシュニーに送信できなかったので、ティエラとシュニーがやり取りできる可能性をまったく考えなかった。
「まあ連絡が取れたんだし、よしとしよう」
結果オーライということで自分を納得させ、返信ついでに未使用のメッセージカードを添付してみる。
メッセージカードは光の粒になって返信の便箋の中に吸い込まれた。軽いアイテムしか添付できなさそうだが、十分便利である。
「……この世界だとこうなるのか。ゲームでは添付なんてできなかったのにな」
ゲームと現実では同じようにならない――これは他のアイテムの検証も必要だな、と脳内メモに書きたす。ゲームよりも融通が利く分予想外のことも起きそうだ。
アイテムボックス内のアイテムの数を考えると、検証にかなりの手間がかかるのは間違いない。そう考えたシンは軽い頭痛を覚えた。
「シュニーが何か言ってきたら連絡よろしくっと」
アイテム添付の方法も含めてメッセージを返信し、また歩き始める。目指すは王都の東門だ。
ユズハのことは伏せておくにしても、3桁近いスカルフェイスの軍勢に襲われた事実を報告しないわけにはいくまいと、まずはギルドに向かうことにした。
「よお、シン。今度はまた妙なのを乗っけてるな」
東門で声をかけてきたのはベイド。連日顔を合わせているせいか、もう初めて会ったときのような堅苦しさはない。
「相棒になったユズハだ。確認しときたいんだが、パートナーモンスターを連れていると、何か制限とかあるのか?」
いくら調教師に連れられているとはいえ、モンスターをそのまま街中に入れるのは難しいだろうとシンは予想していたのだ。
「攻撃的なモンスターや図体のでかいモンスターならいろいろと制限もあるが、そのちっこいのなら大した問題はないだろ。一応こっちで用意する書類に必要事項を記入してもらう。あとはお前の連れだってことを証明するために、契約印を記録して終了だ」
「意外と緩いんだな」
もっと厳重だと思っていたので、少々拍子抜けした。
「もちろん、暴れたら危険そうな奴にはもっと厳重だ。もしパートナーモンスターが問題を起こしたら、その全責任は調教師が取らなきゃならん。場所によっちゃあワザとパートナーモンスターに手を出して、調教師に代金を請求するような奴もいるから気をつけろよ」
「ああ。やっぱりいるか、そういう奴」
「困ったことにな。ただ下手に調教師の能力を制限しちまうと、今度はパートナーモンスターが狙われちまう。その辺は調整が難しい」
「緩いかと思ったけど、しっかり考えてるんだな」
珍しいモンスターを捕まえて売り飛ばそうとする輩もいるから、というベイドの言葉にシンは納得する。
一応、力業で捕まえようとしてきた場合には反撃も許可されているらしい。もっともその後の処理が非常に面倒らしく、「やるなら見つからないところで徹底的にやれ」とベイドは言った。
それでいいのか衛兵……と思わないでもないが、パートナーモンスターとわかっていて手を出すのは、ほとんどがモンスター売買組織の構成員かそれに類する犯罪者なので、容赦はいらんとのことだった。
シンからすれば、ユズハに手を出されて黙っているつもりはないし、ユズハのレベルも常人と比べればかなり高い。無用心に手を出せば地獄を見るのは相手のほうだろう。
「名前はユズハで、種族は妖狐。あとは……」
ベイドが持ってきた書類に必要事項を書き込んでいく。
妖孤というのは狐系モンスターが属する種族で、ゲームではペットにするプレイヤーも多かった。
エレメントテイルは最上級ボスのため、妖狐族でありながら同時に「エレメントテイル」という1つの種族として分類されている。ハイヒューマンやハイエルフのような上位種といってもいい。
なのでシンが書類に書いた種族はまったくのデタラメというわけではない。真実でもないが。
「……よし、記入終わり。確認してくれ」
「……ふむ。とくに問題ないな。では最後に契約印の登録だ。これに契約印を当ててくれ」
書類の不備がないか確認したベイドはそれを別の衛兵に手渡すと、野球ボールほどの大きさをした紫色の球体を差し出した。
シンとユズハはそれぞれ左腕と左足を球体に触れさせる。すると球体がわずかに光り、その内部に契約印と同じ隼の模様が浮かび上がった。
「これで登録終了だ。あと、不幸にもパートナーモンスターが死んじまったり攫われたりしたときには、登録解消の手続きがある。一応覚えといてくれ」
「わかった。そうならないことを祈る」
内容が内容だけに、少々事務的になったベイドの言葉にうなずいて門を後にする。
頭の上にユズハを乗せているせいか、すれ違う人がちらちらとこちらを見てくるが気にしない。こうなるだろうなとはシンも予測していたのだ。
小さい子どもなどは、「きつねさんだー」とシンを指差しては、親から注意されている。
わざわざ頭上に乗せておく必要もないのだが、人通りが多いところで地面を歩かせるのは少しばかり危ないとシンは判断していた。危ないのは当然ぶつかったほうである。
周りからの視線に耐え、冒険者ギルドの看板をくぐる。
ここでも例外なくシン、というより頭上のユズハに視線が集まった。
受付には瓜二つの容姿をした受付嬢がいた。セリカとシリカの双子姉妹である。
「すいません。ちょっと報告しておきたいことがあるんですけど」
「承ります」
同時に返事をする2人。タイミングはピタリと一致している。
どちらもユズハにちらっと視線を向けるものの、好奇心というよりはただの確認という感じだった。さすがである。
「えっと、どっちに話せば?」
「私がう――」
「あたしが承ります!」
姉のセリカが答えるのをさえぎるように、妹のシリカが口を挟んだ。
しっかり者の姉とお調子者の妹――シンはとっさに髪型で判断したのだが、どうやら間違ってはいなかったらしい。
「……シリカ」
「なに?」
「シン様は私の前にいらっしゃるのだから、私が承ります」
対するセリカの目はどことなく据わっている。
「えー、あたしでもいいじゃない」
「ダメです。私です」
「なんかいつもと雰囲気違うなぁ」
「なにか?」
「はいはい、わかりました。あたしはおとなしくしてます」
結局セリカに軍配が上がったようだ。シンからすれば、どちらにしろ話すことは同じなのだが。
「……あー、報告しても?」
「はい、お騒がせして申し訳ありません。ご報告をどうぞ」
「今日北の森の中心部付近で、大量のスカルフェイスに遭遇しました。確認できる範囲にいたのはすべて倒したんですけど、はぐれた個体が残っていないとも限らないので、念のため」
「大量……と言いますと?」
「正確な数は数えてないのでわかりませんけど、100体近かったと思います」
「なっ……」
100体近くのスカルフェイス――。
先日のジャック級討伐の件もあり、「倒した」という発言には反応の薄かったセリカだが、その数の多さには驚きを隠せなかった。
「まさかとは思いますが、先日と同じく強力な個体が?」
「いえ、今回遭遇したのは一般に知られているレベルや装備の範疇を超えてはいませんでした。クラスはジャック級とポーン級の混成で、とある建物を包囲するように動いていました」
「建物、ですか?」
「はい。神社……神様を祭るための施設なんですけど」
神社という単語が通じるかわからなかったので、大雑把に説明する。
「神社……ヒノモト国にそういうものがあると聞いたことがありますが、北の森にあるとは知りませんでした」
生き物を寄せつけない結界が張ってあったせいだろう。加えてそれが局所的なものだったので、気づきにくかったとも考えられる。
「俺も気になって近づいたら急に何かが割れる音がして、それと同時にスカルフェイスが押し寄せてきたんです。たぶん、結界か何かが張ってあったんだと思います」
「そこで何か発見しましたか?」
「建物内部には物がほとんどなかったんですが、魔術陣のようなものが描かれていました。特徴的なのはそれくらいだと思います」
ユズハのことは隠して、他に気になったところを挙げておく。
「ご報告ありがとうございます。先日のジャック級の件も含めて、こちらでも調査しておきます。他に何か気づいたことがありましたら、また連絡してください。実際に立ち会ったシン様でなければわからないこともあるかもしれませんし」
「わかりました。何か思い出したらまた来ます。っとそうそう、ヒルク草の採取が終わったんですけど、それはどこに持っていけばいいんですか?」
アイテムカードから実体化しておいたヒルク草の束を見せながらシンが尋ねると、セリカは掲示板の横にある扉を指し示した。
「それでしたら、あちらの部屋の素材専用カウンターにお願いします」
シンは礼を言ってから受付を離れ、その扉をくぐる。
中は個別に区切られたカウンターが5つ並び、それぞれ担当の人間が待機していた。その1つに歩み寄ったシンは、カウンターの上にヒルク草を置く。
「採取依頼の品です。確認をお願いします」
「承ります。少々お待ちください」
ちなみに担当者は全員女性である。出入り口である扉の横には警備と思しき男性もいるが、素材の扱いについては完全に女性陣の仕事のようだ。
目の前の女性もシンの頭上に陣取るユズハに視線を向けることすらせず、黙々と自分の仕事をこなしていく。その姿はまさにプロと言えるだろう。
「お待たせしました。申し訳ありませんが、まだ依頼達成とは認められません」
「えっ!?」
森からの帰り道に最後の1本を見つけ、やっと初の依頼完了だと達成感を覚えていたシンに、女性は無情な言葉を投げかけた。
「29本は確かにヒルク草ですが、1本違うものが交ざっています」
「マ、マジですか……」
そんな……と肩を落としたシンは、その後に告げられた言葉でさらに驚くことになる。
「ただ、交ざっていた1本は珠玉草といいまして。これだけでジュール白金貨1枚になります」
「白金貨!?」
シンは思わず「たかっ!」と叫んでしまった。30本でジュール銀貨1枚のヒルク草を探していたら、ジュール白金貨相当の素材を手に入れていたらしい。
実のところ、最後の1本を見つけてきたのはユズハで、シンもぱっと見ただけで特に鑑定していなかった。イベントやクエストの報酬なら別だが、フィールドで採取したアイテムなどは、鑑定しないと詳しく情報が表示されないのだ。
「いやしかし、珠玉草っていったらせいぜい4級回復薬の材料にしかならないような……」
少し落ち着き、冷静に考えてそんなに高価なものじゃないよなと思い直すシン。そんな態度に、担当の女性は戸惑いながら問いかける。
「……あの、せいぜいどころか、十分すごいものだと思いますが?」
回復薬についてはランクが1級から10級まであり、スキルとは逆に数字の小さいほうが効果が高い。4級といえば、やっと部位欠損の回復効果が追加されるランクだ。
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