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7巻

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(装備よし、忘れ物なし。では出発)

 昨日十分にスネークソードの修練ができたので、先を急ぐことにした。アップデートまでの時間を考えると、三が武かよつたけのどちらかを完全にスルーしなければ、「龍の儀式」直前の準備にとれる時間が少なくなってしまうかもしれない。これまで大半のことがスムーズに進まなかった経験上、少しでも余裕を持っておきたい。
 借りていた部屋を出て、宿屋の受付へ。今日の当番は番頭さんのようだ。

「部屋の鍵をお返しします」
「はい、確かに」
「それでは、失礼します」
「――真に申し訳ありませんが、お客様、少々お待ちを」

 鍵も無事に返し、三が武に向かっていざ出発、と意気込んだところで、番頭さんに呼び止められてしまった。

「何か問題がありましたか?」
「あーその、なんと言いますか……この宿から一つ、アース様へ依頼をさせていただきたいのです。前金で一万グロー、成功報酬でさらに二万グローをお出しします」

 仕事の依頼か……だけど今は厳しいな。なるべく早く六が武まで行きたいから、前回のように寄り道満載の日程とはいかない。今回はお断りするしかないだろう。

「申し訳ありませんが、自分は六が武まで急がねばなりませんので、依頼は……」
「いえ、むしろその六が武……正確に申し上げれば、龍城まで同行してほしい方がいるのです。貴方と一緒に行くのであれば、我々この宿の従業員も安心できるというわけでして……はい」

 これは護衛依頼ということになるのだろうか……?
 我々プレイヤーとノンプレイヤーキャラNPCのヒューマンが属する人族は、能力面から見るとこの世界では最弱だ(そのかわりあらゆる技術を身につけられるので自由度が高い、という設定らしい)。だから龍人に対して人族の護衛を付けるというのはかなりおかしな話である。

「私は人族ですよ? 護衛なら、戦闘力の高い龍人の方に依頼をしたほうが間違いがないのではないでしょうか?」

 この自分の疑問に答えたのは、番頭さんの声ではなかった。

「それは私が、貴方がいいと望んだからです」

 声がした方向に目をやると、旅支度を整えた二が武の女将さんがいた。ああ……前回は雨龍さんでしたが、今回はこうなるのですか……

「一つだけ質問させてください。なぜ、龍城へ向かわれるのですか?」

 女将さんに質問を投げかける。断れないパターンにハマっていると分かった以上、もう抵抗はしない。が、指名された理由ぐらいは知っておきたい。

「こちらをお読みになればご理解いただけるかと」

 女将さんは自分に一通の手紙を手渡してきた。とりあえず読んでみると……


〝先日はうちの夫と娘が大変なご迷惑をおかけしました。
 あれから二人を城に連れ帰った後で、貴女と連携してもっと重いお仕置きを行うべきであると思い至りました。先に私からもひと通りお仕置きはしましたが、より念入りにちょうきょ……いえいえ、お仕置きをして、夫は龍の国の王であり、娘は龍の国の王女であるという自覚を、骨のずいまでしっかり叩きこまねばなりません。
 そのために、貴女も久々に龍城まで出向いてくださらないでしょうか。それから、「真龍の儀式」を経て我が同胞を龍に昇華させてくれたあの方も、龍城にお連れいただきたいのです。その件でまだお礼の一つもしていなかったなど、龍の国の王の妻としてあるまじき失態でした。貴女にお手間をかけさせてしまうことになりますが、どうかよろしくお願い致します〟


 なぜだろう、どう読んでもこの手紙からは、お仕置きという名の拷問が行われたようにしか感じられないのは。手紙を持つ自分の両手がカタカタと小刻みに震えているのは、気のせいではないだろう。それに飽き足らず、さらに女将さんと連携してお仕置きって……ラスボスは龍王様ではなく奥方様だ、間違いなく。
 何とか手紙を封筒に戻し、女将さんに返す。

「あらあら、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ」

 女将さんはそう言ってクスクス笑っているが、その笑顔が美しいからこそ、今の自分にはより恐ろしく感じられた。会社の上司の怒り顔なんて目の前にある笑顔と比べたらかわいいものだ……リアルの自分の体は今頃おそらく、脂汗をびっしょりとかいているだろう。

「そういうわけですので、どうかよろしくお願い致します」

 逆らったら消される……!? 実際はそんなことないだろうが、あの手紙を読んだ後では、目の前の女将さんからそれだけのスゴ味を感じられた。この威圧感はダンジョンボス以上だと言っても、過言ではないはずだ。

「は、はい、よろしくお願いします、女将さん」

 だがこの自分の返答に、女将さんは不服なようだ。

「そういえば名前を教えていませんでしたね……私は火澄かすみと申します。旅の間は、是非名前で呼んでくださると嬉しいです」

 そんなことを言いながら、女将さんは両手でそっと包み込むように自分の右手を握ってくる。行為自体は穏やかながらも、いちいち妙な色気が漂うのが困る。

「りょ、了解です。では龍城まで、改めてよろしくお願い致します、火澄さん」

 そう返事をすると、女将さんは微笑んだ。こんな状況をカザミネや二が武に住んでいる龍人男性の皆さんに見つかったら大変だなー、などと自分はどこかズレたことを考えていた。あ、これが俗にいう現実逃避か。

「それでは、お気をつけていってらっしゃいませ!」

 番頭さんの威勢がいい声に見送られ、早速女将さんと二人で六が武、そして龍城へ……
 と思っていたら。

「ああああああ! 貴女は!」

 なんとたまたま龍の国に来ていたと思われるギルド『ブルーカラー』のカザミネ、ロナ、ノーラの三人に見つかってしまったのだ。直後、普段は物静かなカザミネが、かなりの大声を出しながらものすごい勢いで走り寄ってきた。

「あら? 貴方がたは……以前、我が宿にお泊まりいただきましたね」

 商売柄、女将さんも三人を覚えていた様子だ。

「その節はありがとうございました。にしても、女将さんがなぜアース君と一緒に?」

 ノーラの質問に、女将さんはなぜか自分に体を密着させて、とんでもない答えを返した。

「六が武までのんびりデートですよ♪ お泊まりありの……ね♪」

 うわあ、どこぞの悪女みたいなことを……ロナは「いつの間にそんな仲に!?」と驚くし、ノーラはニヤニヤし始めるし、カザミネは真っ白になって固まってしまった。

「あのね、女将さん……ただの護衛依頼でしょうが……」

 自分のひと言でカザミネは何とか再起動したようで、生きた表情が戻ってくる。なお、名前で呼ばなかったのには抗議の意味を込めている。

「なら、私も同行します! 護衛の人数は多いほうがよいでしょう!」

 必死について来ようとするカザミネ。その一方でノーラはニヤニヤ顔を続行し、ロナはそんなノーラから何やら吹きこまれている。あー、とてつもなく嫌な予感。

「自分としてはカザミネの意見に賛成ですが」

 変な噂を立てられるよりは一緒に来てもらったほうがいいだろうと判断し、女将さんにそう告げる。カザミネ、そう睨むんじゃない。

「そうね、大人数ならそれはそれで面白そうですし……一緒に行きましょうか」

 そうして、当初はソロで行くはずであった「龍の儀式」までの道中に、同行者が四人も増えることになってしまった。楽しいから……まあ、いいか。


 出発前から実に騒々しくなってしまったが、何はともあれ次の三が武を目指す。このメンバーなら通行手形で足止めを喰らう心配はないし、進行スピードの低下も発生しないだろう、変なトラブルがなければ、だが。

「で、カザミネの勢いに押されて一緒についてきちゃったけど、護衛ってどこまで行くの?」
「龍城まで行くよ。つまり龍の国の最奥まで、ってことだ」

 ノーラの質問に今の予定を答えておく。カザミネは本当に必死で食いついてきたものなぁ……いやまあ、ひと目惚れした様子であるとは分かっていたが、ここまで気持ちが燃え上がっているとは思わなかった。そんな相手が他の男性とデートに行くなどと言い出したら、心穏やかでいられないのは無理もない。どうせ仮想空間の中であるとか、そんなつまらない考えは一瞬で吹っ飛ぶだろう。

「アップデートまでやることが少ないから、のんびり龍の国を観光しようかーってつもりだったんだけどね、ボク達としては。カザミネくん、今回は貸し、一つね」

 ロナの台詞に押され気味のカザミネが、何とか言い返す。

「いや、私に無理に付き合う必要はないのでは?」
「だって、面白そうなことが目の前で発生したんだもの、これについて行かない理由はないでしょ♪」

 一方で、ノーラは本当に面白いことになったというように黙って嬉しそうな笑みを浮かべている。いい暇つぶしを見つけたとばかりに食らいついてきたな。恋愛話が嫌いな女性はいない、なんて誰かが言っていたが、こう見るとそれも真理かもしれないな……
 そんな賑やかな会話を交わしつつ、足を運んだ関所は、やはりというべきか実にあっさり通過できた。なんとなれば手形を見せる必要すらなかったのだ。なぜなら……

「話は伺っております、どうぞ」

 と、火澄さんとその連れということで顔パスで通過できたからだ。お役人様が実に丁寧にお辞儀をしていたあたり、龍王様の奥方の知り合いというのは伊達だてではないらしい。この状況を見て、カザミネ達も火澄さんが只者ではないということに気がついた様子だ。というか、気がつかなかったらおかしい。
 関所を通過した後、『ブルーカラー』の三人は火澄さんに「貴方は一体何者なのでしょうか」という内容の質問をした。対して火澄さんは「秘密ですよ♪ そのほうが色々想像できて楽しいでしょうから」と軽く流す。続いて自分にも火澄さんの正体について質問が飛んできたのだが、本人が言わない以上は自分も適当に流した。

「人の素性をあんまり詮索するのはよろしくない……って、何か来るぞ」

 平原に出る少し前の坂道で、モンスターらしき反応が三つほどあることに気がついた。そこそこのスピードで近寄ってきていることから、走っていると予想がつく。

「この辺りだと、猪もどきかな?」

 ノーラも素早く短剣を構える。戦闘となればさすがに言葉にも真剣味が入る。

「おそらくそうだろうな。近づき次第、さっさと始末しようか」
「同感ですね、下手に戦闘を長引かせるのは愚かです」

 自分の意見にカザミネも同意する。戦闘時間は短いほどいい。長くなるほど判断ミスや攻撃ミスなどで無用の被害が広がる可能性が出てくるから――まあ、カザミネにノーラ、ロナがいる以上、この辺りのモンスター相手ならそう長引きはしないだろう。

「見えたよ、やっぱり猪もどき。ちゃっちゃと倒しちゃおう」

 ロナの言葉を聞いて前に出るカザミネとノーラ。ならば自分の役割は牽制と妨害か……スネークソードの先端を伸ばし、三匹の猪のうち、一番前にいるやつの鼻めがけて突き刺す。
 今のダメージが原因となったのか、猪は足をもつれさせて派手に転倒する。刺さり具合が浅かったためにダメージは低いが、突進の勢いをぐ目的は果たせたようだ。

「ありがと!」

 ロナが倒れた猪への対処に向かってくれた。猪をしっかりと掴んで《ジャーマン・スープレックス》で投げ飛ばした後、マウントポジションでのしかかり、容赦なく殴りつける。そういう素手でのアーツもあるようだ……仲間にこんなことを思うのは大変失礼だが、笑顔で相手をぼっこぼこにしている今のロナさんはすごく怖い。
 まあそっちはもうほっといても大丈夫だろうと考え、カザミネとノーラの様子をそれぞれ窺うが、どちらも猪を圧倒していた。あと一五秒もあれば二人とも討伐を終えるだろう。支援の必要はないな、余計な手を出さずに見ているほうがよさそうだ。
 実際、数秒後には襲いかかってきた猪三匹は仲よく光となって散っていかれた。一五秒という予測はカザミネとノーラをあなどりすぎていたか……心の中で謝罪しておく。


「皆様お強いですね、護衛として十分な腕をお持ちだと思いますよ」

 戦闘終了後、火澄さんは三人をそう評した。その評価を受けて、特にカザミネは嬉しそうにしている。

「実際、こちらの皆さんは自分よりも強いですからね……」

 自分も火澄さんの評価を肯定する。この前の戦争ではツヴァイと一緒にドラゴンを相手にして戦い抜いた猛者もさ達だ。実力的にはプレイヤーの中でもトップクラスに入るだろう。彼らと対人戦闘PvPをするとして、アイテム使用禁止ルールだったら自分はまず勝てないと踏んでいる。

「ボクらもそれなりに頑張ってきたからね。ところでアース君、モンスターの反応はまだ残ってる?」
「いや、今のところ近くにそれらしい奴らはいないようだ」

 ロナに訊かれる前から一応ずっと警戒していたが、次のモンスターが来る様子はない。

「そうですね、迅速に進んだほうがいいでしょう」

 カザミネの意見に頷き、前進を再開する。今は護衛任務中なのだから、無駄に戦闘回数を増やすのは得策ではない。一刻も早く安全な街の中に入ってしまうほうがいいだろう。個人的に、どのゲームでも護衛任務は苦手なんだ……
 関所と三が武の真ん中にある草原には、ぽつぽつと各種ゴブリンがうろついていたが、そこは自分のアーツ《危険察知》を生かして回避。火澄さんも弱くはないと思うが、宿屋の女将さんという戦闘経験が少なそうな仕事が本業である以上、無駄な戦闘は避けたほうがいい。
 そうして、無事に三が武に到着できた。街に入る時の審査は、以前三が武の女将さんからもらった割符のおかげですんなり通過。

「ついたねー、雲獣のみんなを見るのは久々だぁ~」

 あちこちをのんびり歩く雲獣達を見て、ロナがそんなことをつぶやいた。ふわふわした雲獣は確かに可愛らしい存在だから、その気持ちはよく分かる。だが、即座に抱きつきに行くのはちょっとやりすぎではないだろうかね。

「まずは宿を取りましょう、雲獣達と触れ合うのはそれからでもいいでしょう」

 と、火澄さん。

「そうね、ほらロナ、さっさといくよ」
「ううー……さっさと宿屋を見つけて戻ってこよう……」

 雲獣モフモフ天国を味わっていたロナを、ノーラが引っ張っていく。宿屋を見つけるといっても、行き先は決まっている。自分が初めてこの街に来た時に泊めてもらったあの大きな宿屋だ。歩くこと数分で到着した。

「いらっしゃいませ……あら火澄さん、どうしてここへ? 何か大きな問題でも起こりましたか?」

 出迎えてくれた三が武の宿屋の女将さんが、火澄さんを見た途端、不安そうに質問する。

「いえいえ、個人的な用事で出かけてきたのです。それはそうと、部屋を借りたいのですが、空きがありますかしら?」

 火澄さんの問いかけに、三が武の女将さんは少々困った顔になった。

「二人部屋と三人部屋に分かれていただいてもよろしいでしょうか? あいにく五人部屋と一人部屋は満室なのです」

 ふむ、無い袖は振れぬだろうし、それでよいのではないだろうか?

「では部屋の組み合わせは、私とアースさん、『ブルーカラー』の三人でよろしいでしょうか?」

 との火澄さんのお言葉。もともと火澄さんの護衛依頼は自分が受けたのだし、向こうもギルドメンバーで固まるほうが気軽だろう。現実世界リアルならどうかと思うが、男女同室もまぁしょうがない。

「それが無難ね。だからカザミネ、そんな捨てられた子猫のような顔をしないの」

 ノーラの了解も取り付け、部屋割りが確定した。今からログアウトまでは自由時間だ。早速ロナは雲獣の元へ駆け出していった。ノーラは武器の手入れに行くそうだ。ならば自分は、風呂に入って……カザミネが火澄さんと二人きりで話せるチャンスを作ってやるか。


(さすがに二が武の宿屋の風呂と大きさを比べるのはこくだが、こうして入れるだけでもありがたいものだ)

 自分は一人ぼけ~っと、宿屋のお風呂に浸かっていた。
 いつたけ以前だと、火澄さんのところのような特殊な宿屋、もしくはバカ高い宿屋以外に風呂設備は存在しない。それを考えれば、今こうやって三が武でのんびり風呂に入れるというだけで、十分な贅沢と言えるだろう。そもそも二が武の風呂が大きすぎるのであって、ここだって一般的な家のものに比べれば十分すぎるほどに大きい。
 そろそろ一五分か……もう十分堪能したな。
 仮想空間とはいえ精神状態が肉体の調子を引っ張ることは多々あり、具体的にいえば、今の自分はのぼせ気味になりつつある。本格的にのぼせたいわけでもないし、ずいぶんと気分もやわらいだので、風呂から上がって服を着た。リアルでこんなことをすれば肌についた水気で服がぐしょぐしょになりそうなものだが、そこはゲームのご都合設定ということで。変な部分で便利な世界である。
 そうして自分と火澄さんが泊まる部屋の前までやってきたのだが、部屋の中には人の反応が二つあった。確認すると、カザミネと火澄さんのようだ――ふむ、まだログアウトを急ぐ時間じゃない。ならば、カザミネの勝負を邪魔しないでおこうか。今まさに必死になって告白をしようとしている可能性もあるから、同じ男としてはそれを妨害するのは忍びない。そのまま部屋をそっと離れた。とりあえず外に出て時間を潰してこよう。
 軽装のまま、街の中をのんびりと歩く。行き先は、三が武に入ってきた時にロナが雲獣に抱きついていたあの場所だ。予想通り、ロナがそこにいた。小さい雲獣を数匹、膝の上に乗せて、やさしく撫でている。

「どうやら無用の心配だったかな」
「アース君、それどういう意味?」

 ロナにジト目で見られるが、最初の抱きつきっぷりを見た感じ、また雲獣を追い回すやからが発生したか!? と大騒ぎになりそうで冷や冷やしていたのだ。そんな本音をロナに伝えると「たはは……そう言われてしまうと反論できないかも……」と苦笑いする。
 そんなロナの隣に座って胡坐あぐらをかく。

「で、アース君は何でここに来たの?」
「あーうん、カザミネにチャンスをあげようと思ってな」
「やっぱり、カザミネ君はあの人に告ったの?」
「さあてな……その可能性も十分にあるから、邪魔しないよう避難してきたというところだ」

 自分が胡坐をかいている足の上に、兎みたいな雲獣の子が一匹、乗っかってきた。そっと背中を撫でてあげると「ぷひゅ~」と息を吐き出して目を細め、気持ちよさそうにする。そのままゆっくりと頭も撫で撫でしてあげた。

「でも、カザミネ君が好きになるのも無理ないかな……同じ女から見ても、あの女将さんは本当に美人だもん」

 ロナがポツリと言う。

「この世界が仮想空間だってこと、ゲームだってことは十分分かってる。でも、こうやって世界の中に入って、本物に限りなく近い手で物を触って、本物に限りなく近い足でこの世界を歩いていると、ここはもう一つの世界なんだって信じてしまってもおかしくは感じない……今なら、なぜアバターの性別を現実と変えられないのかがよく分かるよ。もしそうしたら、そのうち頭の中で大混乱を引き起こしそうだもんね……」

 生々しいから細かい例を挙げるのは避けるが、その危険性は開発者も重々理解していたのだろう。

「こうやって今ボクと触れ合ってくれているこの子達を、アース君は単なるデータだ、って……切り捨てないよね?」
「そうだなぁ、今の自分にはもう無理だな」

 ロナの質問に即答する。あれだけ生きた人間特有の匂いを感じさせる住人がいるこの世界を、ただのゲームなんだと思うのは難しくなってきているというのが正直な心境だ。

「そうだよね……ボクはこの世界に来れて本当によかったって思ってる。現実じゃ、生きているんだか死んでいるんだか分からなくなることがあるんだ……でもこっちの世界の人は、精一杯生きているような気がする。こっちで喧嘩けんかすることもあるし、物騒なこともあるけど、そういう部分だってボク達のリアルよりずっとギスギスしてないよね?」

 ロナの話に静かに相槌を打つ。

「幸いボクは学校でいじめられたりしなかったけど、隣のクラスでは結構ひどいことがあったって聞いてる。受験も無事に終わったけど、進学校ってこともあってそれまでみんなが苛立ってた。ただ知識を詰め込むだけの勉強は面白くなんてなかった。受験に必要だからしぶしぶやったってだけ。そんなの、ただ命令を受けて動く機械と大差ないような気がしててね……」

 ううーむ、そうだったのか……現代では、大学に進学することがいい意味でも悪い意味でも当たり前のようになった。それを悪いことだと言うつもりはないけれど、そのためにこうして一人の女の子が辛い思いをしているのも事実だ。

「だからボクはなおさらこの世界が生きているって感じる。カザミネくんがあの宿屋の女将さんに熱を上げている姿だって、ボクには笑えないんだ」

 なるほどね……

「自分もカザミネを笑うつもりはないさ……理由はまあ、言うまでもないかな? 今までフェアリークィーンとか龍ちゃんとかと、あれだけばたばたとやってきたからね、自分も」

 今こうして改めて考えてみると、あの時フェアリークィーンが動き出した後から、こちらの世界の住人に魂が入ったような気がする。まるで彼女が目覚めることが、この世界が本当にあるべき姿で動き出す合図であったかのように。

「そうだったね、キミのほうがボクよりずっとこっちの世界の人と関わってるもんね」

 気がつけば空は夕暮れ。その光の加減で、今のロナがどのような表情をしているのかが見づらい。

「そろそろ帰ろうか? これだけ経てば、さすがに終わっているだろう」

 いつの間にかすやすや寝息を立てていた兎型の雲獣を起こし、地面にゆっくりと下ろして、自分は立ち上がる。

「そうだね、もうボクもログアウトしないといけない時間かな」

 ロナも雲獣を地面に下ろして立ち上がる。

「カザミネはどうなったかな~……」
「ボクは、振られた、に一票」
「自分は……そうだなぁ、まあ、優しく断られたと予想しておこうかな」
「それもありそうだね~。まあ、さすがに恋人にはなれないでしょ、今はまだ」

 カザミネが聞いたら、他人事だと思って! と怒り出しそうなことを話し合いつつ宿に戻る。思いがけずロナと話し込んでしまったが、たまにはこういう時間があってもいいだろう……


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