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9巻
9-2
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「つまるところ、勇者がどれだけの力を持っているか、そこが勝負の分かれ目です。もっとも、魔族もそれを見越した上で短期決戦を狙って仕掛けているでしょうから、何かしら特異点になるものがなければ魔族の思惑通りに事が進むと思います」
「特異点……ロッツガルドの僕らみたいな? 何か良い手はあるかなあ?」
「はい。我々が向かうのはまずいかもしれませんが、たとえば存在を知られていない翼人やゴルゴン、それにアルケーを送って援護する手であれば使えるかと」
「それは絶対駄目。僕達のうち誰も行かない戦場に、亜空の種族だけを行かせて戦わせるなんて。だいたい翼人なんて空を飛ぶんだよ? いい的にしかならないじゃないか」
亜空に住む人だけを使うという提案を全力で拒絶すると、識が割と本気な目で訴えてきた。
「……若様。翼人は相当強い種族ですよ。上手くすれば彼らだけで国を落とせるほどに。彼らと若様の相性が絶望的に悪いだけなのです。それにゴルゴンとて、戦場に放てば極めて短時間のうちに戦闘を終わらせられるほどの凶悪な能力を持っています。最悪、後で任意の者の石化だけ解いてやれば問題はありません。即死をさせない石化という、極めて特殊な能力の使い手なのですから」
翼人、本当に強いか? 僕の攻撃から逃げようと雲の上に隠れるほどひ弱なのに。
ゴルゴンだって、なんらかの手段で石化を無効化されてしまったら、硬質化した髪を動かす能力だけで戦わなくちゃならない。彼らだけを戦場に送り出すなんて心配だ。
「うーん……。識がそう言うなら、考えてみるけど。でも今回の侵攻は魔族も結構本気なんでしょ? 勇者だって彼らを魔物だと思って攻撃してくる可能性もある。それはちょっと嫌だよ」
「む……そう仰るなら仕方がありません。成功率が高く、こちらへのデメリットも少ない妙手かと思ったのですが」
「しかし困った。勇者を見捨てたくはないんだけど、正面切って向こうにも行けない。……ところでさ、識。王国の話ばっかりしていたけど、帝国はどうなの? 帝国が本当の囮だというなら、そんなに心配いらない?」
そう、勇者は二人いるんだ。
「そこは私も確証が持てません。幾つか気になっている点はあるのですが……」
「話してくれる?」
「王国と帝国への二面攻撃をするには、ステラ砦に配備されている魔族の戦力では流石に少ないのです。しかも帝国側を攻める戦力はわざわざ分散させています。そこから帝都を落とそうという意図は感じられません。ですが、帝国の勇者には飛竜という高機動力があります。もし勇者が帝国側は完全に囮だと判断したら、すぐに王国の援護に向かうでしょう。すると、リミアを攻撃している魔族は帝国の勇者と王国の勇者に挟撃される形になります。帝国の勇者は一度に多勢を相手にするのが得意のようですから、その力は無視出来ません。さらに戦闘が長引けば、ステラ砦攻撃のために集結していた部隊までもが戻ってきて、劣勢どころか全滅しかねません。これでは意味がない」
「うん」
「よって、魔族が帝国側の戦力を分散させた意図が何かあるはずなのですが、それがよく分かりません。私が気がかりなのは、若様が以前話された〝竜殺し〟の事です。分散の意図は読めませんが、もし彼女が帝国に向かった部隊に紛れていて、帝国の勇者を確実に足止めするのなら、リミアの作戦への補強にはなります。しかし、竜殺しは未だ魔族についた事を世にあまり知られていない状況。このような戦いで勇者と戦えば、間違いなく世界中に裏切りを知られます。果たしてあの者がそれを良しとするのかどうか……」
「竜殺し……ソフィアか~。あいつの事はさっぱり分からないからなあ。会ったのも一度きりだし、何考えているかなんて尚更だよ」
上位竜を連れているという一点では僕と共通しているソフィア。
でもその思考はまるで読めない。
「ロナがどちらに現れるかにもよりますな。もしも帝国なら、部隊の分散は帝国の手札を見るための捨て石とも考えられますが、なんとも……」
識は頭を捻って、再び思考の海に沈んでいった。
とにかく、王国も帝国もかなりまずい状況ではあるみたいだ。話を聞く限りリミアの方がやばい感じだし、何か手を打つべきかとも思う。やっぱ同郷の人だし、放ってはおけない。
ロッツガルドで僕らが動いている間に世界がこんな事になっていたなんて。
この一件、思ってたより大きな事になりそうだ。
◇◆◇◆◇
ロッツガルド学園の一画にある塔。
そこに、冒険者ギルドマスターにして上位竜であるルトが一人佇んでいた。
「真君が打った無自覚な奇跡の一手。あのタイミングでの念話の復旧。魔族による勇者殺害と時間稼ぎを目的とする作戦はほぼ完璧に作用すると思ったけど、これは少し荒れそうだね」
彼は塔の上から門付近にいる真と識を見る。
普通ならこの距離から真達を特定する事は出来ない。相当な視力だ。
目の良い者でも、豆粒のような人影を見つける事が出来る程度。夜ともなれば尚更だ。
「あの一手で、彼は魔族との関係性を否定する切っ掛けを作った事になる。さらにクズノハ商会の力を大国に見せて、脅威を感じさせる事も出来た。ロッツガルドで皆に親しまれ、愛される商会となる以上の、ジャックポットみたいな大きな利点を得たわけだけど……」
彼らが動くタイミングがもっと早ければ、あるいは遅ければ。
臨時講師ライドウもクズノハ商会も、魔族との結びつきを否定するのが難しくなる状況も有り得た。
巴の立ち回り次第ではあるが、彼女が元々設定していた時期を、ルトは少し遅いと思っていた。
そこにきて真が引き当てたタイミングは、良い時期の中でもさらにピンポイントで良い。
長い時間を生きるルトでさえ、思わず驚きの言葉を口にした。
何せ、自ら提案したのではなく、権力者から強引に頼まれての事。これならば真には目論見や意思などはないと、多くの人が思うだろう。自分で狙えるものではないからだ。
〝そういう〟星の下に生まれていなければ出来ない事。ルトとて笑うしかない。
もっとも、堪えきれぬ笑みをこぼす彼には、別の思いも混じっていたが。
「何しろ、真君だからなあ。こうやって時折大当たりを引く星の下にいても、あれだけ色々やらかすんだ。今回だってジョーカーも一緒に引いてるんじゃないかって、つい疑ってしまうね」
そう。根拠はないが、真はツイていない。
ルトはそれをよく知っている。だからこそ、真がただ望外の結果を得るだけなどとは、彼にはとても思えなかった。
意図せず上位竜と戦う羽目になり、ピンポイントに災害の蜘蛛と遭遇する。出会った人の言葉が分からず、普通の容姿なのに蔑まれる。あっちに行ってもこっちに行っても、彼は何かに巻き込まれてきた。まさしく〝そういう運命〟であるかのように。
「しかもその全てを乗り超え、時にプラスに変えてここまできている。今回は、何をしてくれるんだろうね、君は――ッ!!」
突如、ルトは楽しそうに真を見つめていた目を見開き、上空の何もない星空に向けた。
真が見たら驚いたであろう、ルトの焦りと驚きに満ちた表情。
「馬鹿な! 今動けるはずが!? 無茶をするね、貴女も!!」
その言葉の直後――雲の切れ間から陽光が差し込むように、夜空から金色の光が降る。
ロッツガルドの街の一画が、見る者を無意識に荘厳な気持ちにさせる神々しい光で溢れた。
◇◆◇◆◇
「若様! 虫です!!」
識の切羽詰まった声。
その言葉は合図だ。
僕が以前〝あいつ〟に拉致された時に、皆で対策を立てたうちの一つ。女神の干渉を示す合図。
識の言葉のすぐ後、僕ら目がけて夜空から金色の光が伸びてきた。
たなびく光のカーテンを、縦に細く裂いたような光だ。
人々の目には綺麗にも厳かにも映るかもしれない。でも僕にとっては胸糞悪くなるだけの光。
間違いなく、あいつだ。
僕は識の合図を聞いた直後から、反射的に詠唱を組み上げていた。
拉致対策――流石にこの状況で使う事になるとは考えていなかったけど。
術のイメージと仕組みは単純。
嵐に対して船がそうするように、僕はアンカーを下ろして強制的な転移に耐える。それだけだ。
咄嗟に駆け寄ってきた識ともども、光が僕らを呑み込む。
空を見上げた時に感じたが、結構範囲が広い。光のカーテンは学園の正門とその奥に広がる庭園の一部まで包み込んでいる。
やがて僕らを認識したのか、光のスポットが狭まってきて、同時に引き上げられるような力を感じた。
引っ張る力を感じる、それはつまり僕があいつの力に抗えているという事だ。
女神の力に抵抗出来ているという事実に、少し嬉しくなる。以前より明らかに前進していると実感出来たから。
「す、凄まじい力です。若様、大丈夫ですか!?」
「まだ問題ない。ちっ、さっさと諦めて消えればいいものを。……く、長いな!」
今はまだ上手い事耐えられているが、思ったより干渉時間が長い。
抵抗はまだ可能だけど、このまま長引けば徐々に僕の作ったアンカーが削られて、いずれ連れて行かれるだろう。我慢比べというやつだ。
同時に攻撃も仕掛けてやろうかと思ったけど、あいつが〝どこ〟にいるのか位置が掴めないからやりようがない。
「……若様、問題が」
識が苦渋に顔を歪めながら訴えてきた。
「何!?」
「このままではヒューマンの注目を集めかねません。この光を見た者の幾人かは女神の光だと気付くでしょう。それに抗っている我らの姿を見られるのは……」
げっ!
ここは学園の正門。事件で人気が少ないと言っても、人の目がないわけじゃない。
これは……まずい。
「うぐっ」
僕らの動揺に呼応するかのように、転移にかけられる力が強まる。
あの虫、嫌がらせの天才かよ!! タイミングが神がかってる!
「若様、これではここ数日間の行動が全て無駄になりかねません。神殿から神の敵と宣告されるのは不都合が多すぎます。ひとまずは私が周囲を闇で覆いましたが、神の力の前ではいつ消し飛ぶか……」
こんな状況でも冷静だね、識は。
僕はまたあいつの意のままになるのかと思うと、嫌で嫌でしょうがないんだけど!
……くそ。
商会のメンバーとして、皆頑張ってくれた。
僕も頑張った。
ここまで、それなりに上手くいっていると思う。
……くそおおお!!
僕は体から力を抜く。
力負けじゃないからな。連れて行けよ、畜生。
時間にして十秒と少し。僕と女神の力比べは僕の負けで終わった。
僕達は、周囲の石畳や地面と一緒に引き上げられ、光に呑まれた。
幸い、女神の光を見て最も早く駆けつけた連中でさえ、恐らく僕と識の姿を確認出来ていないだろう。
識の助言に心から感謝する。
「ありがとう、識。僕一人なら意地になって張り合っていたと思う。悪いね、付き合わせて」
「まさか、こんなにも早く女神と会う日が来るとは思ってもいませんでした。な、なに……良い、経験です」
青ざめた顔で言われても、ちっともフォローにならないよ、識。
大体、あいつが顔を見せるのかどうかさえ疑わしい。
そんなやりとりのすぐ後。
僕と識は、僕がこの世界に来て最初に見た、あの白金の空間に連れてこられた。
一緒に引き上げられた石畳と土砂が上から降ってくるとかいう最悪な展開にならなくて良かった、なんて思ったり。
◇◆◇◆◇
あの女神の声を聞いた場所。
次にここに来る機会があるとしたら、あいつに一発入れる自信がついて僕の方から乗り込む時だと思っていたんだけどなあ。
しかし、さっきの感覚を思い返すと、まだ対策は十分じゃなかったみたいだ。
……本当に、上手くいかないもんだ。
まだ、神ってのは遠いかあ。
何故か荒野に落とされてからの事が色々と頭に浮かんで、冷めた笑いがこみ上げてくる。
「ふふふふ」
まったく。
どうして……どうしてあの虫の都合でもう一回ここに来なきゃならないんだ!!
「わ、若様?」
僕の様子に気付いたのか、識が恐る恐る呼びかけてくる。
僕は無言で懐から護身用の打根を取り出す。
これは、笹穂槍の穂先に短い柄と矢羽が付いた特殊な武器だ。不格好な短剣のようでもあり、やけに短い矢にも見えるが、尻に紐が仕込まれているのが大きな特徴だ。僕が多少なりとも扱える数少ない武器でもある。
本来はもう少し大きいから、懐に忍ばせる物ではないんだけど、暗器みたいな扱いも出来るように、一回り小さなサイズで作ってもらっている。
刀身を覆う鞘を外して、柄から伸びる長い紐を手に持つ。
だらんと宙に揺れる打根。
体を半身にして、右腕の根元から打根の先までを一つのしなやかなモノと意識する。そして、振り上げざまに前方の一点を狙って一気に撃ち放った。
「!!」
打根が激突した一点を見つめる識。
どこで仕切られているのかも分からない部屋だが、僕から何メートルか先で打根が止まり、光り輝く壁――であろう場所――にヒビを作る。
残念ながら貫くには威力が足りなかったようで、やがて打根は音もなく下に落ちた。
ヒビはしばらく残っていたけど、結局は消えてしまった。
女神、腐っても神なんだよな。まだ事を構えるのは危ないかもしれない。
怒りに任せてつい部屋に八つ当たりしてしまったけど、一撃を見届けて少し落ち着いてきた。
あいつの事は色々考えているし、出来る限り冷静であろうとは思っているんだ。でも……正直今回の拉致も含めて、冷静なままで〝虫〟と話していられる自信はない。
「多分、ここは女神の領域。前にも来た事がある」
打根を回収し、遅くなったけど識に説明する。
「やはり、そうですか」
緊張を感じてか、識が少し俯く。
そうか、今回は識も一緒だった。それなら少し安心出来るな。
それに、世界中どこに吹っ飛ばされたって、僕は念話が使える。戦場に放り出された時だって、ここは経由しなかったとはいえ、結局亜空に逃れる事は出来た。
そう、以前ほど恐れる事はないんだ。
確実に勝てるとは言えないけど、僕はあいつに近づいてはいる。
「あそこまで直前にならないと反応出来ないとなると、カウンターで相殺するのは不可能でした。予め警戒していれば、あるいはもう少し早く気付けたかもしれません。申し訳ありません」
やや怯えが見える識に言葉をかける。
「いや、識も拉致経験者になった事だし、次こそは対策すれば良いよ。僕だってアンカーをかなり削られていたんだ。あのまま耐えていても結局駄目だったと思うから、気にしないで」
その直後、巴と澪から念話が入った。
彼女達には取り敢えず臨戦態勢で待機していてくれ、とお願いして念話を切る。
亜空に待機する一方で、学園には身代わりを置いてもらう。これも対策の一つ。
女神にどこまで行動を把握されているか分からないから、念には念を。
今回の拉致で識ってカードは女神に確実にバレてしまうだろうけど、可能なら巴と澪はまだ伏せておきたいと、淡く考えている。
「は、はい。しかしこんな事を話していて大丈夫なんでしょうか? 女神の領域なら、ここでの会話は全て筒抜けでは?」
「別に構わないんじゃない? だって聞かれていても僕らは結局あいつに抵抗するし、今回だって何かしていた事くらいは察知しているだろうから」
大体、そこまであいつが万能かね?
識が思うほど大した奴じゃないと思う。
ひょっとしてあの女神相手なら、拉致対策も一発で成功するかなって思っていたのも事実。魔族だって例の指輪で女神の干渉に対抗出来たんだから、僕らだって出来るかなーって思ってみても、ねえ?
まあ、たかが一回の失敗だ。次こそは上手くやるさ。
女神も即座にこっちを殺す気はないようだし。
「女神が相手だというのに……落ち着いておられますな、若様は」
「なんかね、吹っ切れたというか。ホント、あいつ自分勝手でさ。僕も人の事は言えないけど。それに、もしもあいつが姿を見せる気なら、一発くらい殴れるかもしれないじゃん。あのキングオブ自分勝手をさ」
キングじゃなくてクイーンか? まあいいや。
本当にそのくらい吹っ切れていた。驚くほどに静かな心境だ。
〝随分と、舐めた事を言うようになったのね、ミスミ〟
気配が生まれた。この空間の全てに存在しているかのような巨大な存在感。
識が身を震わせるのが分かった。
「これは女神様、お久しぶりです」
位置の特定は……駄目か。
〝一生あそこにいろと命じたのに、あっさりと破ってくれて。それに戦場を手伝わせてあげようと呼んでやれば無茶をする始末。この場所でもさっき暴れたわね? お前は自分の立場を分かっているの?〟
拉致しておいて、よく言うもんだ。
無茶も何も、いきなり竜殺しなんかと戦わせておいて、どっちが無茶なんだって言い返したいね。
それに僕は、月読様に自由を認めてもらっているんだ。
女神とかいう虫神じゃなく、〝神様〟にね。
「事情の説明もなく、いきなり竜殺しなんて恐ろしい人と戦わせる。神とはいえ、身勝手じゃございませんか?」
〝……神が人に対してする事に身勝手などないの。使われる者はただその幸せに喜び、打ち震えなさい〟
「ご冗談を。僕とは全く考え方が違うようで残念です。それで、今回はお姿を拝ませてもらえるので?」
慇懃無礼に応対する。
女神の言葉一つ一つが気に入らない。彼女に対する先入観というか、第一印象はなかなか強力だ。
〝その物言いの後でよくも。お前に見せる姿などないわね。魔力と気配の遮断などという面倒な事が出来るようになっていたお蔭で、お前の居場所を知るのに苦労したわ。まさか学園都市とは、随分と入り込んでくれたものねえ? さっきは一瞬気配が強まったみたいだけど、今はまたいるのかいないのか分からない影の薄さ。神官達をかなり使う羽目になったわ〟
界で気配を探った代償に魔力が漏れたのを、しっかり感づいていたみたいだ。
厄介な事に、気配が乱反射して一定しないから、悔しいけど奴がどこにいるのか掴めない。
識も女神の位置を把握出来ていないようだ。
〝ん? 一緒にいるのは……ヒューマン? いえ違う。でも魔力は確かにヒューマンの……しかしミスミに似て存在感の薄い奴ね〟
「……っ」
探るような気配。
女神は識の事が気になっているようだ。
彼の場合元ヒューマンだけど、魔力云々って言うならむしろリッチやアンデッドのそれじゃないのか?
〝まあ、良いわ。亜人にせよゴーレムにせよ、大した力を持たぬようだし。さてミスミ。これからリミアにお前を送るから、そこで勇者を助けなさい。魔族の奇襲であまり良い状況ともいえないの。まったく、小賢しい奴らだわ〟
こいつ、本当に苛つくな。
思えばこの世界に来たのも、それからの面倒事も全部こいつのせいだ。こいつが阿呆な事をやらずに大人しく僕を勇者にしておけば、なんの問題もなかったんじゃないか?
僕が言われるままに魔族と戦ったかはともかくね。
荒野で上位竜に襲われる事も、ヒューマンに醜い、不細工だと後ろ指差される事もなく、商売さえしていなかったかもしれない。
「女神様がご自身でなされば良いでしょう。僕みたいなのに頼らずとも」
嫌味たっぷりに言い返してやる。
識は彼女の登場から一言も発していない。神との初対面で言葉を失っているんだろうか。
声だけのやり取りも対面と呼ぶのかは分からないけど。
で、魔族が奇襲してくるから勇者を助けろと。
識の見立てでは、魔族の本命はリミアの勇者。
女神がわざわざ僕を探し出して使おうと思うくらいだ。結構ピンチなのは間違いないらしい。
……帝国の勇者も援護に向かえてない、つまりは識の読みが当たっている可能性が高い。
〝お前に言われるまでもなく、出来るのならそうしているわ。神には神の事情があるのよ。お前などが知る由もない事情がね。限られた干渉ならともかく、神が気軽に降臨出来るとでも思ってるの、お前は?〟
心底馬鹿にした口調で尋ねられる。
知るか! 神なんているかどうかも分からない世界で育ってきた僕に聞くなよ。
「以前は魔族にさえ、その干渉を妨害されていたようでしたが?」
〝あれはもう二度とさせないわ。――ん、お前と話している時間などないの。答えは是のみ。行きなさい〟
女神の声が微かに詰まり、口調が少し早くなった。
何か状況が悪化でもしたのか?
でも、このまま問答無用で転移させられるのは御免だ。
結局言いなりじゃあ、面白くない。特に、この女神の言うがままってのは。
「行っても!! 最悪僕は魔族側につくかもしれませんよ?」
女神が発する魔力の作用を感じた僕は、大声で意思を伝え、アンカーを再度形成する。
もし本当に、女神が戦場に対して自由に援護や干渉が出来ないというなら、ある程度の取引なら出来るんじゃないか?
珍しく冴えた頭で、そんな事を思った。
案の定、女神の力が収まっていく。
〝……正気で言っているの? お前も一応はヒューマンに連なる者。そして、勇者はお前の生まれた世界の人間よ? それを助けずに魔族につく理由は一つもないはずよ。もういいかしら? くだらない反抗期に付き合うほど暇じゃないの〟
……反抗期?
ふざけるな!!
「あははははは!! あるじゃないですか! 貴女が嫌いだからですよ! 意思に従いたくないからですよ! どうです? 魔族と気が合いそうじゃないですか、僕は!?」
商人ギルドで代表のザラさんが態度を豹変させた時の事を思い出す。
女神がどんな反応をするのか見たいのもあったけど、僕もつい、彼みたいに態度を変えて大声で怒鳴ってみた。いっそ〝俺〟とか言って、もっと荒っぽくした方が良かったかな。
でも〝俺〟って妙に言い難いんだよな。昔から〝僕〟だったし、多分一生変わらない気がしなくもない。
――と、それは置いておいて。
僕は別に取引に応じてもらえなくてもよかった。
リミアに行って勇者を助けるのも満更じゃないし。
女神相手に取引だなんて、短慮だとも思う。その場の思いつきだし、要求すら決めてない。
そもそも僕が一人で突っ走って、良い結果になった事があるだろうか?
答えは痛いくらい分かってる!
でも!
以前と何も変わらない女神の言い草に、どうしようもなく怒りを覚えた。
「特異点……ロッツガルドの僕らみたいな? 何か良い手はあるかなあ?」
「はい。我々が向かうのはまずいかもしれませんが、たとえば存在を知られていない翼人やゴルゴン、それにアルケーを送って援護する手であれば使えるかと」
「それは絶対駄目。僕達のうち誰も行かない戦場に、亜空の種族だけを行かせて戦わせるなんて。だいたい翼人なんて空を飛ぶんだよ? いい的にしかならないじゃないか」
亜空に住む人だけを使うという提案を全力で拒絶すると、識が割と本気な目で訴えてきた。
「……若様。翼人は相当強い種族ですよ。上手くすれば彼らだけで国を落とせるほどに。彼らと若様の相性が絶望的に悪いだけなのです。それにゴルゴンとて、戦場に放てば極めて短時間のうちに戦闘を終わらせられるほどの凶悪な能力を持っています。最悪、後で任意の者の石化だけ解いてやれば問題はありません。即死をさせない石化という、極めて特殊な能力の使い手なのですから」
翼人、本当に強いか? 僕の攻撃から逃げようと雲の上に隠れるほどひ弱なのに。
ゴルゴンだって、なんらかの手段で石化を無効化されてしまったら、硬質化した髪を動かす能力だけで戦わなくちゃならない。彼らだけを戦場に送り出すなんて心配だ。
「うーん……。識がそう言うなら、考えてみるけど。でも今回の侵攻は魔族も結構本気なんでしょ? 勇者だって彼らを魔物だと思って攻撃してくる可能性もある。それはちょっと嫌だよ」
「む……そう仰るなら仕方がありません。成功率が高く、こちらへのデメリットも少ない妙手かと思ったのですが」
「しかし困った。勇者を見捨てたくはないんだけど、正面切って向こうにも行けない。……ところでさ、識。王国の話ばっかりしていたけど、帝国はどうなの? 帝国が本当の囮だというなら、そんなに心配いらない?」
そう、勇者は二人いるんだ。
「そこは私も確証が持てません。幾つか気になっている点はあるのですが……」
「話してくれる?」
「王国と帝国への二面攻撃をするには、ステラ砦に配備されている魔族の戦力では流石に少ないのです。しかも帝国側を攻める戦力はわざわざ分散させています。そこから帝都を落とそうという意図は感じられません。ですが、帝国の勇者には飛竜という高機動力があります。もし勇者が帝国側は完全に囮だと判断したら、すぐに王国の援護に向かうでしょう。すると、リミアを攻撃している魔族は帝国の勇者と王国の勇者に挟撃される形になります。帝国の勇者は一度に多勢を相手にするのが得意のようですから、その力は無視出来ません。さらに戦闘が長引けば、ステラ砦攻撃のために集結していた部隊までもが戻ってきて、劣勢どころか全滅しかねません。これでは意味がない」
「うん」
「よって、魔族が帝国側の戦力を分散させた意図が何かあるはずなのですが、それがよく分かりません。私が気がかりなのは、若様が以前話された〝竜殺し〟の事です。分散の意図は読めませんが、もし彼女が帝国に向かった部隊に紛れていて、帝国の勇者を確実に足止めするのなら、リミアの作戦への補強にはなります。しかし、竜殺しは未だ魔族についた事を世にあまり知られていない状況。このような戦いで勇者と戦えば、間違いなく世界中に裏切りを知られます。果たしてあの者がそれを良しとするのかどうか……」
「竜殺し……ソフィアか~。あいつの事はさっぱり分からないからなあ。会ったのも一度きりだし、何考えているかなんて尚更だよ」
上位竜を連れているという一点では僕と共通しているソフィア。
でもその思考はまるで読めない。
「ロナがどちらに現れるかにもよりますな。もしも帝国なら、部隊の分散は帝国の手札を見るための捨て石とも考えられますが、なんとも……」
識は頭を捻って、再び思考の海に沈んでいった。
とにかく、王国も帝国もかなりまずい状況ではあるみたいだ。話を聞く限りリミアの方がやばい感じだし、何か手を打つべきかとも思う。やっぱ同郷の人だし、放ってはおけない。
ロッツガルドで僕らが動いている間に世界がこんな事になっていたなんて。
この一件、思ってたより大きな事になりそうだ。
◇◆◇◆◇
ロッツガルド学園の一画にある塔。
そこに、冒険者ギルドマスターにして上位竜であるルトが一人佇んでいた。
「真君が打った無自覚な奇跡の一手。あのタイミングでの念話の復旧。魔族による勇者殺害と時間稼ぎを目的とする作戦はほぼ完璧に作用すると思ったけど、これは少し荒れそうだね」
彼は塔の上から門付近にいる真と識を見る。
普通ならこの距離から真達を特定する事は出来ない。相当な視力だ。
目の良い者でも、豆粒のような人影を見つける事が出来る程度。夜ともなれば尚更だ。
「あの一手で、彼は魔族との関係性を否定する切っ掛けを作った事になる。さらにクズノハ商会の力を大国に見せて、脅威を感じさせる事も出来た。ロッツガルドで皆に親しまれ、愛される商会となる以上の、ジャックポットみたいな大きな利点を得たわけだけど……」
彼らが動くタイミングがもっと早ければ、あるいは遅ければ。
臨時講師ライドウもクズノハ商会も、魔族との結びつきを否定するのが難しくなる状況も有り得た。
巴の立ち回り次第ではあるが、彼女が元々設定していた時期を、ルトは少し遅いと思っていた。
そこにきて真が引き当てたタイミングは、良い時期の中でもさらにピンポイントで良い。
長い時間を生きるルトでさえ、思わず驚きの言葉を口にした。
何せ、自ら提案したのではなく、権力者から強引に頼まれての事。これならば真には目論見や意思などはないと、多くの人が思うだろう。自分で狙えるものではないからだ。
〝そういう〟星の下に生まれていなければ出来ない事。ルトとて笑うしかない。
もっとも、堪えきれぬ笑みをこぼす彼には、別の思いも混じっていたが。
「何しろ、真君だからなあ。こうやって時折大当たりを引く星の下にいても、あれだけ色々やらかすんだ。今回だってジョーカーも一緒に引いてるんじゃないかって、つい疑ってしまうね」
そう。根拠はないが、真はツイていない。
ルトはそれをよく知っている。だからこそ、真がただ望外の結果を得るだけなどとは、彼にはとても思えなかった。
意図せず上位竜と戦う羽目になり、ピンポイントに災害の蜘蛛と遭遇する。出会った人の言葉が分からず、普通の容姿なのに蔑まれる。あっちに行ってもこっちに行っても、彼は何かに巻き込まれてきた。まさしく〝そういう運命〟であるかのように。
「しかもその全てを乗り超え、時にプラスに変えてここまできている。今回は、何をしてくれるんだろうね、君は――ッ!!」
突如、ルトは楽しそうに真を見つめていた目を見開き、上空の何もない星空に向けた。
真が見たら驚いたであろう、ルトの焦りと驚きに満ちた表情。
「馬鹿な! 今動けるはずが!? 無茶をするね、貴女も!!」
その言葉の直後――雲の切れ間から陽光が差し込むように、夜空から金色の光が降る。
ロッツガルドの街の一画が、見る者を無意識に荘厳な気持ちにさせる神々しい光で溢れた。
◇◆◇◆◇
「若様! 虫です!!」
識の切羽詰まった声。
その言葉は合図だ。
僕が以前〝あいつ〟に拉致された時に、皆で対策を立てたうちの一つ。女神の干渉を示す合図。
識の言葉のすぐ後、僕ら目がけて夜空から金色の光が伸びてきた。
たなびく光のカーテンを、縦に細く裂いたような光だ。
人々の目には綺麗にも厳かにも映るかもしれない。でも僕にとっては胸糞悪くなるだけの光。
間違いなく、あいつだ。
僕は識の合図を聞いた直後から、反射的に詠唱を組み上げていた。
拉致対策――流石にこの状況で使う事になるとは考えていなかったけど。
術のイメージと仕組みは単純。
嵐に対して船がそうするように、僕はアンカーを下ろして強制的な転移に耐える。それだけだ。
咄嗟に駆け寄ってきた識ともども、光が僕らを呑み込む。
空を見上げた時に感じたが、結構範囲が広い。光のカーテンは学園の正門とその奥に広がる庭園の一部まで包み込んでいる。
やがて僕らを認識したのか、光のスポットが狭まってきて、同時に引き上げられるような力を感じた。
引っ張る力を感じる、それはつまり僕があいつの力に抗えているという事だ。
女神の力に抵抗出来ているという事実に、少し嬉しくなる。以前より明らかに前進していると実感出来たから。
「す、凄まじい力です。若様、大丈夫ですか!?」
「まだ問題ない。ちっ、さっさと諦めて消えればいいものを。……く、長いな!」
今はまだ上手い事耐えられているが、思ったより干渉時間が長い。
抵抗はまだ可能だけど、このまま長引けば徐々に僕の作ったアンカーが削られて、いずれ連れて行かれるだろう。我慢比べというやつだ。
同時に攻撃も仕掛けてやろうかと思ったけど、あいつが〝どこ〟にいるのか位置が掴めないからやりようがない。
「……若様、問題が」
識が苦渋に顔を歪めながら訴えてきた。
「何!?」
「このままではヒューマンの注目を集めかねません。この光を見た者の幾人かは女神の光だと気付くでしょう。それに抗っている我らの姿を見られるのは……」
げっ!
ここは学園の正門。事件で人気が少ないと言っても、人の目がないわけじゃない。
これは……まずい。
「うぐっ」
僕らの動揺に呼応するかのように、転移にかけられる力が強まる。
あの虫、嫌がらせの天才かよ!! タイミングが神がかってる!
「若様、これではここ数日間の行動が全て無駄になりかねません。神殿から神の敵と宣告されるのは不都合が多すぎます。ひとまずは私が周囲を闇で覆いましたが、神の力の前ではいつ消し飛ぶか……」
こんな状況でも冷静だね、識は。
僕はまたあいつの意のままになるのかと思うと、嫌で嫌でしょうがないんだけど!
……くそ。
商会のメンバーとして、皆頑張ってくれた。
僕も頑張った。
ここまで、それなりに上手くいっていると思う。
……くそおおお!!
僕は体から力を抜く。
力負けじゃないからな。連れて行けよ、畜生。
時間にして十秒と少し。僕と女神の力比べは僕の負けで終わった。
僕達は、周囲の石畳や地面と一緒に引き上げられ、光に呑まれた。
幸い、女神の光を見て最も早く駆けつけた連中でさえ、恐らく僕と識の姿を確認出来ていないだろう。
識の助言に心から感謝する。
「ありがとう、識。僕一人なら意地になって張り合っていたと思う。悪いね、付き合わせて」
「まさか、こんなにも早く女神と会う日が来るとは思ってもいませんでした。な、なに……良い、経験です」
青ざめた顔で言われても、ちっともフォローにならないよ、識。
大体、あいつが顔を見せるのかどうかさえ疑わしい。
そんなやりとりのすぐ後。
僕と識は、僕がこの世界に来て最初に見た、あの白金の空間に連れてこられた。
一緒に引き上げられた石畳と土砂が上から降ってくるとかいう最悪な展開にならなくて良かった、なんて思ったり。
◇◆◇◆◇
あの女神の声を聞いた場所。
次にここに来る機会があるとしたら、あいつに一発入れる自信がついて僕の方から乗り込む時だと思っていたんだけどなあ。
しかし、さっきの感覚を思い返すと、まだ対策は十分じゃなかったみたいだ。
……本当に、上手くいかないもんだ。
まだ、神ってのは遠いかあ。
何故か荒野に落とされてからの事が色々と頭に浮かんで、冷めた笑いがこみ上げてくる。
「ふふふふ」
まったく。
どうして……どうしてあの虫の都合でもう一回ここに来なきゃならないんだ!!
「わ、若様?」
僕の様子に気付いたのか、識が恐る恐る呼びかけてくる。
僕は無言で懐から護身用の打根を取り出す。
これは、笹穂槍の穂先に短い柄と矢羽が付いた特殊な武器だ。不格好な短剣のようでもあり、やけに短い矢にも見えるが、尻に紐が仕込まれているのが大きな特徴だ。僕が多少なりとも扱える数少ない武器でもある。
本来はもう少し大きいから、懐に忍ばせる物ではないんだけど、暗器みたいな扱いも出来るように、一回り小さなサイズで作ってもらっている。
刀身を覆う鞘を外して、柄から伸びる長い紐を手に持つ。
だらんと宙に揺れる打根。
体を半身にして、右腕の根元から打根の先までを一つのしなやかなモノと意識する。そして、振り上げざまに前方の一点を狙って一気に撃ち放った。
「!!」
打根が激突した一点を見つめる識。
どこで仕切られているのかも分からない部屋だが、僕から何メートルか先で打根が止まり、光り輝く壁――であろう場所――にヒビを作る。
残念ながら貫くには威力が足りなかったようで、やがて打根は音もなく下に落ちた。
ヒビはしばらく残っていたけど、結局は消えてしまった。
女神、腐っても神なんだよな。まだ事を構えるのは危ないかもしれない。
怒りに任せてつい部屋に八つ当たりしてしまったけど、一撃を見届けて少し落ち着いてきた。
あいつの事は色々考えているし、出来る限り冷静であろうとは思っているんだ。でも……正直今回の拉致も含めて、冷静なままで〝虫〟と話していられる自信はない。
「多分、ここは女神の領域。前にも来た事がある」
打根を回収し、遅くなったけど識に説明する。
「やはり、そうですか」
緊張を感じてか、識が少し俯く。
そうか、今回は識も一緒だった。それなら少し安心出来るな。
それに、世界中どこに吹っ飛ばされたって、僕は念話が使える。戦場に放り出された時だって、ここは経由しなかったとはいえ、結局亜空に逃れる事は出来た。
そう、以前ほど恐れる事はないんだ。
確実に勝てるとは言えないけど、僕はあいつに近づいてはいる。
「あそこまで直前にならないと反応出来ないとなると、カウンターで相殺するのは不可能でした。予め警戒していれば、あるいはもう少し早く気付けたかもしれません。申し訳ありません」
やや怯えが見える識に言葉をかける。
「いや、識も拉致経験者になった事だし、次こそは対策すれば良いよ。僕だってアンカーをかなり削られていたんだ。あのまま耐えていても結局駄目だったと思うから、気にしないで」
その直後、巴と澪から念話が入った。
彼女達には取り敢えず臨戦態勢で待機していてくれ、とお願いして念話を切る。
亜空に待機する一方で、学園には身代わりを置いてもらう。これも対策の一つ。
女神にどこまで行動を把握されているか分からないから、念には念を。
今回の拉致で識ってカードは女神に確実にバレてしまうだろうけど、可能なら巴と澪はまだ伏せておきたいと、淡く考えている。
「は、はい。しかしこんな事を話していて大丈夫なんでしょうか? 女神の領域なら、ここでの会話は全て筒抜けでは?」
「別に構わないんじゃない? だって聞かれていても僕らは結局あいつに抵抗するし、今回だって何かしていた事くらいは察知しているだろうから」
大体、そこまであいつが万能かね?
識が思うほど大した奴じゃないと思う。
ひょっとしてあの女神相手なら、拉致対策も一発で成功するかなって思っていたのも事実。魔族だって例の指輪で女神の干渉に対抗出来たんだから、僕らだって出来るかなーって思ってみても、ねえ?
まあ、たかが一回の失敗だ。次こそは上手くやるさ。
女神も即座にこっちを殺す気はないようだし。
「女神が相手だというのに……落ち着いておられますな、若様は」
「なんかね、吹っ切れたというか。ホント、あいつ自分勝手でさ。僕も人の事は言えないけど。それに、もしもあいつが姿を見せる気なら、一発くらい殴れるかもしれないじゃん。あのキングオブ自分勝手をさ」
キングじゃなくてクイーンか? まあいいや。
本当にそのくらい吹っ切れていた。驚くほどに静かな心境だ。
〝随分と、舐めた事を言うようになったのね、ミスミ〟
気配が生まれた。この空間の全てに存在しているかのような巨大な存在感。
識が身を震わせるのが分かった。
「これは女神様、お久しぶりです」
位置の特定は……駄目か。
〝一生あそこにいろと命じたのに、あっさりと破ってくれて。それに戦場を手伝わせてあげようと呼んでやれば無茶をする始末。この場所でもさっき暴れたわね? お前は自分の立場を分かっているの?〟
拉致しておいて、よく言うもんだ。
無茶も何も、いきなり竜殺しなんかと戦わせておいて、どっちが無茶なんだって言い返したいね。
それに僕は、月読様に自由を認めてもらっているんだ。
女神とかいう虫神じゃなく、〝神様〟にね。
「事情の説明もなく、いきなり竜殺しなんて恐ろしい人と戦わせる。神とはいえ、身勝手じゃございませんか?」
〝……神が人に対してする事に身勝手などないの。使われる者はただその幸せに喜び、打ち震えなさい〟
「ご冗談を。僕とは全く考え方が違うようで残念です。それで、今回はお姿を拝ませてもらえるので?」
慇懃無礼に応対する。
女神の言葉一つ一つが気に入らない。彼女に対する先入観というか、第一印象はなかなか強力だ。
〝その物言いの後でよくも。お前に見せる姿などないわね。魔力と気配の遮断などという面倒な事が出来るようになっていたお蔭で、お前の居場所を知るのに苦労したわ。まさか学園都市とは、随分と入り込んでくれたものねえ? さっきは一瞬気配が強まったみたいだけど、今はまたいるのかいないのか分からない影の薄さ。神官達をかなり使う羽目になったわ〟
界で気配を探った代償に魔力が漏れたのを、しっかり感づいていたみたいだ。
厄介な事に、気配が乱反射して一定しないから、悔しいけど奴がどこにいるのか掴めない。
識も女神の位置を把握出来ていないようだ。
〝ん? 一緒にいるのは……ヒューマン? いえ違う。でも魔力は確かにヒューマンの……しかしミスミに似て存在感の薄い奴ね〟
「……っ」
探るような気配。
女神は識の事が気になっているようだ。
彼の場合元ヒューマンだけど、魔力云々って言うならむしろリッチやアンデッドのそれじゃないのか?
〝まあ、良いわ。亜人にせよゴーレムにせよ、大した力を持たぬようだし。さてミスミ。これからリミアにお前を送るから、そこで勇者を助けなさい。魔族の奇襲であまり良い状況ともいえないの。まったく、小賢しい奴らだわ〟
こいつ、本当に苛つくな。
思えばこの世界に来たのも、それからの面倒事も全部こいつのせいだ。こいつが阿呆な事をやらずに大人しく僕を勇者にしておけば、なんの問題もなかったんじゃないか?
僕が言われるままに魔族と戦ったかはともかくね。
荒野で上位竜に襲われる事も、ヒューマンに醜い、不細工だと後ろ指差される事もなく、商売さえしていなかったかもしれない。
「女神様がご自身でなされば良いでしょう。僕みたいなのに頼らずとも」
嫌味たっぷりに言い返してやる。
識は彼女の登場から一言も発していない。神との初対面で言葉を失っているんだろうか。
声だけのやり取りも対面と呼ぶのかは分からないけど。
で、魔族が奇襲してくるから勇者を助けろと。
識の見立てでは、魔族の本命はリミアの勇者。
女神がわざわざ僕を探し出して使おうと思うくらいだ。結構ピンチなのは間違いないらしい。
……帝国の勇者も援護に向かえてない、つまりは識の読みが当たっている可能性が高い。
〝お前に言われるまでもなく、出来るのならそうしているわ。神には神の事情があるのよ。お前などが知る由もない事情がね。限られた干渉ならともかく、神が気軽に降臨出来るとでも思ってるの、お前は?〟
心底馬鹿にした口調で尋ねられる。
知るか! 神なんているかどうかも分からない世界で育ってきた僕に聞くなよ。
「以前は魔族にさえ、その干渉を妨害されていたようでしたが?」
〝あれはもう二度とさせないわ。――ん、お前と話している時間などないの。答えは是のみ。行きなさい〟
女神の声が微かに詰まり、口調が少し早くなった。
何か状況が悪化でもしたのか?
でも、このまま問答無用で転移させられるのは御免だ。
結局言いなりじゃあ、面白くない。特に、この女神の言うがままってのは。
「行っても!! 最悪僕は魔族側につくかもしれませんよ?」
女神が発する魔力の作用を感じた僕は、大声で意思を伝え、アンカーを再度形成する。
もし本当に、女神が戦場に対して自由に援護や干渉が出来ないというなら、ある程度の取引なら出来るんじゃないか?
珍しく冴えた頭で、そんな事を思った。
案の定、女神の力が収まっていく。
〝……正気で言っているの? お前も一応はヒューマンに連なる者。そして、勇者はお前の生まれた世界の人間よ? それを助けずに魔族につく理由は一つもないはずよ。もういいかしら? くだらない反抗期に付き合うほど暇じゃないの〟
……反抗期?
ふざけるな!!
「あははははは!! あるじゃないですか! 貴女が嫌いだからですよ! 意思に従いたくないからですよ! どうです? 魔族と気が合いそうじゃないですか、僕は!?」
商人ギルドで代表のザラさんが態度を豹変させた時の事を思い出す。
女神がどんな反応をするのか見たいのもあったけど、僕もつい、彼みたいに態度を変えて大声で怒鳴ってみた。いっそ〝俺〟とか言って、もっと荒っぽくした方が良かったかな。
でも〝俺〟って妙に言い難いんだよな。昔から〝僕〟だったし、多分一生変わらない気がしなくもない。
――と、それは置いておいて。
僕は別に取引に応じてもらえなくてもよかった。
リミアに行って勇者を助けるのも満更じゃないし。
女神相手に取引だなんて、短慮だとも思う。その場の思いつきだし、要求すら決めてない。
そもそも僕が一人で突っ走って、良い結果になった事があるだろうか?
答えは痛いくらい分かってる!
でも!
以前と何も変わらない女神の言い草に、どうしようもなく怒りを覚えた。
応援ありがとうございます!
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